6.園芸家達の夜
青山はブースに付くと早速段ボールを開いた。中から出てきたのは色のあせた古いトレリスや苔の付いた石でそれを見たエレーヌは眉をひそめた。ショーなどに使うトレリスは斜めの格子になったもっと綺麗に色塗られたものだ。だが彼の持ってきた物は古びて黒ずみ、木が縦横に正方形に並んでいた。それにイギリスでは苔は雑草とされ、庭にそんな汚らしいものを置く事はしないのだ。
「あの・・・随分と古い物を使うんですね。そのトレリスも変わっているわ。どうして格子が斜めになっていないの?」
「日本転園ではこういう形の物を使うんです。この石も随分汚く見えるでしょう?でも日本人はこういうものに風情を感じるんです。私はイングリッシュガーデンにも日本庭園の美しさを取り入れて貰いたいと思っているんですよ」
「でもそれでは見栄えがしないわ」
エレーヌは周りを見回しながら言った。全てのブースは自分の作品をいかに目立たせるか、その配色の美しさを競い合っている。まるでクレヨンのように明るい色彩がドーム全体を彩っているのだ。
「ほら、あれが私の父のブースよ」
エレーヌは青山のブースから少し離れたブースを指さした。
「素晴らしい配色でしょう?あの中央に今回出品する新しいバラが並ぶの。他のもみんな見事な飾り付けだわ。せっかくショーに参加しても目立たなければ審査員の目を引きつけられないわよ。特に事前に行われるプレス向け内覧会は重要だわ。王室関係者や育種について造詣の深い貴族の方々も閲覧されるし、その日で勝負が決まるんですもの」
チェルシーフラワーショーは一般客で大変賑わう為、内覧会の日にプレス関係者も呼ばれ、いち早くショーの様子が伝えられる。ショーに参加するたくさんのガーデナーやフロリストにとって記事に取り上げられる事も重要だが、何よりゴールドメダルを獲得する事が最高の名誉だ。もちろんゴールドメダルを獲得するのは簡単な道のりでは無い。だから彼等にとっては本番よりもその前の審査が勝負なのであった。
青山も周りを見回して眩しそうに目を細めた。
「ええ、本当に。まるで色とりどりの光の中に居るようです。欧米ではこういった光の美しい庭が愛されている。でも光があれば必ず影が出来る。我が国の人々はその影にさえ愛着を感じるのです。年月を経た杉の並木の陰にひっそりとたたずむ苔むした道。光の当たらぬ池の中に映り込む、真っ赤に燃える紅葉。厳しい寒さの中、まるで氷の芸術のように連なる樹氷。路地裏に咲く小さな白い花・・・。日本人は光と影をうまく使って庭を造ってきたのです。それはきっと世界の人々をも魅了すると私は信じているのです」
今まで自分の国のガーデニングが世界一だと思っていたのに、なぜかエレーヌは京一郎の言葉に胸を揺さぶられた。日本の庭はそんなに素晴らしいのかしら。だとしたら一度見てみたいものだわ。
「あなたは新苗の展示ではなく、ショーガーデンに出た方が良かったのではないの?」
「ショーガーデンに出る前にスモールガーデンで実績を積まないと簡単には出させてもらえませんから。それに今回はどうしても新苗を発表したかったのです。亡くなった父の代からずっと研究を続けていたものですから・・・」
親子二代で研究してきたのなら、きっとバラの品種改良に違いない。エレーヌはなぜかこの男とは競い合いたくないと思った。
「それって、もしかしてブルーローズ・・・とか?」
「え?いえ、違います。バラはバラですけど」
エレーヌはほっとして再び飾り付けを始めた京一郎を見つめた。新苗のバラは作ったからと言ってすぐに出せるものではなく、出品する土地で2年育てた物しか出せない事になっている。内覧会はあさってなので、それまで彼のバラはこちらにある園芸農場で管理されているはずだ。近いうちに見られるのだから彼のバラの詮索はしない事にした。
「良かったら手伝いますわ」
「いえ、そんなにたいした物ではないので・・・」
「そうじゃなくて私が日本の庭に興味があるの。私の父は園芸家としても有名なのよ。それに私はこのショーの常連だからどんな見せ方をしたら審査員の目に留まるかもよく知っているわ」
にっこり笑いかけたエレーヌに「それは心強いですね」と京一郎も笑い返した。
手伝った礼に食事に誘われたが、男性と2人きりで食事に行った事も無かったエレーヌは自分の家の夕食に彼を招待した。京一郎は申し訳ないからと断ったが、京一郎を父に紹介したかったエレーヌは少し強引に彼を屋敷まで連れてきた。
最初は気乗りしなかった京一郎だが、その屋敷の庭の美しさにすっかり魅了され、案内されるままに足を踏み入れた。
中央にある石造りの噴水はわざと傾斜を造り、小さな崖の上から水が滝のように流れ落ちている。周りには美しく刈り込まれたツゲの緑が複雑な模様を描いて庭を彩っていた。噴水の下には大理石で作られた小さな小川が清い光を発しながら流れていてその小川を中心にスクエア型の刈り込みが数多くあり、その全ての中にバラやハーブが植えられている。遠くに見える屋敷の古い灰色の壁に似合う淡いピンクのイングリッシュローズが一面に咲き誇っていた。
「素晴らしい庭ですね。手入れも行き届いていて。英国に来てブロートン・キャッスルやキフツゲイト・コート等の様々な庭を見ましたが、この庭は伝統だけでなく、モダンな感覚も取り入れられている。ノーサンバランドのアニック城のようですね」
(ブロートン・キャッスル:英国で最も美しいと言われる城。1300年頃に建てられ、男爵家にふさわしい百合の紋章をかたどった貴婦人の庭が有名。
キフツゲート・コート:1920年ヘザー・ミューアと言う一人の婦人に寄って作られた広大な庭。ヘザーはオールドローズ研究の草分け的存在。
アニック城:ハ○ーポッターのホ○ワーツ魔法学校として登場した城。今も人が住んでいる城としては英国王室ウィンザー城に次ぐ規模を持っている)
「規模はその3分の1も無いけどね。父はノーサンバランド伯爵夫人のアニック・ガーデンに見せられてこの庭を設計したのよ」
「お父上は庭造りにとても造詣の深い方なのですね」
「ええ。父は古いものだけでなく、新しい物もどんどんイングリッシュガーデンに取り入れて行くべきだと思っているの。この噴水は24時間地下のコンピューターによって制御されているのよ。それによっていろいろな色や形を作り出す事も出来るの」
「それは素晴らしい」
ガーデナー達の話は尽きることはなく、共通の話題は京一郎とエレーヌの距離を近づけた。同じようにエレーヌの父グレゴリック・コンテビュー卿とも話が弾み、京一郎は楽しい夕食の時間を彼等と共に過ごした。
別れ際、京一郎をエレーヌは門まで見送った。
「内覧会はあさってだから、あなたの新苗も明日展示するの?」
エレーヌが質問した。
「ええ。苗はドラムにある私の園芸農場にありますから、明日取りに行きますが、少し遠いので会場に持って行けるのは夕方になるでしょうね」
それを聞いてエレーヌはとっさに言った。
「私も、私も行ってはいけない?あなたのバラを誰より早く見てみたいの!」
京一郎は少し驚いたような顔をしたあと微笑んだ。
「構いませんよ。では明日の朝9時にヴィクトリア駅で待ち合わせますか?」
「ええ。必ず行くわ」
タクシーに乗って帰って行く京一郎を見送りながらエレーヌは高鳴る胸に手をやった。そんな彼女の様子を庭の片隅からじっと見ていたのはカーター・マクフェランだった。彼は暗い瞳を伏せると、自分が世話をしているバラ園に戻って行った。




