9.復讐を果たす日
うなだれたリーブは彼の取り巻きであろう、数人の女の子に囲まれて彼等の寮がある3号館へ帰って行った。シスター・リリーも急いで教室を出て行き、ガタガタと音をさせながらジェームズ達が片付けを始めたのを見届けると、渚はハリスを連れて先ほど行かなかった生徒会室のある方へ向かった。まだ役員が2人しか来ていなかったが、その者達にシスター・モーリスが遅れる事を伝え、渚はその隣の空き教室にハリスと入り扉を閉めた。
ハリスが座った席の前に椅子を持ってきて座ると、渚はとりあえず彼の携帯を返した。
「ハリス。リーブはあなたを犯人だと決めつけていたけど、あなたにはその理由が分かっているんじゃないの?」
ハリスはドキッとしたが、渚から目をそらした。
「そんなの知らない。あいつが悪いんだ」
渚は顔をそらしたままのハリスをじっと見つめた。
「ハリス。確かにあなたから見たら、ここの生徒達は古い慣習に縛られ、何百年も前から続く身分制度を振りかざす嫌な子達かも知れないわ。でも彼等は祖先から続く歴史や因縁、逃れようのないしがらみ、その全てを背負う宿命を担っているの。それはとても重くて辛い義務でもあるわ。私達はそんな物に縛られなくて本当に良かったって思えるほどにね。ねえ、ハリス。あなたにだって不満はあるでしょう?彼等にだって不満はあるわ。思い悩んで眠れない夜やパパやママに会いたくて涙を流す日も・・・。私達と同じなのよ。同じ心と同じ思いを持って生きているの」
渚の言葉は11歳のハリスにも静かに伝わってきた。あいつもママに会いたくて胸が痛くなるほど辛い夜があるのかな・・・。
「でも、あいつ等みんな愚かだって。カビ臭い身分を振りかざして僕達を見下してるんでしょう?」
「そんな事、誰が言ったの?」
ハリスは少しの間黙った後、又呟くように言った。
「校長・・・先生・・・」
渚はびっくりして息を飲んだ。なぜダグレイが彼等にそんな事を吹き込んだのだろう。校長という立場にある人が・・・?
「特にリーブや取り巻きのアランやジェームズは一番のバカだって。身分を鼻に掛けて僕達をいじめてくるだろうから絶対負けちゃ駄目だって言われたんだ」
あまりの事にどうしていいか分からないまま、渚はハリスにも寮に戻るように言い、自らも帰宅した。家に戻ると着替えもせずにさっきの出来事をピョンに話した。話を聞き終えたピョンはしばらく「うーん」と言いながら考え込んでいた。
「つまり校長はそのハリスって子にわざわざ3人の生徒の実名まで出して、彼等が諍いをするように仕向けたっちゅう事か・・・」
ピョンの見解に渚も頷いた。
「どうしてダグレイはそんな事をしたのかしら。私、ちょっと信じられなくて・・・。でもハリスは嘘を言ってないと思うわ」
「そうやなぁ。とりあえず・・・」
ピョンが言いかけた時、渚の携帯が鳴った。見てみるとティアナからだったので急いで出た。渚は彼女に「ちょっと待って」と言って携帯をスピーカーに切り替え、ピョンにもティアナの話が聞こえるようにした。
ティアナの話はダグレイの秘書からメリッサの入学を許可するという連絡があったというものだった。契約金は5万ポンド。その他に年に1万ポンド以上の寄付金を納める事が条件だ。
寄付金まで取るとは随分欲深な男だ。そう思いつつ、ピョンはティアナに言った。
「全て向こうの言う通りにすると伝えてくれ。それから契約日は一週間後にするんや。少し調べたい事がある」
次の日の朝、渚が学校に行くと、リーブの事件は学園中に広まっていた。当事者のリーブとハリス、ジェームズとアラン、そしてレヴィンの5人はシスター・エネスから部屋で謹慎を言い渡されていたので、噂の渦にさらされる事はなかったが、授業が終わった頃校長からなぜかリーブ、ジェームズ、アランの3人だけが呼び出された。
厳しい表情の校長を前にリーブ達は胃が縮まる思いだった。斜めに傾いていく夕日まで、自分達の運命を物語っているようだ。案の定、大きくため息をついた校長が言い渡したのは“退学”という処分だった。
家が恋しくて脱走した生徒を言い訳も聞かずに退学にするような校長だ。その処分もある程度、覚悟はしていた。でも一つだけ納得が出来ない事があった。
「どうしてここにハリスとレヴィンがいないんですか?彼等だって一緒に喧嘩したんだから同罪じゃないですか」
「彼等は被害者だ。君に飛びかかられたハリスは腰と背中を打って手にも怪我をしている。殴られた頬も腫れていて君よりひどい。訴えられなかっただけでもありがたく思いたまえ」
吐き捨てるような言葉にアランとジェームズはどうする事も出来ずにうつむいた。これから先の事を考えると泣き出したいほど怖かった。
「でも・・・彼等はずっと僕等の事を侮辱してきたんです。だから僕はメールが送られてきた時てっきり・・・。校長先生。せめてアランとジェームズは助けて下さい。退学にするなら僕だけを・・・」
その時、うっすらと笑みを浮かべたダグレイの瞳の冷たさに、リーブは体中の血が凍り付くような恐怖を覚えた。それはただ冷たいだけではなかった。その瞳の奥に、まるで燃えるような憎悪をリーブは子供ながらに感じ取ったのだ。
「リーブ・ウィザーストーン君・・・」
ダグレイはゆっくり立ち上がると、まるで地獄の底から響いてくるような足音をたてながらリーブに近づき、腰をかがめて顔をのぞき込んだ。
「それでもウィザーストーン男爵家の跡取りかね?君のお爺様が聞いたら、さぞかし嘆き悲しむだろう。彼と私はこのミシェル・ウェールズで同じクラスだった。彼なら言い訳やつまらぬ命乞いなど、紳士の恥だと言うだろう。さあ、もう寮に戻ってここを出て行く準備をしたまえ。君達は明日になったらもう、ここの生徒ではなくなるのだからね」
ー 次の日 ー
「お待ち下さい、ウィザーストーン様!」
「お待ち下さい!」
2人のシスターが必死に止めようとする声をもろともせず、年月を経たミシェル・ウェールズの床に大きな足音を響かせ、1人の紳士が校長室へ向かっていた。ウィザーストーン家の当主、カヴァリー・ウィザーストーン男爵だ。彼はその厚みのある手の平で思い切り校長室のドアを開けると、足を踏み入れた。
「わしの孫息子を退学にしたのはお前か!!」
徹底的にリーブを侮辱し、ここから叩き出したのだ。プライドの高いこの男がこうやって来るのは分かっていた。いや、私は待っていたのだ。この時を・・・・。
デスクの椅子から立ち上がると、ダグレイはゆっくりと怒れる男の前へと歩いて行った。立ち止まった時、彼の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「ようこそ、カヴァリー。久しぶりの学園はどうだい?変わらないだろう?」
自分の事をよく知っていそうな(しかし見覚えのない)男に親しげに話され、ウィザーストーン男爵は訝しそうにダグレイを見た。
「お前は・・・誰だ」
「忘れたのかい?毎日のように君は仲間と僕をなじってストレスのはけ口にしていたじゃないか。時にはヘルフォードとマストラントに暴力を振るわれた事もあったな。懐かしい思い出だよ」
カヴァリーは頭を巡らせ、幼き日の事を思い起こした。まだ心に歯止めがきかない少年の頃、奨学金を貰って入学してきた少年になぜか無性に腹が立った。貴族でもない、しかも貧乏人のくせにこの僕と肩を並べて勉強するなんて許せない。そんな感情にまかせて、その少年を仲間と共に良くいじめていた。その少年の名は・・・・。
「ダグレイ・バーキンス?そんな、まさか・・・お前が・・・?」
「おや、良く覚えていたね。そう言えば君は記憶力が良かったからなぁ。だが・・・」
ギラリとした目でカヴァリーを見ると、ダグレイは拳を握りしめ、それを彼の左頬の脇に打ち付けた。ダン!っと激しい音がし、壁の石膏がパラパラと落ちていった。ダグレイは拳を壁に押し当てたまま、宿敵に顔を近づけ、低い声で言った。
「お前だと?言葉に気を付けたまえ。私はミシェル・ウェールズの校長だよ。ようく覚えておくがいい。私がこのミシェル・ウェールズの校長で居る限り、ウィザーストーンと名の付く者は二度とこの学園に入る事は出来ない。無論、ヘルフォードとマストラント家も同じだ。お前達は一族そろって一生、社交界からはみ出し者になるがいい。ミシェル・ウェールズは二度とお前達を受け入れない。二度とだ!」
最後の言葉に力を込めると、ダグレイは右手を壁から離した。目の前にある憎悪に歪んだ顔を見つめ、ウィザーストーンは震える声で尋ねた。
「復讐か?わしへの復讐の為にリーブを・・・」
「報復を受けても仕方のない事を君は行ってきた。それがいかに紳士として恥ずべき行為なのか、今の君なら良く分かるだろう?」
憎しみと勝利に満ちた瞳をもはや見つめ返す事は出来なかった。カヴァリー・ウィザーストーンは急に老いてしまったように肩を落とし、校長室から出て行った。
まだ握りしめていた拳からは血が流れていた。それを見たダグレイは急に笑い出した。
「くっくっくっくっ、ハハハハ、アーッハッハッハッハッ!」
40年以上もの間、自分を苦しめた幼き日の恥辱を今やっと晴らしたのだ。体中を巡る歓喜があふれ出しそうで、ダグレイは両の手の平で机をバンバンと叩いた。それが終わると左手を頭に当てて更に笑い続けた。腹がよじれるほど笑った後、一息ついたダグレイはぼそっと呟いた。
「ざまーみろ・・・」




