3.夜の校舎の中で
一方ミゲルとアーノルドは礼拝堂のドアを開けるとドアがきしむ音で渚に気付かれてしまうので、アーノルドが四つん這いになっている背中にミゲルが乗って外から様子を窺っていた。
「何か見えた?ミゲル」
「ううん。真っ暗で良く分からないよ」
しばらくその状態で中の様子を見ていたミゲルだったが、そろそろアーノルドの両手両足に限界が来ていたので地面に降り立った。
「裏の入り口はシスターが閉めてしまっているしなぁ」
残念がっているミゲルにアーノルドはもう一度帰宅を促そうと考えた。だがその時、礼拝堂からかすかに歌声が漏れてきたのに少年達は気が付いた。二人は顔を見合わせると、もう一度さっきと同じようにして窓から中を覗いた。
「その歌、完全に覚えてもーたな」
礼拝堂の中を歩きながら、渚は初めてピョンと夜回りをした日に彼が歌ったアルセナーダの歌を口ずさんでいた。
ー いつか失われた都へ行ってその国の人々が残した言葉を探したい ー
渚はその夢を現実にする為の努力を怠った事は無かった。彼女の部屋には図書館から借りたり、インターネット等で買い求めた様々な古代語の本が並んでいる。それらをいつも夜遅くまで読んでいるのをピョンを知っていた。それに渚にとってピョンの生まれ故郷であるアルセナーダは他の古代の国々とは違う意味で興味のある国だった。
実はピョンはもしかしたら人間だったのでは・・・と渚は思っていたのだ。アルセナーダの存在は確かに謎に包まれている。本当に存在したのかさえ考古学者の間で議論が分かれていて正確な場所は今だに分からなかった。だがそれは実在した人間の国であったからこそいろいろな文献に上がってくるのだ。渚は密かにアルセナーダについて調べていたのだった。
火山の爆発で一夜で消えた大帝国。まだ誰も発見できない伝説の国。当時最も繁栄を遂げた国故、黄金や財宝が数多く眠っていると言われ、多くのトレジャーハンター達が今も探し求める黄金の都・・・。
そこへ行けば、ピョンがなぜこんな姿になったのか分かるかも知れない。だがピョンはなぜかいつも言葉の最後には「ワイはカエルやから」と付け加える。それが逆に渚には不自然に思えた。そしてそれが彼が人間だったのではないかと思わせるきっかけとなったのである。
しかし彼がそこまでして必死に隠そうとしている事を無理矢理聞くわけにも行かず、渚も彼に合わせて
「ピョンちゃんはカエル王国の王子様だもんね」と彼の言った事をひたすら信じる振りをしていたのだった。
だから渚は今時間を見つけてはアルセナーダ語を勉強していた。アルセナーダ人のピョンがそばに居るのだから勉強ははかどっている方だろう。アルセナーダ語は古代ギリシャ語に近い発音で古代エジプト語や古代ギリシャ語に精通している渚には入りやすい言葉であった。
「渚にとっては古代語の歌を覚えるなんて朝飯前やな」
「そんな事ないよ。歌は歌いやすいように作られてるから覚え易いの。でも言葉を理解して会話できるようになるにはまだまだかかりそう。仕事もあるし」
「ゆっくりやったらええ。まだまだ先は長いからな」
「うん」
渚はぐるりと礼拝堂の中を一周した後、再びきしむドアを開けて外に出てきた。アーノルドとミゲルは離れた場所から渚の後ろ姿を見ながらひそひそと話し合った。
「確かに聞いた事の無い言葉だけど、歌ってたのはナギサ先生だったよ」
「そうだなぁ。デモーティックやコプト語に近い発音だったから魔女語じゃないだろうな。ナギサ先生は古代語にも精通しているって言うし・・・」
(デモーティック、コプト語:どちらも古代エジプト語で現代エジプト語の語源。デモーティックは BC7~AD4世紀に民衆語として。コプト語はBC4~AD14世紀まで使われた)
さすが秀才のミゲル。なんだか分からない言葉をよく知っているな・・・。
アーノルドは感心して彼を見たが、ミゲルは渚の後を付けるのに懸命なようだ。こうなったら仕方が無い。早くナギサ先生が魔女なのかそうでないのか突き止めて、ミゲルに納得して貰うしかないようだ。アーノルドは半ば諦めてミゲルの後ろを歩き始めた。
次に渚が向かったのは本館だった。ここから1号館、2号館、最後に3号館と回って夜回りを終えるのだ。薄暗い廊下を抜けて渚は2階への階段を上り始めた。懐中電灯は“20メートル先まで良く見える”という触れ込みのサーチライト型で、階段の上まで明るく照らしてくれたが、その光の先にこの世には絶対いないはずの化け物でもいたらどうしようと思うとやっぱり怖かった。
「ピョ・・ピョンちゃん」
「はいはい」
「お、お化けなんか居ないよね」
「今まで出てきーひんかってんから大丈夫やって。例えおっても渚には見えへんわ」
「それって居るって事・・・?」
渚の足音が遠ざかったのを確認すると、アーノルドとミゲルはそっと本館の扉を開けて中に入った。懐中電灯の明かりが2階の闇の中へ溶け込んでいったその後を静かに追っていく。渚はいつも一気に4階まで上がって上から順に夜回りをするのでそのまま3階の階段を上がっていった。腰を低くしながらアーノルドとミゲルも後を追って階段を上ってきたが、ふとアーノルドは2階の廊下の向こうで小さな光が揺れ動いているのに気が付いた。
ミゲルの服を掴んで無言でその光を指さす。息を殺して見つめる彼等の目に、肩から足首までの黒いローブに身を包んだ男が歩いて行く姿が見えた。その少々薄くなった白髪頭と細くとがった顎で、それが誰だかすぐに分かった。プードリー・オルバインだ。その姿を見たアーノルドとミゲルは一瞬自分の目を疑った。彼は渚と同じようにミシェル・ウェールズの外に住んでいる人間で、こんな時間にこんな場所に居るはずはなかったからだ。
それにやけにレトロな出で立ちでもあった。彼が左手に持っているのは懐中電灯ではなく、3本のロウソクが灯った燭台で、右手には白い布をかぶせた30センチほどの高さの何かを持っていた。
”一体何を持っているんだ?いや、それより何であいつがこんな所にいるんだよ”
もしオルバインにこんな所に居る事がばれたら、ただで済むはずがない。今生徒は全員寮に居なければならない時間だし、きっとある事ない事校長に言って絶対退学にさせられる。あいつはそんな男だ。
これなら渚を付けていた方がまだましである。アーノルドはそのまま階段を上がっていこうとしたが、ミゲルの手が彼の腕を掴んだ。
「アーノルド。プードリー・オルバインを付けよう」
思わず「はぁ!?」と叫びそうになったが、ぐっとこらえた。
「な、な・・・何で?」
「怪しいからに決まってるじゃないか。行くぞ」
さっきまで渚が魔女なのかそうでないのかを確認する事に夢中だったのに、今度はプードリー・オルバインに興味の対象が変わってしまった。ミゲルってこんなに気の多い奴だっただろうか。
「で、でもさ。もしあいつにばれたらただじゃ済まないよ」
「大丈夫。こんなに暗いんだもの。見つかりっこないさ」
”それはそうかも知れないけど・・・ ”
心の底では不安しかなかったが、アーノルドはミゲルを止める事が出来なかった。闇に紛れて少年達は黒い影を追い始めた。
2階の廊下の一番奥にあるのは音楽室だ。オルバインはその教室の前で立ち止まると、アーノルド達の居る廊下をちらっと見た。闇の中に隠れていた少年達は一瞬ヒヤッとしたが、オルバインはそのまま音楽室に入っていった。当然オルバインはフランス語の教師なので音楽室に用などあるはずもないが、彼は教室の端にあるグランドピアノの上に燭台を置いて、もう一度辺りを見回した。ピアノの横にある床の真ん中に、手に持っていた“何か”を置く。少年達が入り口からそっと音楽室の中をのぞき込む。オルバインがその“何か”の上にかぶせた白布をめくり上げた瞬間、アーノルドもミゲルも「ひいっ!」と叫びそうになった。




