13.古の門が開く時
ー かの君、その黄金の剣によりて闇を切り拓かん ー
ピョンはひたすら暗く冷たい池の水をかき、下へ潜った。池の表面から黄金色の一筋の光が差し込んで水の中を照らしている。早くしないと月が昇ってしまえば光の道は消え、再びこの池の中は闇に包まれるだろう。
水圧を感じながらもピョンは懸命に手足を動かした。氷のように冷たい水が体中を冷やしていく。
やがてそのかすかな光の先に、冠をかぶった王子の石像が、斜めになって池の底に沈んでいるのが見えた。きっとそれが目指すものに違いない。だがピョンがその石像に辿り着いた瞬間、池の中を照らしていた光がまるで淡雪のように消え、辺りは何も見えない暗闇に変わった。
胸に手を当ててピョンの無事を祈っていた渚にも、月光がその池の上から消えてしまったのが分かった。
「ピョンちゃん!」
慌てて池の中へ入ろうとする渚をウィディアが引き留めた。
「ナギサ、駄目よ!」
「でもピョンちゃんが・・・。きっと真っ暗で何も見えないわ」
「あいつはカエルなんだから多分大丈夫よ。暗くてもよく見えているはずだわ」
ウィディアは想像で言ったが、それは間違いであった。カエルの目は通常、動く物しか認識しないのだ。だがピョンはやはり普通のカエルとは少々違うようで、人間の目と同じように物を見る事が出来た。しかし人間と同じという事は、暗闇では何も見えないのである。
それでも王子の石像のすぐ近くにまで来ていたピョンは、何とか手探りで王子の頭に乗せられた王冠を探し当てた。だがそれはカエルの力で動くような物ではなかったらしく、必死に引っ張ってもびくともしなかった。それにもう息も限界だった。
やはり呪われたこの身体には白い羽などあるはずもないのだ。だからどんなに願っても、願いなど叶うはずもない。それでも・・・。
池の淵では池の中に入ろうとする渚を何とかウィディアが押しとどめていた。
「ウィディア、放して。やっぱりピョンちゃんが心配よ」
「ナギサ、落ち着いて」
そんな押し問答をしている2人の間にアーハードは割って入ると「私が参ります」と言って上着を脱ぎ捨てた。
「ア、アーハードさん?駄目よ。心臓麻痺を起こしちゃうわ」
今度は渚がアーハードの腕を掴んで止めた。
「それでもあなたは行くつもりだったのでしょう?」
「私は、ピョンちゃんの友達だから・・・」
「私も彼の友達ですよ」
アーハードはにっこり笑うと、懐中電灯を口にくわえて水の中に一歩、足を踏み入れた。
「アーハード・・・」
サラが小さな震える声で彼を呼び止めた。この頑固で忠義者の執事は、きっと私がどんなに呼び止めても聞いてはくれないだろう。それにきっと彼が行くのは私の為でもあるのだから・・・。
サラはアーハードの腕をその小さな手でぎゅっと握りしめた。
「アーハード、死なないで」
彼はサラの側に跪くと、両肩に手を置いて微笑んだ。
「アーハードはお嬢様の花嫁姿を見るまでは決して死にません」
水の中に消えていくアーハードを、渚達は祈るような気持ちで見守った。
息苦しさに意識が薄れそうになるのを必死に奮い起こし、ピョンは王冠を掴んで引っ張っていた。
“くううっ、動け、こらーっ”
力を入れすぎてピョンは、身体の中に蓄えていた残り少ない息を全て吐き出してしまった。息苦しさで気が遠くなりそうだ。
“もう・・・駄目なのか・・・?俺は2,500年前と同じように、何も出来ないのか・・・?”
かすんでいく目が捕らえたのは上からやって来る小さな光だった。やがてそれがすぐ側までやって来ると、ピョンの両側から白い羽のような物がふわっと伸びてきて、その冠を掴んだ。
ー 清き光の元、その冠をうち捨て白き羽と共に闇の中に身を沈めよ ー
ピョンがその言葉を頭の中で繰り返す間に、その手は冠を王子の石像から取り上げたのである。
ー さすれば古の門は開かれるであろう ー
その瞬間、ザアアッという音と共に水が両側から引き始めた。アーハードとピョンは水に流されないよう、その石像に捕まっていたが、ピョンが水の勢いに負けて手が離れ、コロコロと回りながら流されて行くのを慌ててアーハードがその足を掴み、何とか流されずに済んだ。
池の淵でピョンとアーハードの為に火を起こしていた渚達も、ザァァッと音を立てながら水が両側にある石造りの穴に吸い込まれていくのをびっくりして見守っていた。やがて池の底から人一人が丁度入れる大きさの扉が付いた石造りの入り口と、その前にある王子の姿をした石像の側に力尽きたようにしゃがみ込むアーハードとピョンが現れた。
「ピョンちゃん!」
「アーハード!」
すぐに駆け寄って彼らを火の側に連れてきた。ぐったりしているアーハードに、もう元気になったピョンが声をかけた。
「アーハード、すまんかったな。助かったわ」
「どういたしまして」
そしてピョンは池の中から現れた古びた石の建屋と扉を見て「これが古の門か・・・」と呟いた。皆がその扉を見た後、ピョンを抱き上げたサラを見つめた。
「ピョンちゃん、先生、ウィディア。行こう!」
そして彼らは侯爵家の跡取り娘の後に従った。
アーハードはびしょ濡れなので、乾くまではここに残るが、とりあえず石の扉の前まで皆を見送った。扉の中はすぐ下へ降りる階段になっていた。底が知れないほど中は真っ暗だ。ウィディアがまず懐中電灯で照らしながら中へ入った。しっかりした防水工事がされていたのか、階段はぬかるんではおらず、かび臭さもなかった。階下に降りると6メートルほどの廊下があり、その奥に更に石造りの扉があった。その扉にもブライトン家の紋章が彫り込まれている。
サラが渚と自分の掌の上に居るピョンを見つめると、笑顔で二人が頷いた。サラはうなずき返すとピョンを渚に渡し、緊張した顔で石の扉に手をかけた。
「おっと、そこまでだ。サラ嬢。そこから先はお前の未来の夫が開けなければな」
その声に皆がハッとして振り返ると、彼等にとって今一番会いたくない男が、相変わらず血色の悪い顔でニヤニヤ笑って立っていた。その後ろにはリージスの部下に銃を突きつけられたアーハードが、上半身裸のまま連れて来られていた。
渚とウィディアは困った顔をしてお互いを見た。アーハードが捕らえられていては、女の子三人でこの男達に対抗する術はない。ピョンは渚の肩の上に飛び乗ってリージスに言った。
「やーっぱ来よったか。まっ、別荘をぶっ壊された位で諦めるとは思えへんかったけどな」
「このぉぉ、カエル!お前の仕業だったのか、あれは!」
リージスは青筋を立ててピョンをにらむと部下に渚達を捕らえるように命令した。10人以上居る黒服の男達に女子供が逆らえる訳もなく、彼女達はすぐに両手を前に縛られ、ピョンに至っては最新型のロボットは何をするか分からない、と言う事でガムテープでグルグル巻きにされ、アーハードの右肩に貼り付けられた。
「こらっ、何すんねん。皮膚呼吸できひんやんか!」とわめくピョンにリージスは顔を近づけた。
「そこでよーく見ているがいい。この私が財宝によって王位を掴む様をな」
その言葉に渚達はびっくりしてリージスを見た。この男は厚かましくも王位を狙っているのか?
「金で王位が買えると思てんのか?だとしたら大馬鹿者やでお前は」
「さあどうかな?第1位から第8位までの継承者が全て死ねば・・・ああ、もちろん事故で・・・だがね。例えばこんな事故はどうだ?王室主催のレセプションパーティが、ある船を貸し切って行われていた。その船が何らかの事故で爆発炎上。乗客もろとも海へ沈む・・・とかね。金があればどんな事でも可能だ。私は不可能を可能にする力をもうすぐ手に入れるのだ」
全く、どいつもこいつもどうして王になどなりたがるんだろう。あんな物、めんどくさいだけやで・・・。
ピョンはあきれた顔でそう思った。
「冗談じゃないわ!あんたみたいな奴が国王陛下になったら私、イギリス国民辞めるわよ!」
我慢できずに叫んだウィディアにリージスは「その前に生きてここから出られるかどうかを考えるんだな」と冷たく言い捨てると、石の扉に手をかけた。
「天馬に乗りし王子が、古の門を開ける様を見届けるがいい」




