7.勝利の行方
照りつける日差しの中、3人の選手が出そろった。北側の入り口から出て来たのは不戦勝で勝ち上がってきたエドロ。しっかりと鍛え上げられた太い腕に、手には剣では無く鉄の棘の付いた棍棒を持っている。東からはプロディヌス。そして西側から剣を肩に担いでアルティメデスが現れた。3人の姿を見ると観客達は大歓声を上げ、ヤジにも似た声援を送った。
アルティメデスとプロディヌスの試合を見ていたエドロは2人が同じ位の実力だと感じていた。だがプロディヌスはさっき試合を終えたばかりで疲労も回復していないだろう。それに体中傷だらけだ。やるならこいつから・・・と心に決めた。
アルティメデスは“どっちからかかって来る?どっちでも良いぞ”と余裕の表情だ。プロディヌスは状況を判断するように対戦相手の2人をじっとにらみ据えていた。
「どうした、奴隷!とっととやっちまえ!」
「2人殺せば自由がもらえるぞ!」
観客席のあちこちから飛んでくる嘲りの声にエドロが走り出した。棍棒を振り上げプロディヌスに襲いかかる。プロディヌスの身体は大きなエドロの向こうに隠れてアルティメデスからは見えなかった。それでも激しく剣と棍棒をぶつけ合う音が聞こえてくる。やがてプロディヌスの一撃がエドロの腹を貫き、彼の身体が音を立てて倒れると、その向こう側に大きく息を切らしたプロディヌスが立っていた。彼はすでに戦闘態勢に入っているのか、エドロには目もくれず、アルティメデスの方をにらみつけている。
それを見てアルティメデスはニヤリと笑うと剣をプロディヌスの方へ向け叫んだ。
「お前に息を整える間を与えてやる。準備が出来たらかかって来い!」
それを聞いたプロディヌスは大きく息を吸い込み、両手で剣を握りしめた。
「そんな必要はない!」
猛然と走って来るプロディヌスを見て、アルティメデスも剣を構えた。
ー ガッシーンッ!! ー
剣と剣が激しくぶつかり合う音が響いた。互いの手がじんじんとしびれる。試合を見守っていたエルサは、にらみ合うアルティメデスとプロディヌスを見て息を飲みながら両手を胸に押し当てた。この勝負、どちらか負けた方が必ず死ぬだろう。そう考えると恐ろしかった。
アルティメデスの振り回した剣がプロディヌスの服を引き裂く。すぐさまプロディヌスの剣がアルティメデスの髪をかすめた。大きく息を切らしながら互いに剣を構え、にらみ合う。
「やああっ!」
叫び声を上げ走り出したのはアルティメデス。彼の重い剣を受けるプロディヌス。上から押さえつけられた剣を渾身の力を込めて弾き返す。後ろに下がったアルティメデスに攻撃する間を与えずプロディヌスが攻め立てる。それを受け止めながらアルティメデスは相手の懐を狙い、剣を突き立てた。
とっさに身を翻しそれをよけ、プロディヌスがアルティメデスの頭上から斬りかかる。アルティメデスは地面に片手をついてそれをよけると、素早く立ち上がり、プロディヌスの上から剣を振り上げた。その瞬間アルティメデスの腹から血が噴き出し、一瞬アルティメデスは息が止まったようになった後、あえぎながら倒れた。
「アルティメデス!」
エルサは叫んで立ち上がると、前に居る観客を押しのけ、石の階段を走り降りて行った。アルティメデスは歯を食いしばり片手で腹を押さえながら立ち上がろうとしている。プロディヌスはゆらりと立ち上がると、剣を下に向け柄を両手で掴みアルティメデスに近づいた。
「とどめだ」
だがその目の前に一人の女が立ち塞がった。両手をひろげ、頭の上に縛り上げた茶色の長い髪を風に揺らしながら女は微動だにしなかった。
「どけ。そいつを殺して俺は自由になるんだ」
「彼を殺せば自由になるどころか、あなた死刑になるわよ」
そんなエルサの言葉にもプロディヌスは耳を貸さなかった。
「どかねばお前も殺す」
その時、アルティメデスの名を叫びながらゼルダとゴードが彼の側に駆け寄ってきた。
「アルティメデス様、しっかりなさって下さいませ!アルティメデス様!」
ゴードは荒い息を繰り返すアルティメデスを抱きかけ、必死に叫んだ。
アルティメデス。その名がこの国の皇太子である事を奴隷であるプロディヌスでさえ知っていた。
「まさか・・・そんな?」
信じられないようにプロディヌスが呟いた。
「そうよ。彼はこの国のただ一人の皇子、アルティメデス皇太子よ。剣を引きなさい、プロディヌス!」
エルサの言葉に、プロディヌスは力が抜けたように持っていた剣を地面に落とした。知らなかったとはいえ、奴隷が皇子を傷つけた。それは例え皇子の命が助かったとしても死刑に値する罪だ。もしかしたら主のドーマ家にも咎めがあるかも知れない。カンダスは傲慢な男だが、主人のバーバラスはサタドールに出る事を快く許可してくれた心の広い主だったのに・・・。
プロディヌスの頭の中に、先ほどカンダスが言った呪いの言葉が蘇ってきた。
ー その鉄の足かせが取れる時はお前が死んだ時だけだ。お前がドゥラ以外の名で呼ばれる事は一生ない ー
ただ、自由になりたかった。それだけなのに・・・。プロディヌスはその場に力なく崩れ落ちると、悲嘆に暮れ、涙を流した。
アルティメデスの息が絶え絶えなのを見たゼルダは、激しい怒りを感じた。
「おのれ、たかが奴隷ごときが・・・!」
剣の柄に手を掛けた時、その手を弱々しい手が握りしめた。
「アルティメデス様?」
アルティメデスは小さく首を振ると、エルサに声を掛けた。
「その者を・・・ここへ・・・」
エルサに連れられてきたプロディヌスは、全ての力を失ったようにアルティメデスの側にひざまずいて地面に頭をこすりつけた。
「お許しください。お許しください!」
許される事などないと分かっていたが、プロディヌスにはそれしか言えなかった。
「プロ・・・ディヌス」
皇子の手が肩に触れ、プロディヌスはビクッとして顔を上げた。
「見事だったぞ、プロディヌス。そなたは明日から俺の私兵だ。その足かせは俺の手で外してやる。それで良いな?」
「あ・・あ、ありがとうございます。ありがとうございます。アルティメデス様!」
再びプロディヌスは地面に頭をこすりつけ、むせび泣いた。だがその涙は無情の喜びに満ちた涙だった。
「ゴード、行ってくれ」
そう言った後、眠るように気を失ったアルティメデスを抱きかかえ、ゴードは急いで城に戻り、ゼルダとエルサもその後に従った。ただ一人競技場に残されたプロディヌスはまだ地面に頭を付けたまま泣いていた。そして死ぬ間際、母が残した言葉を噛みしめていた。
「プロディヌス。お前の名は“太陽の子”という意味だと教えたね。いいかい?いつかサタドールに出て優勝するんだ。そしてその名の通り、太陽の下で自由におなり。いつかお前のその手で自由をつかみ取るんだ」
この母の言葉があったから、どんなにカンダスに痛み付けられても、ドゥラと蔑まされても生きてこられた。プロディヌスはやっと顔を上げ、青く透き通る遠い空を見つめた。
「やったよ、母さん。俺は自由を掴み取った・・・!」
観覧席で全てのやり取り見ていたサンティアヌスは、怒りのあまり「あの、バカ息子がぁ・・・っ」と呟いた。皇帝の手がわなわなと震えているのを見て悪い予感がしたプラトスは、彼の前にひざまずき頭を下げた。
「陛下。お怒りはごもっともでしょうが、あの奴隷を殺しては皇子が嘘の約束をした事になります。奴隷も知らずにやった事。どうか寛大なお慈悲を持ってお許し下さいますよう・・・!」
サンティアヌスは不満そうに大きく鼻から息を吐き出した。
「あのバカ息子の面子など知った事ではないわ。だがあの奴隷に罪がない事は分かっておる。アルティメデスが出場している事を黙っていたそなたの娘ごにもな。今回は何も見なかった事にしよう。サタドールは終了じゃ。戻るぞ!」
大勢の従者を連れて去って行くサンティアヌスの背中を見つつ、プラトスはホッと肩を下ろした。だが今回は・・・と言う事は次はないという事だ。アルティメデスにもエルサにも。当然だろう。皇帝を謀った罪は重い。ましてや皇子が奴隷に負けるなど、国の恥にもなりかねない。よく目をつむって下さったものだ。
「全く・・・困った子供達だ」
プラトスは腰が抜けたようにその場に座り込むと大きくため息をついた。
アルティメデスの腹の傷は深かったものの、致命傷にはならず命は助かった。それでも三日三晩高熱が出て、その後更に2日間眠り続けた。その間エルサはずっと彼の側にいて看病を続けた。サタドールで皇子の命を救ったのはエルサだと皆が知っていたので、彼女がアルティメデスの看病をする事に口を挟む者は誰も居なかった。6日目の朝、アルティメデスが目を覚ますと、涙があふれそうになっているエルサが目に入った。
「何だ。俺が死ぬとでも思ったのか?」
偉そうに言っているが、アルティメデスの声はまだ弱々しかった。その声にたまらなくなって、エルサの目から再び涙がこぼれ落ちた。
「あなたは馬鹿です。本当に大馬鹿者です」
アルティメデスは小さく微笑んだ。
「やっぱりお前は偉そうだな・・・」




