6.サタドール《2》
次の対戦は再び観客を沸かせた。西から現れたゴンドルという巨漢の奴隷に対して東から現れたのは、アルティメデスとそう年の変わらない少年だった。彼と同じように対戦相手の半分くらいにしか見えない。ボサボサの長く伸びた黒髪を後ろに束ね、体中には主人から受けた戒めの後があった。それでも自分の対戦相手をただじっと冷たい瞳で見つめている。
こちらも初出場のプロディヌスとレフリーが紹介すると、興奮している観客達はまるで獣同士を戦わせるかのように叫んだ。
「行け、ゴンドル!そんなチビなど、くびり殺してしまえ!」
「やれ!チビの奴隷!もし出来ないならとっとと殺されてしまえ!」
周りから聞こえてくるそんなヤジに、エルサは小さくため息をついた。故郷のギルネアは小さな国でアルセナーダのようなこんな大きな闘技場もないし、当然剣闘大会もない。どちらかと言うと穏やかな農耕民族の彼等にはアルセナーダのような帝国が強大な軍事力を保つ為に行う、こんな血生臭い戦いを娯楽として楽しむ風習にはどうしても馴染めなかった。だからアルティメデスが絶対的な強さを求めるのも、特に学者肌のエルサはあまり賛同出来ないでいた。
それでも彼がこの国の皇子である以上、そんな風に強さを求めるのは仕方の無い事だろう。とにかく見守らなければならない。今私に出来るのはそれだけなのだから・・・。
試合の開始と共に猛然と走り出したゴンドルに対してプロディヌスは一歩も動かない。ゴンドルがプロディヌスの頭の上から一気に剣を振り下ろした。その瞬間、まるで消えたようにプロディヌスの体は空を舞った。そしてゴンドルの太い首に彼の剣が真上から突き刺さっていた。
大きな音を立ててゴンドルの体が崩れ落ちた。その後ろでは無表情のプロディヌスがただ冷たい瞳で動かなくなった大男を見つめていた。
「ほおお、素晴らしい!」
思わずサンティアヌスが声を上げた。その青年の強さを目の当たりにしたエルサは、体中が震えて来そうだった。もしアルティメデスが彼と対戦する事になったら・・・。
3試合目が終わり、勝ち抜いた5人の選手が決定した。アルティメデスは2回戦でウラドスと対戦する事になった。プロディヌスは4番目に戦ったケンドールという奴隷と試合をする事になり、5番目に勝ち抜いたエドロは不戦勝で決勝に進む事になった。
再びアルティメデスは自分と対戦する相手と向かい合った。ウラドスは20代後半の隆々とした筋骨をしたたくましい男だ。一回戦のゼファールという奴隷との試合を見る限り、さっきのでくの坊よりは手応えがありそうだ。
アルティメデスはにやりと笑うと、両手で剣を握りしめた。レフリーが槍の下の部分を地面に打ち付けると“始め”の合図だ。その合図と同時にアルティメデスとウラドスは相手に向かって走り出した。互いに剣を振り回しぶつけ合う。激しい金属音が辺りに何度も鳴り響いた。
奴隷には鉄の甲冑を付ける事も、剣を受ける為の盾を持つ事も許されていない。大きく重い剣は一度当たればかなりのダメージを受けるので、死の確立が上がるのだ。
攻撃と防御を同時に繰り返した後、2人は距離を取った。アルティメデスの息は大きく乱れている。ウラドスは今がチャンスと思ったのか、アルティメデスの息が整う前に再び攻めてきた。重い剣を何度も受け続けると、手がしびれて剣を手放してしまいそうになる。
ー くそっ・・・! ー
アルティメデスは汗で滑りそうになる剣をもう一度握りしめた。
ー 熱い・・・ ー
太陽の日差しが身体に突き刺さってくるようだ。息を切らしたアルティメデスは一瞬、土に足を取られて身体が前によろめいた。この時とばかりにウラドスは剣を振り上げ、アルティメデスの頭の上から振り下ろそうとした。
ー アルティメデス・・・! ー
エルサが両手で口を覆った時、彼の剣がウラドスの腹を貫いた。激しく息を切らしながらアルティメデスがウラドスの腹から剣を引き抜くと、彼の身体は音を立てながら前に倒れた。
「勝者、アルタス!」
レフリーの声に観客は大きな歓声を上げたが、アルティメデスはふと視線を感じ顔を上げた。対局の東側の入り口から一人の奴隷がじっと自分を見つめていた。プロディヌスだ。長く乱れた黒髪の間から垣間見える瞳は、その呪われた運命を表わすように暗く憎しみに満ちていた。まだ息を切らしたアルティメデスもにらみ返すと、プロディヌスはすうっと建物の影に消えていった。
次はそのプロディヌスとケンドールの試合だ。彼等の試合も激しい剣の攻防になった。プロディヌスはその身軽さを生かしてケンドールの後ろに回ろうとしたが、ケンドールも素早く身を翻してプロディヌスを攻める。どちらも状況に応じての動きが機敏だ。
一回戦で戦ったゴンドルより遙かに手強い相手をプロディヌスは息を切らしながら見つめた。体中にケンドールの剣先で付けられた傷が出来ている。自分がどんな事をしても勝ちたいと願っている様に、相手も俺を殺す事に躊躇はないだろう。自由の為なら・・・。
ー どんな事をしても生き残ってやる・・・! ー
プロディヌスは裸足の足で地面を蹴ると走り出した。ケンドールも声を上げて向かって来る。激しく剣がぶつかり合うと、観客は益々沸き立った。ケンドールの素早い剣がプロディヌスの脇腹をかすめ、服が裂ける。
「次は肉を引き裂いてやる!」
叫び声を上げながらケンドールが剣を振り下ろす。剣先が目の前をかすめたが、プロディヌスは決して目を閉じなかった。
「死ぬのは・・・お前だ!」
剣の重さによろめいたケンドールの頭上に飛び上がると、プロディヌスはケンドールの肩から袈裟懸けに切りつけた。ケンドールの身体から血が噴き出し、プロディヌスの顔や衣服に飛び散った後、ケンドールは地面に転がった。激しく息を切らしながらプロディヌスはやっと勝利をつかみ取った。
その様子を西側の入り口から見ていたアルティメデスはフンと鼻を鳴らした。
「あいつが残ったか・・・」
そう呟いた時、ふと後ろに気配を感じて振り返った。サタドールに出る事がバレないよう、用事を言いつけておいたゼルダとゴードがものすごく怒った顔で立っている。
「皇子。これは一体どういう事ですかぁ!」
「我らにつまらぬ用を言いつけ、遠ざけておいてこんな所に来ておられるとは・・・!」
マズい奴らに見つかってしまった。無理矢理連れて帰られる前に先手を打たねば・・・。アルティメデスはずる賢く頭を働かせると、ニヤリと笑いながら側にあったベンチに座った。
「俺は帰らんぞ」
「皇子!!」
ゼルダとゴードは叫ぶと慌てて周りを見回した。まさか皇子がこんな所で奴隷の姿で居る事を知られてはならないと思ったからだ。
「何をおっしゃっているのです。もし負ければ命はないのですよ」
「そうです。こんな事、陛下がお許しになるはずはありません」
2人はアルティメデスの足下に膝をついてひそひそ声で促した。
「父上には俺から説明する。要は勝てばいいのだ」
「勝っても怪我を負わないという保証はありません!」
「皇子、どうか我らと共に・・・」
「帰らぬと言ったら帰らぬ」
アルティメデスは剣を持って立ち上がった。競技場の中央ではレフリーが最後の試合の始まりを告げている。
「良いか。皇子が奴隷に背を向けたとあっては一生の笑い者ぞ。主を笑い者にしたくなければそこで見ていろ。必ず勝って戻って来てやる。俺はこの国の帝位継承者、アルティメデス・エ・ラ・ハザードだ」
剣を担いで大歓声の中へ出ていく皇子を、ゼルダとゴードはどうする事も出来ずに見送った。
その少し前、試合を終えたプロディヌスは東側の入り口へと戻って来た。奴隷には当然付き人など居ないので、傷の手当などしてくれる者も誰も居ない。ただ一人、壁際の冷たい石のベンチに腰掛けると、額の傷から流れる血を拭った。すぐに次の最終試合が始まるだろう。その間にこの乱れた息を整えなければ・・・。
そう思って胸に手を当てた時、サンダルが土をこするような足音が聞こえた。その聞き覚えのある音にプロディヌスはビクッと肩を震わせ立ち上がると、暗がりから現れた人物を見た。プロディヌスが仕えるドーマー家の長男、カンダスだ。プロディヌスはこのカンダスの奴隷だった。
カンダスはいつものようにニヤニヤと笑いながら、奴隷を痛めつける為の短いムチを持ち、それを左の手の平に打って音を立てながら近づいてきた。
「順調に勝っているようじゃないか、ドゥラ。どうだ?お仲間を2人も殺した気分は」
ドゥラというのはアルセナーダの言葉で“奴隷”という意味だ。カンダスはいつもプロディヌスの事をこう呼んでさげすんでいた。カンダスが土をする音が近付くにつれ、熱くなった身体がどんどん冷たくなってくるようだった。
じっと固まったように立ち尽くすプロディヌスの顔をのぞき込むと、カンダスは唇の端をニヤリと歪めた。
「まさか本当に自由になれるなんて思っているんじゃないだろうな。そんな事、この俺が許すと思うか?」
プロディヌスは奴隷の子として生まれたので、当然生まれた時から自由などなかった。そしてこのカンダスに直接仕えるようになってからは毎日のようにムチで叩かれ、いつも体中に傷を負っていた。主人は奴隷に何をしても罰せられる事はない。だからサタドールに優勝しても奴隷を手放さない人間も居るかも知れない。確かに奴隷が市民の身分を得られる国など何処にもないのだ。もしかしたらこれは野蛮な貴族達が楽しむ為に、奴隷を必死に戦わせる為の方便かも知れない。
それでも諦められなかった。たった一度でいい。サタドールに出て優勝するチャンスを与えてもらえたなら・・・。負けたら死ぬ覚悟でここに来たというのに、こんな奴に邪魔されるなんて絶対嫌だ。
「勝ったら自由にさせる。これは皇帝の決めた約束だ。例えあなたでも覆す事なんか出来ない」
プロディヌスの言葉にムッとしたカンダスは、手に持ったムチで彼の頬をひっぱたいた。頬から流れる血を拭う事さえせず、プロディヌスはただカンダスをにらんだ。その態度に更に腹を立てたカンダスはいつものようにプロディヌスの身体をムチで何度も叩き始めた。
「その目が気にくわないんだよ!」
プロディヌスはうずくまり必死でその戒めに耐えた。
「プロディヌスなんて生意気な名を付けやがって。ドゥラはドゥラらしく、そうやって土の上に這いつくばっていればいいんだ!」
息が切れてきたのでやっとカンダスがムチを打つのを止め、うずくまっているプロディヌスの側にしゃがみ込んで顔をのぞき込んだ。
「父上にサタドールに出る事を許されたからと言っていい気になるなよ。いいか。その鉄の足かせが取れるのはお前が死んだ時だけだ。お前の母親と同じようにな。お前がドゥラ以外の名で呼ばれる事は一生ない。良く覚えておくがいい」
大声で笑いながらカンダスは去って行った。頬から流れ落ちる血が土の上にポタポタと落ちるのを見つめながらプロディヌスはぎゅっと手を握りしめた。
ー もしかしたら自由になれないかもしれない。それでも・・・ ー
「あきらめるものか・・・!」
どれ程さげすまれようと、例え身体が切り刻まれようと、俺は必ず生き残って自由になってやるんだ。
よろよろと立ち上がると、プロディヌスは剣を持って競技場への入り口を出て行った。




