1.夕暮れの出会い
今回は『Dream3.呪われた皇子と滅びの国』の更に2年前、アルティメデスが18歳の時の話になります。
ー 2,500年前 アルセナーダ帝国 ー
あの頃の俺は毎日城を抜け出しては、金持ちの悪友達とその日何人の女を引っかけられたかを競って遊んでいた。夕方帝都カルタナの町外れに集合すると、彼等は今日ナンパできた女の数を一人ずつ言っていく。
「俺は3人」
「フフン。俺は4人だ。アルティメデス・・・おっと本名は言っちゃいけなかったな。アルタスは何人だ?」
「俺は6人」
問われたアルティメデスは自慢げに答えた。
「チェッ、又アルタスの勝ちかよ」
少年達はブツブツ言いながら銀貨を一枚ずつワインの樽の上に放り投げた。銀貨を集めたアルティメデスはそれを持って「じゃあ、今からこれで飲みに・・・」と言いかけたが、建物の陰から見張っていた2人の従者が怖い目で自分の方を見ているのを見て手を下ろした。
最近夜遊びが過ぎると父親のサンティアヌス皇帝から目を付けられているので、ゼルダとゴードもそうそうアルティメデスの勝手気ままを許してはくれなくなったのだ。あまりわがままを押し通すと怒られるのは彼等なので仕方なくアルティメデスは帰る事にした。
友人達に別れを告げ薄暗くなってきた路地をゼルダとゴードを従えて歩いていると、頭の上の方で結わえた、さらさらの茶色い髪をなびかせながら色白の女が凄い勢いでこちらに向かってくるのが見えた。年は18歳のアルティメデスと同じか少し下くらいだろうか。思わず立ち止まったアルティメデスの前でその少女も止まると、キリッとした目でアルティメデスをにらみ上げた。
「あなた、アルタスね」
見覚えのない女だったがアルティメデスは「ああ、そうだが。何か用か」と答えた。すると少女はいきなり右手を振り上げ、それをアルティメデスの左頬に振り下ろした。
ー バシィッ! ー
細い路地裏に頬をはたく音が響き渡った。ゼルダはすぐにアルティメデスを守るように彼の前へ飛び出し、ゴードは「この無礼者!」と叫びながら剣を抜こうとした。アルティメデスは顔を右側へ背けたままゴードをとどめるように腕を前に差し出した。髪を後ろに流しつつアルティメデスが少女を見下ろすと、彼女は目に涙を浮かべながら彼を恨みのこもった目で見上げた。
「よくもメディアを騙したわね。あの子はあなたの事を信じていたのに、ただの遊びだったなんてひどすぎるわ!」
アルティメデスが黙ったまま自分を見下ろしているので、少女は余計怒りを覚えた。
「何とか言いなさいよ!」
アルティメデスは上を向いて少し考えた後、首をかしげた。
「メディア?誰だっけ」
「覚えてないって言うの?10日前にシアンの市で出会った女の子よ!」
シアンの市では散々女を引っかけているので、どの娘か顔も思い出せない。まあその中の誰かだろう。
「さあ。いちいち引っかけた女の名など覚えていないな」
「あなたって人は・・・」
あまりの腹立たしさに殴るだけじゃ済まされないほど腹が立つ。いいえ。こんな男、殴る価値もない。少女は唇を噛みしめ、怒りの為に肩を震わせた。
「女心をもてあそんで平気でいられるなんて、あなたは男としてだけじゃなく人間として最低よ。いつか天罰を受けるがいいわ!」
言い捨てると少女は背中を向け去って行った。それを見て剣を治めたゴードが言った。
「よろしいのですか?皇子。あんな無礼を許しても」
「放っておけ。女にはたかれる度に斬っていたら、この国から女が居なくなってしまう」
アルティメデスはにやりと笑った。
肩を怒らせながら戻っていた少女は、アルセナーダに来てから借りている家のドアをバタンと音を立てて閉めると「本当に最低な男!」と呟いた。家と言っても平屋建てで食堂を合わせて3つしか部屋数のない小さな家のため娘の帰宅にすぐ気付いたのか、父親が自分の部屋から出てきた。
「どうしたんだ、エルサ。随分鼻息が荒いようだが」
「何でもないわ」
からかうように言われてエルサはちょっと頬を赤くしながら台所へ向かった。父一人子一人なので食事は全てエルサが作っているのだ。
「それより明日皇帝陛下に見せる資料はまとまった?」
「まだ少しかかりそうだ。アルセナーダの皇帝が天文学に興味を持っておられると聞いて国から出てきたが、せっかく呼ばれてきたのに陛下が気に入らない物を見せてはいけないと思うと、色々考えてしまってね」
エルサの父プラトスは天文学者である。太陽や星の動きを見て歴を作ったり、その年の天候などの予測もする。それによって農作物の出来高を事前に計算できるので国の財政のやりくりにも役立つのだ。アルセナーダのような巨大な帝国でも、今までは全ての判断を祈祷師などに委ねていた。だが他国でそう言った学問を専門にする学者が現れ、気候や風土の研究が進められて居るのを知り、サンティアヌス皇帝は是非自分の国でも役立てたいとプラトスを呼んだのであった。
悩んでいる父にエルサは明るく声を掛けた。
「私も後で手伝うからとりあえず夕食にしましょ。今日は野菜とゼブの実を煮込んだスープよ」
クッションの効いたカウチソファに寝転がると、丁度部屋の窓から丸い月が眺められる。淡く優しい光を送ってくる月を見ながらアルティメデスは先ほど自分の頬をひっぱたいた少女の事を思い出していた。
あの白い肌は間違いなくこの国の者ではないだろう。もっと北方のエスタシアかその周辺の国の人間だ。北に住む人間がこの国に居るなんて珍しいな・・・。まるで絹のようにさらさらとした髪をなびかせながら去って行く背中が印象的だった。
ふと彼女の事ばかり考えているのに気付いたアルティメデスはフンと鼻を鳴らした。城に帰ってまで女の事を考えているなんて俺らしくない。第一あの女は小娘のくせにこの俺様の頬をぶっ叩いたんだぞ。そうだ。あの月が悪い。妙に美しくて人をセンチメンタルな気分にさせる。だんだん腹が立ってきたアルティメデスはもう彼女の事を考えないようにもう一度フンと言いながら瞳を閉じ、月が見えないようにした。
次の日プラトスは王宮に入り、娘と2人、生まれて初めてアルセナーダの皇帝に拝顔する事になった。巨大な柱が立ち並ぶ広間を通り抜け、白で統一された王宮の中を歩いて行くと更に大きな広間に出、その奥に10段ほどある階段の上で皇帝が座って待っていた。
案内してきた兵がひざまずくように命じたのは、その階段の下からかなり離れた場所で段上のサンティアヌス皇帝の顔もよく見えなかった。皇帝から声を掛けられるまで何も言ってはいけないと言われていたので、プラトスは娘と2人ひざまずいたまま黙って頭を下げていた。
「遠い所を良く来てくれたな、プラトス。そなたが来るのを楽しみにしておったぞ」
少ししわがれた優しげな声にプラトスは益々頭を下げながら応えた。
「私どものような者をおそばにお呼び下さり、言葉では言い尽くせない喜びでございます。それで、あの・・・その・・・」
その後の言葉もちゃんと考えてきたのだが、あまりに緊張してプラトスは言葉が詰まってしまった。
“お父様、しっかり!”
エルサは心の中で必死に父を応援したが、プラトスの頭の中はもう真っ白だった。サンティアヌスもたくさんの周りの兵達もただ押し黙っているので、何だか異様な空気が流れている気がする。どうしても言葉が出ない父の代わりにエルサは顔を上げ、サンティアヌスを見上げた。
「父の研究は私達の生活に直接関係がないように思われますが、必ず人々の暮らしを豊かに変える事が出来ます。きっとこのアルセナーダの民の役に立つ事でしょう。皇帝陛下が父の研究をお求め下さった事、絶対に後悔はさせません!」
そう言った後、サンティアヌスの顔を見てエルサは激しく後悔した。女のくせに何て偉そうな事を言ってしまったんだろう。それも皇帝陛下の前で・・・。
「も、申し訳ありません!」
思わず頭を下げたエルサを見て、サンティアヌスは大声で笑い始めた。
「そなたの娘はそなた以上に学者向きかもしれぬな。さてここではその自慢の話も聞きづらい。部屋を変えよう」
サンティアヌスとたくさんの兵の後に付いていった所は、外に張り出したドーム状の屋根をたくさんの柱が支えるサロンだった。こんな開かれたサロンは寒さの厳しい北国ではあまり見かけないので、南風の吹き抜ける明るいサロンは、とても開放的に思えた。
中央に備え付けられた石のテーブルの前にある籐製のソファーにサンティアヌスが座ると、同じように一人がけ用の椅子にプラトスとエルサがそれぞれ座った。プラトスが皇帝に見せる為に選んだのは、何年も掛けて作った天体の図面だった。太陽の一日の動き、月と星の動きが記されている。それをテーブルの上に広げてプラトスがサンティアヌスに天体の動きの説明を始めた時、「父上」と声がして誰かがサロンの入り口から入って来た。
その姿をふと見上げたエルサは息が止まるほど驚いた。そんな事があるはずない。昨日自分が思いきり頬を叩いた男が、皇帝を父上と呼んで目の前に立っているなんて・・・。
「おお、アルティメデス」
サンティアヌスも顔を上げて微笑んだ。
「お前も座らぬか。今ギルネア国から来た学者殿に太陽や星の動きを習っておるのだ。プラトス。これは我の一人息子でアルティメデス皇子だ」
プラトスは急いで立ち上がり頭を下げた。
「プラトスでございます。これは娘のエルサ。私の助手を務めております」
エルサは弾かれたように立ち上がり、頭を下げた。そんな事有るはずない。あのバカ男の名はアルタスだもの。そうよ。皇子様が自分の国の女の子を引っかけまくって遊んでいるなんて有り得ないわ。きっと他人のそら似よ。確かにまばゆいばかりの金髪と深い海の底のような青い瞳はそっくりだけど、でもこの方には昨日のアルタスとは桁違いの品があるもの。絶対人違いだわ。
アルティメデスはプラトスとうつむいたまま顔を隠しているエルサを見て軽く微笑んだが、椅子に座ろうとはせず立ったままサンティアヌスに話しかけた。
「父上、来週行われる剣闘大会ですが、私も出場してよろしいですか?」
サタドールとは国中から腕に自慢のある男達が集まって剣の腕を競う大会だ。貴族、一般市民、そして奴隷がそれぞれ身分ごとに別れて戦うのだが、優勝すれば最高の栄誉と賞賛を人々から受ける事になる。貴族は皇帝より望みの物が与えられ、市民はどれだけ身分が低くても城に召し抱えられる。そして奴隷は奴隷の身分から普通の市民としての身分が与えられる。だから誰もがこの大会に命をかけて臨むのだ。サタドールはアルセナーダの国を挙げての一大イベントだった。




