6.ダグレイの秘密
それから一週間、渚は新しく入学してきた生徒達の事を調べた。生徒の記録は全てシスタールームのパソコンの中に入っているが、期間講師の渚には閲覧の権限がなかった。それで生徒一人一人とメールアドレスを交換し、ついでに家の住所も教えてもらうという方法をとったので時間がかかったのだ。マリアンヌにも協力を頼みたかったが、父親が現れて以来、塞ぎ込んでいる彼女に無理は言えなかったので今回は渚一人で頑張った。
その資料を渚が集めている間に、ピョンはダグレイ・バーキンスの事を詳しく調べ上げた。そして渚から生徒の資料を受け取った次の日には彼等の調査も全て終わらせてしまった。なんと言っても妙な誤解が解けて渚の機嫌が直ったので、ピョンは絶好調だ。
「これで大体の事は分かったな」
リビングのソファーで渚が作ったデザート(今日はイチゴのムースだ)を食べながらピョンが呟いたので、渚はびっくりした。
「え?たったあれだけで分かったの?ダグレイの目的が?」
「まあな。とりあえずワイが調べたダグレイ・バーキンスの過去から話そか」
ピョンは最後のイチゴのムースを口に入れると良く味わってから飲み込み、説明を始めた。
ハンプストン協会の協会員は全てミシェル・ウェールズの卒業生から成り立っているので、当然理事会長であるダグレイもミシェル・ウェールズの卒業生である。だがダグレイは他の学生のように名門の家の出身ではなかった。今はもう廃止されたが、当時のミシェル・ウェールズは奨学生制度を導入しており、ダグレイはその優秀さ故に貧しい家の出自であるにもかかわらず、幸運にもミシェル・ウェールズに入学できたのだった。
しかし入学してからの彼は決して幸福ではなかった。家柄や血筋を重んじる同級生達に何かというと差別され、ひどいイジメを受けていたからだ。
それでも毎日のように浴びせられる侮辱の言葉に決して屈しなかったのは、名門の名の上にあぐらをかき、それを振りかざしている同級生達を心の底から軽蔑し、憎んでいたからだ。そんな奴等のせいでミシェル・ウェールズを中退するなんて、ダグレイのプライドが許さなかった。
そして彼は誰にも心を開かないままミシェル・ウェールズを卒業後、他の生徒の様に私立には行かず、公立の学校に進学し、最終的には伝統的な修士号MBA(Master of Business Administration)を取得した。その後会計士や経営コンサルタントの仕事を経て、大手企業の取締役なども兼任しつつ、経済学を学ぶ多くの学生の支援活動にも務めた。その功績を買われ、ハンプストン協会の理事長の後任に任命されたのだった。
「・・・とまあ、ここまで聞いたらプライマリー・スクール(初等教育)時代にいじめられた奴がいじめた奴を見返す為に頑張って成功を収めたっちゅう美談になるわなぁ」
「違うの?」
渚も最後のイチゴムースをゴクンと飲み込みながら尋ねた。
「ハンプストン協会はイギリス中の教育機関だけではなく王室や貴族にも影響力を持つ組織や。そこのトップにまでなった奴がいくら4年前に負けたからって一つの学園の校長の座にそこまで執着する必要があるか?そこで出てくるのが、今回新しく入学してきた生徒達や。マリアンヌが何となく気付いていた通り、全員ミシェル・ウェールズに入学できる家柄ではなかった。そやけど皆、間違いなく大金持ちの子供等や。これが何を意味しているのか分かるやろ?」
渚は二人しか居ないのに、思わず声を潜めて答えた。
「つまり、高額なお金を取って入学させてるって事?それって裏口入学じゃないの?」
「その通りや。ミシェル・ウェールズの改革やなんや言うてるけど、これは伝統をぶっ壊す以前の問題やな。バレたら間違いなく理事長の座を追われる。まあ、そう簡単に尻尾は出せへんやろけどな」
渚は何も告げずに去って行ったシスター・ボールドウィンの事を思った。彼女は校長になるずっと以前からこのミシェル・ウェールズで暮らしていた。ここは他のシスター達と同じようにシスター・ボールドウィンの家だった。それをいきなり取り上げられ、憤りを感じないはずはなかったはずなのに、たった一人でそれを受け止め誰にも愚痴をこぼさなかった。今彼女はどこに居て、どんな思いで暮らしているのだろう。
閉じた瞼の奥に、きっと去って行く時でさえ、凛としている背中が思い浮かんだ。
渚にはやっとダグレイ・バーキンスの目的が分かった気がした。彼はミシェル・ウェールズを改革する為に来たのではないのだ。ミシェル・ウェールズの伝統を一番に守り続けるシスター・ボールドウィンを追い出し、寮を抜け出したというだけで名門の子供達を退学にして、お金を積んだ親の子供を入学させる。でもそれはきっと金の為だけではないだろう。全ては彼が何より憎んでいる下らない階級意識に縛られ、古びた伝統を誇示する学園に復讐する為・・・。
「ピョンちゃん、やっぱり駄目よ。ダグレイを放ってはおけないわ。彼はきっとミシェル・ウェールズをめちゃくちゃにしちゃう。だって初めて私達の前で挨拶をした時、彼の声は憎しみに満ちていたもの。でもどうやったら裏口入学の証拠を掴めるか・・・」
そう言いつつピョンを見た渚は驚いたように言葉を止めた。ピョンが大きな口の端を上げてにニヤリと笑っていたからだ。
「もしか・・・して、もう何か考えてるの?」
「フッ、あったり前や。このスーパー・スペシャル・グレートカエルのピョンちゃん様にとってこんな事件は難事件でも何でもない。ほらおったやろ?ワイ等の知り合いに。名門やないけど、有り余るほど大金持ちの赤毛のお嬢様がな」
「ティアナ?でも彼女はもうセカンダリー・スクール(中等学校)よ」
「渚。金持ちにはな、金持ちのお友達がおんねんで」
最近自慢だったお嬢様風縦巻きカールをバッサリ切って、母と同じショートヘアーにしたティアナは、かなりセクシーになったとご満悦だ。もちろん誰かにそう言われた訳ではないが・・・。
スティーブとアンドルーも今日は久しぶりにネクタイをしっかり締めて、黒スーツに身を固め、ミシェル・ウェールズの校長室にあるソファーセットに座っているティアナの後ろに控えて立っている。ティアナの隣にはまだ7、8歳の小さな女の子が上から下までブランド品を身につけて座っていた。
いつもの自信満々な笑みを浮かべて、ティアナは自分の前のソファーに座っているダグレイに話しかけた。
「お会いできて光栄ですわ、ダグレイ・バーキンス校長先生。私はティアナ・ゴードン。父はウィリアム・フード・サービスの社長をしておりますの。それからこちらはミス・メリッサ・コールディアス。コールディアス財閥はもちろんご存じですわよね」
「ええ。もちろん存じ上げておりますよ。2つの財閥のお嬢様にお会いできてこちらこそ光栄です。所で今日はこのミシェル・ウェールズに何のご用で来られたのですか?」
ティアナはニヤリと笑うと、後ろに居るスティーブに声を掛けた。スティーブは黙って前に進み出、手に持っていたスーツケースをダグレイの前のテーブルに置き、蓋を開けた。中には紙幣がぎっしりと詰まっている。
「私は回りくどい話は嫌いなのよ、ミスター・バーキンス。ここに5万ポンド(約850万円)あるわ。これでメリッサをミシェル・ウェールズに編入させてちょうだい」
ダグレイは無表情にスーツケースの中身を見つめた後、ティアナに目を戻した。
「一体何の話ですかな?」
「隠さなくてもいいのよ。私はね、ずっとミシェル・ウェールズに入りたかったの。でも前の校長、確かシスター・ボールドウィンといったかしら。あの頑固で意固地のお婆さんが、私の父の申し出をはねつけたのよ。私が成り上がりの娘だから駄目ですって。失礼にもほどがあるわ!」
ティアナは怒りをあらわにするとダグレイの目をじっと見つめた。
「ねえ、ミスター・バーキンス。お金でどうにもならないものがこの世界にあって?伝統や血統でお腹が膨れるものですか。ここに居るのはみんな名門の名を守る為だけに生きている愚か者ばかりだわ。私はそんな奴等を見下してやりたいの。でも残念な事に私はもう中等部だし、それで私の妹分のメリッサを入学させたいのよ。この子ならきっとやってくれるわ。ねえ、メリッサ」
「私、あの子達だーいっ嫌い。私のブランドコレクションを成金趣味って笑ったのよ。フン。どうせ高級ブランドに身を固めている私を妬んでいるんだわ」
小さな女の子はその年に似合わない大きなシャネルのピアスを片手で触りながら答えた。
「ね?ミスター・バーキンス。メリッサはとてもいい子でしょう?」
微笑みを向けられたダグレイは愉快そうにクスクス笑った。
「あなたは面白い方だ、ティアナ嬢。ですがひとまずこの金はお持ち帰り下さい。編入の件は私の一存では決めかねますので、もう一度ご連絡を差し上げます」
「分かったわ」
ティアナはスティーブにスーツケースを片付けさせると立ち上がった。
「いい返事を待っているわよ。バーキンス校長」




