9.ラストダンスは貴方と・・・
サラ達の居るツリーの方を見てぼうっとしていた渚は、ウィディアに呼ばれてハッと顔を上げた。いつの間にか背の高い男性が側に居て自分に笑いかけている。黒髪の笑顔の優しい男性だった。
「この方があなたとダンスをしたいんですって」
「え?」
「お願いします。ミス・コーンウェル」
「あ、あの・・・え・・と」
真っ赤になってオロオロしている渚に「早く行きなさいよ」と小声で囁くと、ウィディアは渚の背中を軽く押した。
「お!うまい!この肉の叩き。ピリッとしてうまいわぁ」
ピョンはアーハードに自分用の小さなテーブルを用意して貰って、その上で色々な料理を味わっていた。
「それはパストラミ・ビーフっていうの」
後ろからした声に顔を上げると、腰に手を当てたウィディアが立っていた。
「おお、ウィディア。どうやった?さっきの金髪の美青年は」
「うーん。見かけはタイプだけど、中身がタイプじゃなかったわ」
「まっ、選り好みできる内が花や。今の内にええ男、見分ける目を養っとくんやな」
「私の事より・・・」
ウィディアはニヤッとしてホールでさっきの男性と踊っている渚を指さした。
「ナギサが素敵な人と踊って居るわよ」
ピョンはちらっとホールの方を見ると、再び料理を食べ始めた。
「ほんまやな。背ぇも高いし感じのええ男や」
「あら、いいの?あんたナギサの保護者なんでしょ?」
「たかだかダンスごときで目くじら立てとったら身が持たへんわ。それにもしナギサがどうしてもこの人と結婚したい言うたら、ワイは別に反対せーへんで」
ウィディアは意外そうな目でピョンを見た。
「ふーん、どうして?あんたナギサが好きなんでしょ?」
ピョンは食べるのをやめると、その小さな手をじっと見た。
「どんなに好きでもどうにもならん事はある。どんなに願っても叶えられない願いなんて星の数ほどある。ワイは人よりちょっとそれが多い。そやから諦めるのも慣れてるんや」
なぜかウィディアはその言葉に無性に腹が立った。
「何?それ。あんたらしくないわね。大体あんた、アレクがナギサに近づくのを散々邪魔してたじゃない。それなのに何?いざとなったらナギサの好きにしたらいい、なんて・・・!」
「あ、あれはアレクがナギサをニューヨークに連れて行こうとしてたからやろ。今は行くべきやないと思ったから止めただけや」
「じゃあ、この先ナギサがアレクの所に行きたいって言ったら、行かせるの!」
「ああ、そうや。それがナギサの決めた事やったら、ワイは喜んで送り出したるわ!」
「喜んで?へえそう。ホントに喜んであげるのね?あんたのナギサへの気持ちなんてそんなもんだったんだ。そんな中途半端な気持ちでナギサの側に居るんだったら、とっとと出て行きなさい!ナギサだって迷惑よ!」
「な・・・!」
ウィディアはピョンが反論する隙も与えず、ドレスの裾を翻すと、さっさと行ってしまった。
「なんや、あいつ。いつもはワイがナギサとおるの反対しとうくせに。あーっ、女ってのはさっぱり分からんわ」
ピョンは頭を抱えてため息をついた。
一方、東の森の中。沼の周辺を探索中のリージス以下、部下10名は、やっと泥沼から抜け出た者達が沈んでいる仲間を助け出そうとしていた。
もはや胸まで泥につかり、お気に入りの襟元に毛皮のついたカシミアのコートもすっかり台無しになってしまったリージスは、額に青筋を立てながらふがいない部下に向かって叫び続けていた。
「こらーっ、私を先に助けんか!何をやっとるんだ、ボーナスカットするぞぉ!」
それを聞いて一人の部下が何とか周りの木々に捕まりながらリージスの側にやって来て、彼の腕を掴んで引き上げようとした。だが一人では泥に浸かった人間を引き上げるのは難しいらしく、ゆっくりとしかリージスの身体は上がってこなかった。
「早くせんか、早く!」
「は、はい。努力しているのですが・・・」
その部下の声にリージスは聞き覚えがあった。先ほど電話でこの沼の周辺に地図が隠されていると報告してきた部下だった。
「お、お前ぇ。貴様のせいで、とんだ目に遭ってしまったではないか!このカシミアのコートの代金、お前のボーナスからさっ引くからなっ!」
それを聞いてびっくりした部下が思わずリージスの腕を放した拍子に後ろにつんのめり、バシャッと音を立てて沼の中へはまってしまった。リージスも再び泥の中に沈んでいく。
「バ、バカ者!誰が放していいと言ったぁ!お前は減給どころか、ボーナスカットだ。覚悟しろぉぉっ!」
そして一晩中、冷たい森の中にリージスの声は響き渡る事になった。
ブライトン家のクリスマス・パーティは盛況の内に幕を閉じようとしていた。子供達はもうすでに自分達の部屋に引き上げている。エネディスが終了の合図に最後のダンスを始めましょうと言うと、皆それぞれパートナーの居る人は手に手を取って踊り始めた。
「最後はやはりあなたと踊らないとね」
エネディスがマーシャ夫人に手を差し出すと、にっこり笑って彼女は夫の手を取った。ウィディアはなぜかアーハードと踊っている。きっとこのパーティで彼女のタイプの男性は居なかったのだろう。ピョンはパーティが終わるまでリージスが顔を出さなかったので、どうやら自分の作戦通りに事が成ったとほくそ笑んだ。
“あの沼の周りにアーハード達と散々水を撒いたったからな。相当ぬかるんで上がって来られへんのやろ。くすっ”
渚はラストダンスと聞くと持っていた皿を置き、ドレスの裾を持って「大変だわ!」と言いながら辺りを見回しピョンを探した。彼は小さなテーブルの上で相変わらずたくさんの料理を頬張っている。
「ピョンちゃん!」
「おお、渚。このウィンナーうまいで。本場ドイツから取り寄せてんねんて。それにこの酸っぱいタマネギと食べると又さらに・・・」
料理番組の出演者の様にウィンナーを持って語るピョンの手から料理を奪い取ると「そんなのは後でいいの!」言いながら彼を両手ですくい上げた。
「最後なのよ。まだ一緒にダンスをしていないでしょ?」
「は?ワイと踊る気か?どうやって・・・」
「こうやってよ」
渚は腕をまっすぐに伸ばしてピョンを手の平に載せたまま音楽に合わせてくるくると回り始めた。周りの人から見れば女の子が一人でステップを踏んでいるように見えるだろうが、先ほどの腹話術で人気者になったピョンと渚が楽しそうに踊っているのを気に止める人も別段居ないようである。
「なあ、渚。こんな踊り方をして楽しいか?」
「楽しいよ。ピョンちゃんは楽しくない?」
「そりゃまあ・・・楽しいけどな」
カエルが照れながら微笑んだので、渚のステップは更に軽くなったようだ。そうしてみんなの素敵なクリスマス・イブ(一部を除いて・・・)は優しく更けて行くのであった。
渚が着替えを済ませて部屋に戻ると、お腹いっぱいになったピョンはベッドの枕元に置いたかごベッドの中ですでにくうくうと寝息を立てて寝ていた。渚は上着を着込むとそんなピョンに「ちょっと行ってくるね。すぐ戻るから」と小声で話しかけ、そっとドアを出て行った。
古城の廊下は人気が無くなると、急に暗くなる。石造りの壁の所々に小さなライトが点いているが、それも全体を照らす物ではなくお飾り程度の明かりなので、こういう雰囲気に弱い渚は周りを見ずに足早に廊下を通り抜け階段を降りた。使用人達が使う裏木戸から外に抜けると、辺りはもっと暗い闇に包まれていた。
サラが待ち合わせにと指定した納屋は四方がレンガ造りなっているしっかりした納屋で、普通の乗用車が2台は入るほどの大きさだった。納屋の木戸の所に一カ所だけ点いた明かりを頼りに近くまで来ると、渚は息を弾ませながら納屋の扉に手をかけた。
「サラ・・・?」
中を覗いて声をかけたが、彼女がいる様子はなく、中は真っ暗だった。携帯のライトを点けようと思いポケットの中を探ったが、どうやら部屋に置き忘れてしまったようだ。
「まだ来てないのかな?」
渚が呟いたその時、突然背中を誰かに押され、彼女は納屋の中に転がり込んだ。暗闇の中に4つの明かりが浮かび何人かの人間がそこに居ると分かったが、渚が恐怖の声を上げる暇も無く、その中の一人に口を押さえられ、そのまま渚の意識は遠のいた。




