8.パーティの始まりとサラの手紙
隣の部屋から響いてきた物音に気が付いた渚は、一瞬ドキッとして編み針を持つ手を止めた。ピョンが帰ってきたのだろうか。さっき2段ほど前の編み目で編み間違っているのに気付いてほどいた所だったので、渚は糸が絡まないよう、注意しながら紙袋に毛糸玉を入れた。ここはウィディアの部屋なのでピョンが来る心配は無いが、用心に超した事はない。
ドアを開けて隣の自分の部屋の方を見てみたが、ピョンが戻って来た気配はなかった。渚は不思議に思いつつウィディアの部屋に戻ろうとしたが、ふと自分の部屋のドアの下に白い封筒が置いてあるのに気が付いた。表には『ナギサ先生へ』と書いてある。
「サラからだわ・・・」
急いで中の手紙を確認した。
『今夜どうしても先生に相談したい事があります。パーティが終わった後、誰にも気付かれないよう裏庭にある納屋まで来て下さい』
わざわざ手紙で知らせてくるなんて、よほど誰にも聞かれたくない話なのだろう。渚は誰にも見られないようにその手紙を封筒に戻すと、服のポケットの奥深くに入れた。
昼を過ぎた頃から今夜のパーティに参加するために、ブライトンの一族の人々がぞくぞくと集まってきた。闇夜に美しく城が浮かび上がる時間になると、パーティ会場は人々の熱気と話し声で音楽も聞こえないほどである。
3階のマーシャ夫人の部屋では彼女のドレスを借りた渚とウィディアが、ドキドキして出番を待っていた。
「素敵だわ、ウィディア。あなたの黒髪にぴったりね。そのノワール(フランス語で黒の意味)のドレス!」
ウィディアはワンショルダー(片方だけ肩にかかって、もう片方は出ているもの)の肩から胸にかけて真っ赤なバラの飾りがついたイブニングドレスを着て、渚の言葉に嬉しそうに微笑んだ。
「ナギサも素敵よ。そのパールゴールドのドレス。ぐっと大人っぽく見えるわ」
「ホント?」
渚の方はドレスとお揃いの淡いゴールドの花飾りを短く切った髪の裾に付けて、サイドの髪はホットカーラーでボリュームを出すという、マーシャ夫人の凝りようが現れていた。
今夜の主役はもちろんこの城の次期当主になるサラだが、2階の入り口からパーティ会場に至るアーチ状の階段を降りる彼女を、渚とウィディアが2人でエスコートする事になっているのだ。
「私、緊張して階段から転げ落ちないかしら・・・」
心配そうに呟く渚に、それは有り得ると思ったウィディアは「ナギサは手摺りの方から降りなさいよ。私は反対側に行くから」とすかさず言った。
「さあさ、二人共。もうすぐパーティが始まるわ。エネディスがお客様にあなた達を紹介するから、サラと一緒に2階の入り口で待機していて」
マーシャの言葉に彼女達の心臓は更にドキドキを増した。
「が、頑張ろうね。ナギサ」
「うん」
彼女達が入り口でサラと共に待っていると、エネディスの声が響いてきて人々のざわめきが一瞬にして収まった。
「皆様、本日は遠い所をようこそ我が家のクリスマス・パーティにお越し下さいました。今夜は我がブライトン家の小さな天使の他に、美しい二人の天使も来て下さったようです。皆様にご紹介いたしましょう。ミス・ナギサ・コーンウェルとミス・ケイト・オースティンです!」
沸き上がる歓声と共に三人の天使を迎える人々の拍手が沸き起こった。“美しい天使”という言葉にウィディアは耳までカーッと熱くなるのを感じた。渚とサラは入り口へ向かったが、ウィディアは一歩も足が出なかった。それに気が付いた渚はすぐに引き返してきた。
「ウィディア?」
「ど、どうしよう、私、恥ずかしい。やっぱり下から入るわ」
いつもと全く様子の違うウィディアに渚とサラは顔を見合わせた。渚はバックからファンデーションのケースを取り出すと、中の鏡をウィディアの方に向けた。
「見て、ウィディア。こんなに綺麗で魅力的な女性がこの会場に他にいる?きっと今夜独身男性はみんなあなたにダンスを申し込んで、あなた、一晩中踊る事になるわ。さあ、胸を張って。貴族のパーティに殴り込みよ!」
握りこぶしを胸の前に持ってきてガッツポーズをとる渚にウィディアは、いざとなると何て肝の据わった子かしら・・・と思った。ウィディアは自分の手を握りしめた渚の手をぎゅっと握り返すと、顔を上げて大きく息を吸い込んだ。
「よーし。男共を悩殺しちゃうわよ。私たち三人で!」
「うん!」
渚達がパーティ会場の入り口に姿を現すと、更に大きく拍手が沸き起こった。いざ一歩外へ足を踏み出すと、途端にウィディアはいつもの彼女に戻ったようだ。階下に降りて、見知らぬ人々の間に入って、もう溶け込んでいる。サラは親戚の奥様やいとこ達からお帰りなさいの挨拶を受けていた。一通り大人達が彼女に挨拶を終えると、サラと同じか一つ上くらいで、まだあどけないそばかすの残った小さな男の子が彼女を待っていた。
「サラ、お帰り。今日は一番に僕と踊ってくれる?」
「ええ、いいわよ。ルーディン」
「ほんと?」
どうやらルーディンはいつもサラの父の2番手であったらしい。彼は嬉しそうに微笑むと、大好きなサラに手を差し出した。
「ピョンちゃんはどこに行ったのかしら・・・」
ピョンを探して渚がキョロキョロ辺りを見回していると、会場の入り口に立って客を出迎えているアーハードの肩の上にピョンがちょこんと乗っかっているのに気が付いた。しかも彼は入ってきた客達と賑やかに話をして盛り上がっているではないか。
「ピョンちゃん?」
渚が慌てて彼の所へ行こうとした時、後ろから彼女を呼ぶエネディスの声が聞こえた。
「どうかしたのかい?顔色が悪いよ」
「え、あ、あの、いえ・・・」
困ったように口ごもった渚が、入り口に居るピョンとアーハードの事をチラチラ見ているのにエネディスは気が付いた。
「見事なものだろう?我が家の執事にあんな特技があるとは思わなかったよ。今日の余興に腹話術をピョン君と一緒に練習したんだそうだよ。それにしても本当にピョン君は賢いカエルだね」
「は・・・あ・・・」
腹話術・・・。いや、あれは絶対ピョンが直接しゃべっているのに違いない。そこまでしておしゃべりがしたかったとは・・・。
苦笑にしている渚にエネディスが微笑みながら手を差し出した。
「エネディスさん・・・?」
「良かったらナギサ、踊っていただけませんか?君のダンスはお父上譲りでとても上手だとウィディアから聞いたんだが」
”ウィディアから・・・・?”
渚が驚いた顔でウィディアを見ると、彼女はニヤッと笑ってウィンクした。渚は彼女の友情に胸が熱くなった。そしてエネディスを見上げると、にっこり微笑んで彼の差し出した手に自分の手を乗せたのである。
明るい音楽と共に会場の中央でダンスが始まった。ウィディアももちろん金髪の素敵な男性に連れられて、踊りの輪の中に入っている。
「おや、ナギサ様が旦那様と踊っておられますよ」
アーハードの言葉にピョンがホールを見ると、渚が踊っているのが見えた。ピョンはフッと笑みを漏らすと、まるで独り言を言うように呟いた。
「いや。あいつは父ちゃんと踊ってるんや。本当の・・・」
まるで光に包まれたようなブライトン家の城とは対照的に、城の東側にある森の中は月の光も差さない真っ黒な闇に覆われていた。
「ええい!まだ見つからんのか!」
寒さと足下から染みこんでくる冷たい泥のせいで、リージスはイライラしながら部下達に叫んだ。しかしその部下達といえば、重たい泥に足を取られて思うように動けず、中には胸まで沼にはまって抜け出せなくなった者も居て、もはや地図探しどころではなくなっていた。この寒さの中、冷たい沼の中に居たら凍え死んでしまうだろう。
沼のあちこちから「わあっ、助けてくれぇっ!」「沈むっ、沈むーっ!」等と叫び声だけが響いてくるが、暗くてリージスには状況が良くつかめなかった。そして「何をしておるのだ、お前達は!」と叫びつつ一歩大きく足を踏み出した途端、彼の右足は泥沼の中に吸い込まれ、身体は大きく傾き、右肩から沼の中へズブッとはまり込んでしまったのだ。
「わあぁぁぁっ!カシミアのコートがぁぁっ!ええい、誰か私を助けんか!早くしろ!沈むではないか!!」
ダンスのあと、渚とウィディアはこの日のために壁際にたくさん用意されたパーティ料理を食べ、食欲を満たしていた。
「おいしい!このサーモンのカナッペ。サイコー!」
「こっちのビーフストロガノフも絶品よ!」
二人共、まだまだ色気より食い気の方が勝っているようだ。
「ところでナギサ。例の物は完成したの?」
「ううん。でもあと3段なの。だから間違いなく今夜中に出来るわ。そしたら綺麗にラッピングしてピョンちゃんと同じ黄緑色のリボンを付けたら完成よ!」
「Wao!やったわね、ナギサ」
彼女達が話していると、奥の方から歓声が上がった。ツリーを囲んで子供達がプレゼントを貰っているのだ。これはブライトン家の当主が毎年15歳以下の子供達に送る物で、ツリーの側にはエネディスと妻のマーシャがいて、その前に立ったサラから皆がプレゼントを受け取っている。
サラの分は明日、家族だけで行う(今年は渚達も加わるが)パーティで開けるのだ。その様子を見て、ウィディアがため息交じりに言った。
「大変ね、エネディスさんも」
「何が?」
「侯爵家と言っても、エネディスさんは小さな設計事務所を経営しているだけで、後はテムズ川沿いに所有する土地を果樹園の農家に貸しているくらいでしょ?マーシャさんは侯爵家の妻っていう体裁があるから働きにも出られないし・・・。でもやっぱり本家だからこうして親戚を招いてパーティもしなきゃならないし、プレゼントも用意しなきゃならないんだもの」
ミシェル・ウェールズの子供達を見ていても分かるが、貴族の社会も色々大変なようだ。渚はもし財宝などという物がこの土地にあるのなら、この優しい親子の為に見つかって欲しいと願わずには居られなかった。




