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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream10.Rose Gift  ーローズ・ギフトー
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10.伝わらない想い

 それからミシェル・ウェールズの若いシスター達の間で妙な噂が流れ始めた。


 シスター・エネスが時々ぼうっとしている事がある。(これはかなりの異変だ)

 シスター・エネスが以前にも増して厳しくなった。(若いシスター達に取っては大問題だ)

 シスター・エネスが教会のマリア像の前で涙を浮かべていた。(これは幽霊を見たという方が信じられるほど有り得ない話だ)


 以上の噂をマリアンヌから聞いて、渚はやはりシスター・エネスが京一郎の事を思い悩んでいるのだと思った。もしシスター・エネスが京一郎が居なくなった事にショックを受けてシスターになったのだとしたら、彼女にとって京一郎はただ一人、心の底から愛した大切な人だったに違いない。だから皆が信じられないというこの噂も渚には納得できた。


 そんなある日、校長のシスター・ボールドウィンが朝礼を開いた。皆の「お早うございます」という挨拶に「お早うございます、皆さん」と返すと、彼女は珍しく微笑んだ。


「実は礼拝堂の周りがあまりにも殺風景ですので、皆さんが良く行き来する礼拝堂から本館までの道に素敵な庭を造る事にいたしました。春にはバラが咲く美しい庭になる事でしょう」


 シスター・ボールドウィンの言葉に若いシスター達は顔を見合わせて感嘆の声を上げ嬉しそうに手を叩いた。ただ一人、シスター・エネスだけは暗い表情でうつむいていたが・・・。


「それで今回はプロのガーデンデザイナーの方に仕事を依頼しました。ミスター・アオヤマ、どうぞ」


 シスター・エネスは思わずドキッとして顔を上げた。32年前、もう二度と会えないと思った人が、そしてこの間の再会以降、二度と会いたくないと思っていた彼が、シスタールームの入り口から姿を現した。


 京一郎はシスター達の前に立つと、流暢りゅうちょうな英語で挨拶をし、頭を下げた。その後シスター・ボールドウィンが工事中は危険なので子供達を近寄らせない事、礼拝堂に行く時はシスターが子供達を先導する事などの注意を述べて、京一郎は校長と共にシスタールームを出て行った。


 シスター達が「どんな庭になるのかしら」「楽しみだわ」と会話する中、シスター・エネスだけは呆然と立ち尽くしていた。今すぐにここから走り出していって大声で泣き叫びたい気分だった。彼女はそれを心の中に押さえ込みながら小さく呟いた。


「どうして・・・今更・・・」


 その次の日、シスター・エネスはシスター・ボールドウィンに呼ばれて、校長室へ向かった。その扉の向こうの校長が掛けている机の横に京一郎が立っていて、思わずシスター・エネスは入り口の所で立ち止まった。


「どうぞ、シスター・エネス」


 校長に促され、彼女は目を伏せて中へ入った。校長は机の上に置かれた図面をシスター・エネスの方に向けながら言った。


「ミスター・アオヤマが庭の設計図を持って来て下さったの。あなたにも一応目を通して貰いたくて呼んだのですよ」


 だがシスター・エネスはその場から一歩も動かず顔も上げる事なく答えた。


「私はそういう物を見ても分かりませんので失礼します」


 逃げるように出て行ったシスター・エネスを京一郎は追いかけた。


「エレーヌ!」


 懐かしい呼び声は昔と何ら変わっていなかった。シスター・エネスは体中が震えそうになるのを両手を握りしめてこらえた。


「そのような名前の者はここには居りません」


 後ろに居る京一郎の方を一度も振り返ることなく、シスター・エネスは急ぎ足でそこから去って行った。







 その次の日から庭で工事が始まった。今まで本館から大聖堂までの道はレンガが敷かれているだけで他は何もなかったが、その道沿いに植えられるたくさんの木々が運び込まれ、シスターも子供達も変化のないこの学園の庭がどう変わるのか楽しみにしているようだ。


 水曜日の午後、授業がない渚は食堂で軽く食事を取った後、工事の指揮をしている京一郎の所へ行ってみた。彼は小春日和の日差しの中、ヘルメットをかぶって図面を見ながら花の配置を見ている。


「京一郎さん」


 声を掛けると彼は図面から目を上げ微笑んだ。


「ミス・コーンウェル。あ、ここではナギサ先生と生徒から呼ばれているんですよね」


 渚はちょっと照れたように笑うと「ナギサでいいです」と答えた。


「みんなどんな庭になるのか楽しみにしているんですよ。私も」

「子供達やシスターが手入れしやすい庭にしようと思っています。庭師を呼ぶとかなり経費がかかりますし」

「それは素敵だわ。子供には土いじりをさせるべきだと思っていたんです。自分達で育てた花が咲くのを見るのって凄く嬉しいものですから」


 そんな話の後、渚はシスター・エネスの事を尋ねてみた。


「一度話そうと思って声を掛けましたが、ここにはエレーヌという人間は居ないと言って・・・。当然ですね。彼女はその名を捨ててシスターになったのですから。もう過去とは関わり合いたくないのでしょう」


 確かに一流のお嬢様だった彼女がシスターになる時は、きっと過去を全て捨てる覚悟だっただろう。では何故彼女は京一郎の事でこれほど動揺しているのだろうか。過去を捨てきれずにその過去に今でも縛り付けられている。渚にはそう思えてならなかった。


 あの日、京一郎と再会した時のシスター・エネスの瞳は捨てられた憎しみよりも恐怖が浮かんでいた。渚がバラを持ってきた日もシスター・エネスはまるで恐ろしい物を見たようなこわばった表情で赤いバラを見つめていた。


彼女は一体何を恐れているのだろう。






 それから庭は徐々に仕上がっていったが、シスター・エネスは決してその庭を通ろうとはせず、教会に行く時はわざわざ遠回りして裏口から出入りしていた。


 後もう一日で庭の工事が終わろうという日、シスター・エネスはいつものようにシスタールームの隣にある主任シスターの部屋で書き物をしていた。ふと時計を見ると、もう8時を回っている。近頃彼女はこうやって暗くなってから寮へ戻る事にしていた。もし明るい内に外を歩けば、京一郎に会うかも知れないし、彼の作っている庭を見てしまうかも知れない。


 だから暗くなり、他のシスター達が誰も居なくなってから寮へ戻るのだ。


 使っていたガラス製のペン先を拭き取り、木製のステイシャナリケースにペンを置くと、小さくため息をついて立ち上がった。主任シスターの部屋の鍵を閉めた後、ふと隣のシスタールームから光が漏れているのに気が付いた。他のシスターはみな寮に戻っているはずだ。さては電気を消し忘れたのか。明日シスター達に注意しなければと思いつつシスタールームのドアを入った彼女は、思わず目を細めて立ち止まった。


 広いシスタールームの真ん中で渚がじっとこちらを見て立っていた。シスター・エネスはムッとしたように眉をしかめると、渚の方に近づいてきた。


「ミス・コーンウェル。こんな時間に何をしているのです?」

「はい、シスター・エネス。あなたをお待ちしておりました」

「私を?」

「はい、シスター。どうして京一郎さんを避けられるんですか?彼はシスターと話をしたいと思っています」


 シスター・エネスは益々ムッとした顔をし、渚の顔をまっすぐに見つめた。


「何を言っているの?あなたは」

「私、京一郎さんから聞きました。シスター・エネスと京一郎さんの昔の事を。シスターはその事でずっと苦しんでいたんじゃないですか?だったら京一郎さんとちゃんと話をすべきです。逃げたって解決は・・・」

「お黙りなさい!!」


 シスタールームの外にまで聞こえそうな声でシスター・エネスは叫んだ。


「あなたなんかに何が分かるの。何を聞いたか知らないけれど、余計な口出しは・・・」


 そう言いかけてシスター・エネスはハッとしたように渚の顔を見つめた。


「あなたが呼んだのね。彼を・・・。どうして、どうしてそんないらない事ばかりするの。どうして私の心をかき乱すような事ばかり・・・」


 シスター・エネスの声も身体も震えていた。この学園に来てから初めてここまで人を憎いと思った。どうしてこんな子が居るの。なぜ私が今までずっと押し隠してきた思いに、土足で踏み込んでくるのよ。


 シスター・エネスは息を荒げながら近くのデスクに片手をついた。


「シスター・エネス?」


 彼女の様子を心配した渚が近づいてくると、シスター・エネスは今までで一番憎しみを込めた目で渚をにらみ上げた。


「あなたさえ来なければこんな思いをする事はなかった。私をここまで苦しめて・・・。あなたさえ、あなたさえ来なければ・・・」


 憎しみの目に涙がにじんでいるのを見て、渚はどうしていいか分からなくなった。呆然としている渚を残し、そのままシスター・エネスは部屋を走り出て行った。






 シスター・エネスの為には京一郎とよく話し合って仲直りするのが一番だと思い、京一郎に庭をデザインしてもらえるよう、校長に頼んだ渚だったが、そのせいでシスター・エネスがどれ程傷ついたのか思い知らされ、とぼとぼと家に戻ってきた。そして泣きながらピョンにさっきの出来事を話した。


 ピョンは“多分そうなるやろなぁ”と思っていたので、別段驚きもせずに渚を慰めた。やっと彼女の涙が止まったところで、ピョンはこれからどうする気か尋ねた。


「分からないの。2人の為には絶対ちゃんと話した方がいいと思うのよ。ううん。シスター・エネスの為にその方が絶対いいと思う。でもシスター・エネスがその気にならなきゃどうにもならないわ。ピョンちゃん、あさってには京一郎さんは日本へ帰ってしまうのよ。一体どうしたらいいの?」


 ピョンは小さくため息をついてじっと天井を見上げた後、渚に目を移した。


「なあ、渚。渚はそこまでシスター・エネスに嫌われても、まだ何かしてやりたいと思うんか?どんなに憎まれても、これから先、ものすごいいじめられるかもしれへんのに、それでも彼女の心を救ってやりたいと思うんか?」


 渚はじっとピョンの顔を見つめながら考えていた。


「確かに、これ以上嫌われるのは嫌だよ。あんな憎しみの目で見られるのは辛いもん。でもこのままじゃシスター・エネスは一生、同じ苦しみを背負いながら生きてかなきゃならない。せっかく再会できたんだもの。私は出来れば昔のように2人が愛し合っていた頃に戻って貰いたいの。それって私のエゴかな」


「そやな。エゴかもしれへんな。そやけど2人が話し合う事は決して悪くないと思うで。渚がどうしてもそうしたいんやったら、突っ走ってみ。結果はどうなるか分かれへんけど、思いは少しくらいは伝わるはずやで」


 渚は頷いた後、決意したように顔を上げた。




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