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つれないね、分からず屋  作者: 伊藤東京
2/2

初めまして

 私が通う言語学校では少人数授業を採用していて一つの教室に二十人弱しかいない。なので、授業中に沢山発言することができた。他にも能動的な授業にする工夫があった。例えば、授業内で隣の席の人と提示された質問に関して話し合う時間が設けられたり、事前にやる教科書問題を見せ合って答え合わせをしたり、これから書く学生論文を要点化したものを見せ合ったりなどだ。

 授業初日に座った席が自然と皆の定位置になっていたので、そういう授業の中でよく話をする人も決まっていた。私が意気投合したのは、偶然にも私の後ろの席に座った美和子だった。美和子は私と同じように授業中発言することが多く、前向きで外向性が高い。そこにとても好感がもてた。着ている洋服はいつも大人びていて清潔感があり、教科書を入れて持ち歩いているハンドバッグは高級そうだ。

 金曜日のある授業終わりのことだった。美和子に「居酒屋にこれから行くんだけど燈佳も来ない?」と誘われた。

「いいよ。今から行くの?」

「うん。いつも結愛と行くんだけど燈佳も一緒においでよ」

「うん。おいでよ」リュックを背負いながら結愛が言う。

 結愛はいつも美和子と一緒にいる子で、真っ黒な太い癖毛と濃い眉毛が目立つが、大きな目と腰を強く抱いたら壊れてしまいそうな細身のおかげで芋っぽさより小鹿を連想させるような可愛さがあった。アニメキャラクターのような高い声をしていて、それが更に可愛らしさを強調していた。

 授業中グループになって話合うときによく一緒になるけれど、常に私と美和子が話していて、結愛はその聞き手にまわっている状態だったので、お互い話したことはない。なので、結愛も私を歓迎してくれていると分かって嬉しかった。

 重たい教科書を鞄に入れ三人で建物を出る。私たちの言語学校は新宿にある。夜の繁華街やラブホテル街の様々な模様のネオンサインが街中の隙間を埋めつくそうとするように並んでいる。そのおかげで足元は明るいが、光が上から振ってくるので行きかう俯き加減の人たちの顔はよく見えない。華やかな道からやって来た人達とこれからそこに向かう人達が道に混在し溢れている。

 美和子と結愛を見失わないようついていくと、着いた先はビルの入り口だった。光る看板の中にチェーンの居酒屋の名前がある。新宿の学校に通っているとはいえ、学校と今住まわせてもらっている東京都内の祖母の家との往復しかしてこなかった私は、ビルに入っている店に入店したことがなかった。

 緊張しながらも美和子と結愛に倣ってビルの地下に続く階段を降りる。階段が終わったところに居酒屋の入り口があり、入店すると煙と油の臭いが籠った空気の塊のようなものの中に踏み込んだのが分かった。

 冬が近いのに店内の湿度は高く、料理の油と煙、人の熱気と煙草の煙が全て入り混じって肺が重いような、膜が張ったような感覚がする。臭いが肌に纏わりつく。入口から見渡せる限り各個室テーブルには人がみっちり詰まっていて、店内はとても騒がしかった。

 初めて保護者なしで居酒屋に入った。

 店員に案内されて席に着くと、テーブルの上にはタブレットが置かれていて、そこから注文ができるようになっている。お互いの声が少し聞こえ辛いくらいの騒々しさも重い空気と臭いも、不思議なことにすぐ慣れた。

「どうしよう。飲んでもいい?」と美和子がタッチパネルに映るお酒を見ながら結愛に聞く。

「金曜日だし、いいんじゃない?」

「いっか! あ、そういえば私未成年なんだけど、燈佳は私が飲んでも気にしない?」

 今まで、未成年なのにお酒を飲んだり煙草を試そうとする人に出会ったことがなかったので驚いた。もちろんそういう人たちが世の中にいることは分かっていたけれど、実際にそういう人に出会うと思っていなかったし、そういう事をする人は不良だけだと思っていた。

「まぁ、私が飲むわけじゃないし良いよ」

 けれど、美和子も結愛も悪行をするような人たちではなさそうだったので、美和子がお酒を飲むことをわざわざ咎めようとは思わなかった。都会ならそういう事もあるのかな、とすぐに考え直せたし受け入れることが出来た。自分のことでないなら良いかと思ったのが大きかった。

「そう? よかった」

「でも、身分証とかどうするの?」

「ん? 普通聞かれないよ」

「あ、そうなんだ。へぇ」

 美和子の言った通り、タッチパネルで飲み物を注文して暫く経つと店員は何も言わずにアルコールの入ったグラスをテーブルに置いていった。

 私は烏龍茶を頼み、美和子と結愛はカクテルを頼んだ。

「飲んでみる?」と結愛が持っているカクテルを進めてきた。

「いや、私は大丈夫」

 正直、お酒を飲みたいとは思わなかった。好奇心に押されてお酒を飲む人がいるというけれど、私にはそういう気持ちは全く湧いてこなかった。

 昔、葬儀の会食で皆が一斉におちょこを手に取って飲む場面に出くわした時、子供だった私はどうしたらいいのか戸惑い、そのまま日本酒を飲んでしまったことがある。アルコールの入ったチョコレートを食べたこともあった。その時のお酒の味は正直不味いもので、鼻から抜けるアルコール臭が不愉快だった。そもそもアルコール依存症の怖いイメージもあったので、尚更飲もうとは思わなかった。

「本当? ジュースみたいで大したことないよ?」

「やぁ結愛、やめときなよ」

「そっかぁ」

「私たち、無理やり飲ませたりしないから。自分たちだけ自分の責任で飲む人たちだから安心して」

 結愛は天然なのか気分が向上しているのか、悪気は全くなさそうだったので、私も特に警戒することなく「いやぁ、お酒お葬式とかで飲んだことあるけど、全然美味しくなかったから」と断った。

 頼んだ食べ物も直ぐ運ばれ、私たちは課題や先生への不満、なぜ語学学校に来たのかなどの話をした。交換留学ならよく聞く話だが、正規留学生として海外の大学を目指すのは珍しい。その動機に興味があった。

 美和子はまだ大学に行きたくないと思っている時、この語学学校に通っている先輩に紹介され、海外大学は日本の大学の授業風景と違うと知って、それできたと言った。学校の評判を聞いて、自分は英語が苦手ではないと気づいたので語学学校に行くことにしたそうだ。

 結愛も同じようなことを話してくれた。日本の大学には行きたくなかったので、先輩から聞いた語学学校に行くことにしたと。

 二人が酔い始めると美和子が結愛に何か聞き始めた。

「燈佳はこの話題大丈夫かな?」

 結愛は首を縦に振る。

「そう思う?」

「どんな話題?」私が聞くと美和子が私の方に向き直ったので私も姿勢を正した。

「私、自分の見た目が魅力的じゃないのは知ってるのね。けど私セフレがいるんだよね」

「そうなの? へぇ、そうなんだ。セフレ持つ人に初めて会った」

「引かない?」

「いや、そんなことで引いたりしないよ」

 周りに性交をしたことがある人すらいなかったので、セフレがいるという人と出会ったことに驚いた。けれど人の考えは出来る限り尊重し合うべきだと思っているので、自分の考えが侵されるようなことがない限り、人の考えにどうこう言うつもりは全くなかった。

「ほら、言ったでしょ」と結愛が美和子に言う。

「さっき結愛に話していたことなんだけど、私のセフレのことなんだ。実はね、私六人のセフレがいるんだけどさ」

「六人? すご、一人でも珍しいのに?」

「だよね。美和子多いよね」

「いやぁ、私人より性欲が強いんだよね。実際本当に強い」

「どうやってそういう人を見つけるの?」

「それ聞く? わかんないなぁ。友達の友達経由で何人か知ってる。私がセフレ欲しがってるの知ってるから」

「へぇー、すごい新鮮。興味深い。私もっとそういう話聞いてみたい」

「そうなの? じゃあ下ネタの話、してもいい? 酔っぱらってるからか、したいんだよね」

「どうぞ、どうぞ。私も下ネタ好きだから」

 私は美和子に、セフレについて思った疑問を質問した。ホテルへ行く前に食事はするのか? そもそもお金を払ってセックスする時もあるのか?

「一緒に食事をすることもあるけど、恋人というより、友達と一緒にいるようなものだね」「お金は一切払ってもらったことないな。ホテル代たまに俺が奢ってやるよってこともあるけど、いつも割り勘だし」

 結愛が「セックスって気持ちいいの?」と聞いた。

「セックスしたことないの?」

 私たち二人とも首を横に振る。

「へぇ、女の喜びを体験してるって感じだよ。すごい気持ちいい。病みつきになるよ」

 結愛はまるで、先生の話を聞く生徒のように興味深げに聞いている。

「そんなに? 本当に?」私は眉を顰めた。

「燈佳も処女なの?」

「もちろんだよ! 何歳だと思ってるの」

「私と同い年? 十九歳?」

「いや、十七」

「十七⁉」二人の目が大きく見開かれた。

「もっと年上かと思ってた」と言う美和子に結愛が頷く。

 美和子と結愛はお互い顔を見合わせながら「若いね」と言いあった。

「ということは、大人なのは結愛だけなんだ」

「え、そうなの?」

「変なの。結愛、私たちの中で一番若く見えるのに、実は一番年上なんでしょ?」

 私は美和子の言うことに強く同意した。結愛は私たちの中で一番背が低く、体型も細い。十七歳と言われても誰も疑わないだろう。アニメ声もよりその印象を強調している。

「でも不思議だね。私最初、燈佳のこと優等生だと思ってたから、友達にはなれないと思ってた」と美和子が言う。

「そうなの?」と私は、結愛が首を縦に振るのを見ながら返答した。

「別に優等生じゃないし、美和子も授業中によく喋るじゃん」

「あぁ、だってクラスであまり喋らなかったら損じゃん」

「あぁ、わかる。高い授業料払ってるしね」

「そうそう」

 海外大学に行かせますという語学学校だけあって授業料は高額だった。それは、みんな本気で海外大学に行こうとしている証でもあった。

「私気の合う人ができてよかったわ!」と美和子が言う。

「私も! 友達できて嬉しい。私なんとなく人付き合い苦手だからさ」

 もちろん前の学校では変人扱いを受けていたので友達らしい友達はいなかった。休憩時間はいつも小説を読んだり書いたり、絵を描いたりして過ごしていた。語学学校に入った後は海外大学に入学するという明確な目標が出来たので、勉学を猛進するだけで毎日が充実していた。友人がいないことを気にしたことはなかったし、出来ても自分の時間を奪われるだけだと思い込んでいた。

「それは多分、みんな燈佳のこと真面目な人だと思ってるからだと思うよ」と結愛が言う。

「確かに。勉強以外興味なくて、人生の一秒たりとも無駄にしません。みたいなね」

「いやそんなことないよ。真面目かもしれないけど私だって完璧じゃないもん」

「でもいつも授業中自信満々に発言してるし宿題も欠かしたことないじゃん」と結愛。

「そうそう、だから今こうして一緒に食事してることに驚いてるんだよ」

「そう言ってもらえると嬉しい」

 玉子焼き、ポテトサラダ、焼き鳥、から揚げ、アイスクリームを食べ、美和子と結愛は飲みながら、三人で談話を楽しんだ。

 だから、珍しく十二時近くになっても家に帰りたくないと思った。

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