10.暴かれた罪
メリッサの入学を決める契約の日、ティアナはスティーブとアンドルーを伴って再びミシェル・ウェールズの校長室を訪れていた。ティアナの前にはダグレイが、そのソファーの後ろにはアマンダが立っている。
スティーブの差し出した金を確認すると、アマンダはティアナの前に契約書を置いた。サインの所にはティアナの名を書く欄の他に、はっきりとミシェル・ウェールズと校長の名を記す場所がある。それを確認するとティアナはそれをダグレイに差し出した。ダグレイも校長の欄にサインをして用紙をアマンダに渡した。
アマンダは契約書のサインを確認した後、もう一枚の用紙を取り出した。
「これは毎年の寄付金に関する契約書ですわ。寄付金と授業料はコールディアス家が払って下さるので問題はないと思いますが、ティアナ様には一応保証人としてサインを頂きたいと思いまして・・・」
「まあ、念の入ったことね」
「全て書面にしておけば、後から問題が起きる事はありませんから」
「その通りだわ」
再びティアナはサインをしたが、ふと思いついたように頭を上げた。
「ごめんなさい。私、今サインだけをして中の文章をちゃんと確認していなかったわ。もう一度先ほどの書類を見せて下さる?“後から問題が起きない”ようにしておきたいの」
「構いませんわよ」
アマンダは今ティアナがサインした寄付金に関する契約書の上に、先ほど受け取った契約書をのせた。2枚の用紙を持ち上げてじっくり見た後、ティアナはそれを後ろに居るアンドルーに差し出した。
「アンドルー、あなたも確認して」
アンドルーは一歩前に進み出ると、それを受け取り目を通した。そしてニヤッと笑って顔を上げた。
「上出来や、ティアナ」
その声はいつものアンドルーの声ではなかった。ピョンが彼の上着にあるポケットの中から話していたのである。
「ダグレイ・バーキンス校長。残念やがメリッサはミシェル・ウェールズには入学せえへん。そして裏口入学の証拠はバッチリここに頂いたで。勿論、今までの会話も全て録音させてもらってる」
ダグレイは眉をひそめると立ち上がった。
「どういう事だ。貴様、何者だ?」
「ワイが何者でもかまへん。これであんたはおしまいや。ミシェル・ウェールズの校長だけでなく、ハンプストン協会の理事長の座も追われるやろうな。まあ憎たらしいウィザーストーン家にほんのちょっとの間でも復讐出来て良かったやないか。もう気は済んだやろ?」
「気が済んだ・・・だと?」
ギリッと歯を噛みしめると、ダグレイはゆっくりアンドルーに近づいた。
「お前に何が分かると言うんだ?若造が。この私の受けた屈辱の日々を、お前などに計り知る事が出来るとでも言うのか?」
「バーキンス。子供の頃、あんたと同じように辛い目に遭った子はこの世界に五万とおる。そやけど、みんなそれを乗り越え、バネにして本当の幸福をつかみ取ってるんや。あんたも恨みと復讐を糧に成功を掴んだ。それはええやろ。そやけど憎む相手に報復をしてしまったら、それはあんたも、あんたをいじめた奴等と同じという事になるんや。しかも復讐を果たすだけでなく、あんたは不正に手を出しても己の欲を満たそうと考えた。それはどんな言い訳をしても許される事ではない。ウィザーストーン男爵が今、己の幼き日の罪を悔やんでいるように、あんたも己の犯した罪を今から償っていくんや」
ダグレイは腹立たしさに頬を震わせた後、テーブルを両手で叩いた。その後崩れるように床に膝をついた。
呆然と成り行きを見ていたアマンダはそれを見て急に我に返ると、そそくさとそこから逃げようとした。それを見つけたピョンはすかさず叫んだ。
「アマンダ・リゴレイ!」
ビクッとして立ち止まったアマンダは顔を強ばらせてアンドルーを振り返った。
「校長の秘書やったあんたが、何も知らぬでは済まへんで。もうすぐハンプストン協会の理事に依頼された調査団がここにやって来る。あんたらの処分は協会に一任するが、事が事だけに協会ももみ消すわけにはいかんやろ。一緒に警察に行って、しっかり反省するんやな」
短いため息を吐き出すと、アマンダもがっくりと床に崩れ落ちた。その全ての成り行きを校長室の入り口の陰から見ていたのは、プードリー・オルバインだった。彼はうろたえたように目を左右に動かすと、そっとその場から離れた。逃げるように教会の裏庭までやって来たオルバインは懐に手を入れて自分の携帯を取り出した。
「冗談じゃない。わしまでとばっちりを受けてたまるか」
そう呟きつつ携帯を開いて操作し始めた時、後ろから「ほお、証拠はまだそこにあったか」と言う声がし、ビクッとして振り返った。さっきバーキンスを追い詰めた長い黒髪の男がこちらに向かって歩いてくる。オルバインは震える手で携帯を握りしめながら、彼が近づいて来るのを見つめた。
「リーブ・ウィザーストーンを辱めるメールは、まだそこに残っているようやな。ああ、別に消してもかまへんで。リーブの携帯にあんたの携帯のメールアドレスが残っているはずやからな。携帯会社に問い合わせれば、すぐに送り主は分かる。それにしても自分の生徒をおとしめて喧嘩をさせようやなんて、教師のする事ちゃうなぁ。何か言い訳あるか?」
オルバインは泣きそうな顔で首を左右に振った。
「わ、わしはただ、校長に頼まれただけだ。わしの意志でやったわけじゃない!」
「はっ、面白くもなんともない、くだらん言い訳やな。校長に頼まれた後、自分の意志でやったんやろ?ナギサ・コーンウェルを追い出す為に」
オルバインは更に震えながら、目の前に居る背の高い男を見上げた。なぜこの男はあの女講師と自分の確執を知っているのだろう。やはりあの女は魔女でこの男を操っているのだろうか。そうだ。校長の罪もわしが追い出そうとしているのも知って、あの女が全てを企んだのだとしたら・・・。
「やはりあの女は魔女なんだ。魔女がわしを陥れようとしているんだ!」
頭を抱えながら叫んだオルバインに、ピョンはため息をついた。この男は妙な妄想で頭がおかしくなっているのかもしれない。
「ナギサが魔女?ワイにはお前の方がよほど悪魔に見えるけどな。プードリー・オルバイン。今度ナギサに手を出したら・・・」
ピョンがそこまで言いかけた時、アンドルーがつかつかとオルバインに歩み寄り、胸ぐらを掴んで顔を近づけた。
「今度ナギサ先生に手を出してみろ。お前もブタ箱にたたき込んで臭い飯を食わせてやるからな!」
オルバインの胸ぐらを投げるように放すと、アンドルーは背を向け歩き出した。
「言うやんか、アンドルー。ワイの台詞、全部取られてもうたわ」
ポケットの口からニヤニヤと笑いかけるピョンに、アンドルーはまだ憮然としたまま答えた。
「当たり前だ。ナギサ先生を魔女だなんて言う奴は、俺が絶対許さない。絶対にだ!」
ピョンと共にダグレイを追い詰めたアンドルー(話していたのはピョンだけだが)は、少々ヒーロー気分になっていた。
その後ダグレイの不正が明らかになった事で、裏口入学を申し込んだ親達も罰せられる事になり、不正に入学していた生徒達はそれぞれ元いた学校に戻される事になった。廃止された戒律は元に戻る事になったが、一度導入したコンピューターのネットワークなどは引き続き使用され、携帯の使用も許可された。(その分インターネットや携帯の所持に関する項目が戒律書に追加されたが・・・)
プードリー・オルバインも今回の生徒間の喧嘩を誘導するようなメールを送った件以外に、以前から生徒達への暴言などを吐いていた事が浮上し、ハンプストン協会から離職を言い渡された。
そして以前退学になった3人の生徒やリーブと彼の友人、アランとジェームズも無事復学を許され、やっと学園は落ち着きを取り戻した。
ハンプストン協会から新しい校長が派遣されるという日の朝早く、渚はマリアンヌに呼び出され、エレーヌの庭に来ていた。まだ少し霧にむせぶ小道を歩いて行くと、教会の向こうに見える朝日に向かって立つマリアンヌが見えた。その背中は何かを決意した事を示しているように決然としていた。きっと彼女はもう決めたのだろう。父の元へ戻り、11年間暮らしたこのミシェル・ウェールズを去る事を・・・。
「マリアンヌ・・・」
渚の声にマリアンヌは瞳を細めて微笑みながら振り返った。
「お早う、ナギサ。朝早くから呼び出してごめんね」
「ううん。それより・・・決めたんだね」
渚はできるだけ笑顔を作って尋ねた。
「ええ、決めたわ。私、ここに残る事にしたわ」
「・・・え?」
予想外の答えに渚は驚いた。まさかまだ父親の事を許せないのだろうか。
「誤解しないでね。ちゃんとパパにはこの間の事を謝って仲直りしたのよ。これからは休みの日には外出許可を取ってパパと妹に会いに行く約束もしたの。ここに残るのは色々考えた上での私の決断よ。私は洗礼を受けたシスターとしてシスター・ボールドウィンのような立派なシスターになれるよう頑張りたいの」
「でも・・でもマリアンヌ。私は期間講師で期限が来たらここを去って行くわ。もうウィディアも居ないのよ。寂しくはない?」
「寂しくないと言えば嘘になるわ。でもね。私はここでナギサやウィディア、そしてパパや妹、私の大切な人達の幸せを祈っていたいの。それがシスターとしての私の生き方なの。そういう幸せも、あっていいと思うのよ」
渚は何も言えずにマリアンヌの顔を見上げた。自分が考える普通の女性としての幸せ。それが価値のあるものか無いものかを決めるのはマリアンヌだ。マリアンヌはシスターとして生きる事に意義を見いだした。いつかシスター・ボールドウィンのような立派なシスターになる事を目標にして・・・。
「マリアンヌ」
渚は友の手を取り、その透き通るような心を映した瞳を見つめた。
「あなたはもう立派なシスターだわ。あなたの友になれた事を心から誇りに思います」
「ナギサ・・・」
マリアンヌが輝くような笑顔を渚に向けた時、表の大門が開く音がして大きな黒い車が滑るように入ってきた。それは以前ダグレイが乗ってきたハンプストン協会の車だったので、彼女達にはそれに乗っているのが教会から派遣されてきた新しい校長だと分かった。
「今度はどんな人かしら」
「きっと教会の理事の一人よ」
ため息をつきながら1号館へ向かって歩き始めた二人は車から出てきた人物を見て、驚いたように顔を見合わせた。
小さな鞄を持ち、少し着古した黒いシスタードレスの裾をただすと、彼女はいつものように背筋を伸ばした。
「おや、ナギサ、マリアンヌ。朝早くから出迎え、ご苦労様ですね」
滅多に笑わない彼女の顔が、朝日にきらめいて見える。渚とマリアンヌはその懐かしい姿に向かって一目散に駆け出した。
「シスター・ボールドウィン!」
「校長先生!」




