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第3話:壊れた祈り、揺れる灯

朝と夜の境目など分からないほど、地下牢は永遠に沈んだ闇を抱いていた。

 ルシエルとフィナがかすかな光を頼りに、荒い息をしのいでいると、不意に遠くのほうから足音が響いてくる。それは硬い靴底が石床を踏みしめる音で、一定のリズムを刻んでいた。

 「……誰か来る」

 フィナが囁くと、ルシエルは壁を伝って上体を起こす。未だ傷だらけの身体がきしむが、“何か”に備えなくてはならないと、本能が警鐘を鳴らしていた。

 そして、その足音の主が姿を現す。灯されたランタンの光に照らされ、銀色の甲冑が鈍く輝いた。

 「……騎士……?」

 フィナが思わず声に出す。その甲冑は王国軍の正式な意匠を備えているようで、館の私兵やならず者とは異なる雰囲気を纏っていた。

 しかし、その騎士――ヴァリオと名乗る男――の眼差しはどこか冷め切っていた。髭面に刻まれた皺には疲労が漂い、燃えるような情熱よりも“生き抜くための諦観”が滲んでいるようにも見える。

 「……騎士様、ですか……?」

 フィナが遠慮がちに尋ねる。ヴァリオは彼女をちらりと見ると、短く息を吐き、ルシエルの方へと歩み寄った。

 「お前が……ルシエル・アルバーグか」

 硬い声が落ちる。

 「……そうだが……」

 満足に立つこともできないルシエルは、警戒を解かないまま答える。昨日か一昨日か、拷問室で僅かに見かけた男に違いない。

 ――王国軍の下級騎士だと名乗っていたはずだ。だが、こんな館の地下牢に来る以上、ただの騎士ではないはず。どこか後ろ暗い任務を抱え、ここで何らかの“取引”を行っている可能性がある。

 ヴァリオはランタンの光をルシエルに当て、彼の荒んだ姿をまじまじと見る。髭の奥で苦渋の表情を浮かべた。

 「これは……拷問官どもにずいぶんやられたな。死んでいないのが不思議だ」

 「あいにく……しぶといんでな」

 皮肉めいた口調で返すルシエル。その奪われた眼差しの奥には、かすかに燃える憎悪が潜んでいる。ヴァリオはそれを感じ取ったのか、口を一文字に結んだ。

 「……お前は、殺されるには惜しい。何か利用価値があるかもしれんからな。だからこうして見に来た」

 利用価値――まるで物のような扱い。フィナが反応しかけるが、ルシエルが軽く手で制する。今ここで余計なことを言えば、自分たちにさらなる危険が及ぶと直感的に悟った。

 ヴァリオはフィナの存在にも気づき、ちらりと視線を投げる。

 「この娘は……囚人か?」

 「はい……わたしはただの物乞いです。何も悪いことなんて……」

 ぎゅっと指先を握りしめるフィナ。彼女の痛々しい姿を目にしても、ヴァリオは表情を変えない。ただ、少し低い声で呟いた。

 「ここにいる以上、程度の差こそあれ“歯車”にされるだけだ。例外はない……」

 地の底がどれほど腐りきっているか、彼自身も骨身に染みて理解しているのだろう。

 すると、ヴァリオは足元で錆びた鍵の束を弄り、牢の扉を開けた。こつ、と鈍い音がして重い鉄柵が揺れる。

 「俺はそう長く留まる気はない。用が済んだらすぐ引き上げる。――ルシエル、お前をここから一時的に連れ出す。ゲイル殿や拷問官どもには少し口実が要るが……“別室での尋問”ということで通すさ。大人しく来い」

 「……別室?」

 何を企んでいるのか。ルシエルの声には疑念が混じるが、今の状況では逆らう術はない。ヴァリオは淡々と促す。

 「安心しろ。お前を助けるわけじゃないが、殺すつもりもない。お前の話を、もう少し詳しく聞いておきたいだけだ」

 これまでに拷問を担当してきた連中とは明らかに違う態度だが、だからといって信用などできない。だが、ルシエルには選択肢がない。フィナも恐る恐るルシエルを見つめている。

 「……わかった。行く」

 仕方なくうなずくと、ルシエルは壁を伝いながら立ち上がる。足元がふらつき、フィナが思わず手を貸そうとするが、ヴァリオの鋭い視線に邪魔され、身を引いてしまう。

 「すまない、フィナ……」

 そう言いかけたルシエルに、フィナは首を横に振った。

 「わたしなら大丈夫……。あなたは……あなたのやりたいように……」

 決して大丈夫ではないのだろうが、それでも弱音を吐かない彼女の声にルシエルは胸を打たれる。いつかこの娘を含め、地下にいる囚人たちを救い出す――その思いがまた強くなる。

 (必ず戻る。今はそうするしかない)

 気力を振り絞って歩を進めると、ヴァリオに続いて牢の外へ出る。鍵が再び重い音を立て、フィナは一人取り残される形になる。


 ***


 ヴァリオはルシエルを連れ、途中の通路を抜けてさらに別のドアを開ける。そこは地下牢のなかでも比較的整った部屋で、かつては倉庫か何かに使われていたらしい。

 中には古い木製の椅子とテーブルが置かれ、埃を払った形跡がある。ほんの少しの明かりと空気穴があるため、先ほどまでいた場所よりは息苦しさがない。

 「……ここで話す」

 そう告げたヴァリオは、ランタンをテーブルに置き、ルシエルに椅子に座るよう促す。

 「お前の父親――アルバーグ家は、本当に王国転覆を図ったのか?」

 開口一番の問いに、ルシエルは苦々しく唇を噛む。

 「そんなわけがない。父は、王都の腐敗を正そうと動いていただけだ。……そのせいで、逆に貴族たちの恨みを買った」

 「なるほど。やはりな……」

 ヴァリオの瞳がかすかに揺れる。やがて溜息まじりに言った。

 「俺は、その腐敗の片棒を担がされている。騎士団に属してはいても、実態はゲイルの私兵じみた任務を押し付けられ、あちこちの“掃除”を手伝っている。……王国軍も腐りきってるさ」

 その言葉に、ルシエルの胸の奥に苦い怒りがこみ上げる。王国を護るべき騎士が、結局は権力に迎合しているのだ。

 「だったら、なぜお前は俺を――」

 言いかけたところで、遠くから微かな悲鳴が聞こえる。おそらく別の囚人が拷問を受けているのだろう。ルシエルの肩に嫌な汗が滲む。

 「俺がここに来たのは、“一矢報いる”手段を探しているからだ。正直、王国がどうなろうと知ったことではないが、ゲイルやその取り巻きが好き勝手するのは鼻につく。……お前には、その妨害をするだけの材料があるかもしれない」

 ヴァリオの言葉には、冷酷さと同時にどこか諦観した疲れが含まれている。彼にとっても、上層部の腐敗をどうにかしたいという思いが全くないわけではなさそうだ。

 「……なるほどな。確かに俺の家には“証拠”があった。王家や大貴族たちの闇取引を暴く書類や手紙を、父が集めていたんだ」

 「そうか――だが、その書類はもう焼けてしまったんじゃないのか?」

 「……分からない。もしかすると、別の場所に移していた可能性もある。父が“万一に備えて隠した”と言っていたのを、遠巻きに聞いたことがあるんだ」

 その情報にヴァリオの眉がぴくりと動く。彼の瞳が不自然に輝いたのを、ルシエルは見逃さない。

 (この男も結局は、利害で動いているだけか……)

 そう思いながらも、ルシエルにとっては大きな突破口になり得る。何しろ、自力ではこの地下から出ることすら難しい。

 「仮にそれを見つけられれば、ゲイルたちを失脚させることも可能……かもしれない。――だが、手段がいる。お前一人では無理だろう」

 ヴァリオが腕を組み、テーブルの端を指先で軽く叩く。

 「俺は時間をかけて探す気はない。どうにかして、さっさと手に入れたい。お前は俺に協力するか? それとも、あの地下牢でくたばるか?」

 まるで悪魔の囁きのような選択肢だった。ルシエルは目を伏せ、わずかに唇を震わせる。

 (あのフィナや、ほかの囚人たちのためにも……いずれはこの腐敗を潰す力が必要だ)

 心の中で闇の声が再び轟く。

 「踏み出せ。どんな手段を使ってでも、憎き者どもを討つのだ」

 息を整えてルシエルは顔を上げる。

 「……協力する。けど、俺に裏切りをさせる気なら、お前をも喰らう。それでも構わないか?」

 負け犬のように思われたくないという意地を、冷たい声に変えてぶつける。ヴァリオは肩をすくめ、嘲るように笑った。

 「言うじゃないか。いいだろう、利用できる限り、お前の命は繋いでやる――“相互利益”ってやつだ」


 そんな薄氷の同盟が、この地の底で成立しようとしていた。

 館に満ちる淫靡な狂気と、王国全体を覆う汚濁――それらを踏み越えて、ルシエルは復讐へと突き進むしかない。

 “闇の魔王”は、こうして密やかに目を覚まし始めている。

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