10.始祖の手記
朝、ピョンが目を覚ますと、いつも隣で寝ているはずの渚が居なかった。彼はじっとベッドを見た後、妙だと思った。ベッドはいつも朝必ずこの城のメイドがシーツを全て新しくして、ベッドメイキングをしてくれている。今ベッドはそのままの状態で、つまり渚が寝た気配が全く無かったのだ。
ピョンは急いで渚の荷物を探した。嫌な予感が当たったのか、彼女がいつも使っている鞄が部屋に残されたままになっていて、携帯電話もそのまま中に入っていた。その電話でウィディアに電話を掛けて渚の事を聞いたが、ウィディアも全く知らない様子だった。
ピョンは嫌な予感に駆られながら、アーハードとサラを呼んできてくれるようウィディアに頼んだ。
「あ、ウィディア。サラの父ちゃんと母ちゃんには知らせんようにな。余計な心配はかけとうない。それからサラにノートパソコンがあったら、持ってくるよう言ってくれ」
「分かった!」
すぐにエネディスのパソコンを借りてきたサラとアーハードがやって来た。渚の部屋のデスクの上でパソコンを開くと、ピョンは「ウィディア、渚の鞄の中からディスクを出してくれへんか」と頼み、すぐに彼女は持ってきたディスクをパソコンの中にセットした。
ピョンがいくつかのキーを叩くと、画面の左側3分の2に地図が現れ、右側の3分の1には英数字が並んでいて、その下のSearchという赤いボタンをクリックすると、パソコンから『対象物を検索します』と声がして、地図が世界地図からイギリス全土、そして徐々に詳細地図に切り替わっていった。
「これってまさか・・・」
「ああ、GPSや。こいつは凄いで。地下3000メートルに潜っても、上空3万メートルを飛んでても見つける事が出来る。しかも大きさはわずか2ミリしかないから、ほとんどの物に仕込める。一番凄いんは、内蔵されているAIが対象物の居る場所の3D画像を作製して場所の特定が出来る事や。例えばビルの何階のどこに居るか、飛行機やったら前から何番目の席に座っているか、画像で確認できるんや。ま、おかげでちょっと高かったけどな」
「あんた、ナギサにGPS付けてるの?」
ウィディアがびっくりして叫んだ。
「ああ。ナギサはぽえーっとしとるから携帯も落としかねへんし、それだけでは心配やからな。腕時計やら鞄に付けとるバッグチャーム、アクセサリー類、ありとあらゆる物に仕込んどいた。どんな事があっても必ず見つけられるようにな」
「そりゃ、あんたはナギサの保護者だけど・・・ちょっとやり過ぎじゃない?」
「しゃあないやろ。ナギサは何もない所でよう躓くし、すぐ道に迷うし、道歩いてて工事中の下水の穴に落ちるかも知れへん」
いくらなんでもそこまでドジじゃないわよ。と言いかけたが、渚に限ってはそれも有り得るかも知れないと思ったウィディアはそれ以上何も言えなかった。
「それにこの間のウェスト・チャーチル銀行の事件。立てこもりの犯人はナギサにだけ名前を尋ねて自分の名も名乗ったそうや。事件は早く片付いたから良かったけど、もし犯人が逃走用の車を要求してみ?人質として連れて行かれたんは間違いなくナギサやったやろう」
そんな事があったのか・・・。ウィディアが青くなって画面に目を戻すと、赤い2本のラインが対象物の居場所を特定し、パソコンから『対象を特定しました』と合図があった。ある建物の立体画像が映し出されている。それを見てサラが叫んだ。
「あっ、その形はリージス・アルタインの別荘だわ!」
ピョンは目を細めると「あのぼんくらナスビ。ナギサを攫いよったな」と呟き、画面をメールに切り替えると、手でキーボードを叩き始めた。
「ええい、めんどくさいな。家のやったらしゃべるだけで文字変換しよんのに」
そうは言いながらもピョンのキーボードを叩く手はなかなかのスピードだ。相手からの返事が来ると、ピョンはニヤッと笑って呟いた。
「さあ、王位継承権の第1位と第9位の、格の違いを教えてやるわ」
そして画面を再びGPSに戻すと、後ろを振り向いて皆に言った。
「よっしゃ。アーハードは車を。ウィディアはパソコンを持ってくれ。サラ。あのぼんくらナスビ。ぶん殴りに行くぞ!」
「うん!」
ピョンは馬小屋に居たハイドライドの背に飛び乗ると「行け。ハイドライド!」と叫んで駆けだした。ウィディアとサラもアーハードの運転する車に乗って彼の後を追った。
その様子を2階の自室の窓から外を見ていたエネディスが丁度お茶を持って入ってきた妻のマーシャに言った。
「おや。サラ達が慌てて車に乗って行ってしまったよ。ハイドライドが鞍も付けずに走って行ったが・・・」
「まあ。何か新しい遊びでも見つけたのかしら」
「そのようだね」
にっこり笑って答えると、彼は妻の横に座って彼女が入れてくれた紅茶を飲み始めた。
渚が目を覚ますと見た事もない部屋に居た。そこは彼女が寝ているベッドの他には粗末なテーブルと椅子が壁際においてあるだけで、他には何もない部屋だった、。ここはどこだろうと思いつつ起き上がろうとしたが、軽いめまいと吐き気を覚えた。きっと薬か何かで眠らされたからだろう。
気分の悪さをこらえて起き上がると、部屋にたった一つだけある窓の側に寄って外を覗いた。目の前には深い森が広がっているだけで、他には何も見えない。景色からすると、自分が2階の辺りにいる事が分かった。
「まだブライトン家の敷地からは出ていないみたいね。とすると、ここは・・・」
考えられるのはたった一つ。あのリージス・アルタインの別荘だ。それにしてもなぜ自分を攫ったのだろう。サラならともかく・・・。渚は首をかしげて理由を考えていたが、急にムッとした顔になった。
「もしかしてサラと私を間違えたとか?いくら何でも8歳の女の子と間違えるなんて、あまりにも無礼じゃない?」
渚はふてくされてベッドに腰掛けたが、急に「ああーっ!!」と声を上げた。そして時計を確認して更に驚いた。もう昼の1時を回っているのだ。
「冗談じゃないわ。まだ3段残っているのに。その後かわいくラッピングもしなきゃならないのに・・・!」
渚は蒼白な顔でうつむいた。渚にとっては捕まって身の危険があるという事実より、今夜のクリスマスにピョンへのプレゼントが間に合わなくなる方が重大だった。
「あんなに頑張ったのに・・・」
涙目で呟いた後、リージスに対する怒りが沸々と湧き上がってきて、渚はぎゅうっと手を握りしめた。
「女の子の大切なクリスマスを邪魔するなんて。もう、もう、絶対許さないんだから・・・!!」
渚は部屋の中をキョロキョロ見回すとにやりと笑った。
「椅子もある。シーツもある。おまけに2階だし。なーんだ。脱出してって言ってるみたじゃない」
すぐにベッドのシーツを剥がしにかかったが、ふと足に何か固い物が当たった気がして、渚はふと足下を見た。ベッドの下に分厚い本が落ちている。渚はかがんでそれを拾い上げた。古びてはいるが、表紙は動物の皮で出来ており、金と赤のひもで閉じられている。
「何だろう・・・」
渚は逃げることよりも、その本に興味を引かれた。ひもをほどいて中を開けた渚は驚いた。それはピョンがリージスの屋敷に忍び込んだ時に言っていた、ブライトン家の始祖、アトラス・ブライトンが書き記した手記そのものであったのだ。
どうしてこんな物がここにあるのだろう、という疑問もわいたが、それよりその中をどうしても確認したくなった。もし財宝が見つかれば、きっとエネディスやマーシャが喜ぶだろうと思ったからだ。渚はゆっくりと1ページ目を開いた。そこに書かれている文字は暗号などではなく、一般的に使われている英語だったので、ほっとしながら読み始めた。
そこにはこのブライトン家の礎を築いたアトラス・ブライトンがいかにしてこの領土を手に入れ、その地の領主となったか、壮大なストーリーが繰り広げられていた。当時彼の領土は東の要衝と呼ばれ、数多くの家来や召使いを従えていたらしい。そしてその彼が晩年手にした多くの財宝を子孫に残すため、この地のどこかに隠した事が記されていたのである。
「やっぱり財宝はあるんだわ。他の誰かに見つかっていなければ・・・」
渚はその次のページをめくろうとしたが、少しためらった。次のページにはきっとそこへ行き着く手がかりが書かれてあるに違いない。そんな重大な物をブライトン家と何の関係もない自分が見てしまっていいのだろうか。
だがここから抜け出す時に、この重たい本を抱えて行くのは無理だろう。
「覚えて帰るしかないわ」
渚はそう呟くと、次のページをめくった。




