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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream1.新天地へ
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5.ピョンとの約束

 いつものように教壇に立つと、渚は生徒全員の顔を見回した。今日も誰一人おしゃべりをすることなく、皆きちっと席に着いている。


「今日は先週やったカタカナの続きをしますね。みんな覚えてきましたか?」


 渚の元気のいい質問に、最近少しずつだが生徒達は反応するようになってきた。もじもじしながらうつむく者。隣の席の友達と目を合わせる者。本当は「はーい」と元気に叫んで手を上げたそうな子供も居た。


ー もう少しなんだけどなぁ ー


 渚は苦笑いをしつつ、再び明るい声で話しかけた。


「では、エマ、マーク。今から言う文章を、全てカタカナで書い下さい。他の人もノートに書いていって下さいね」


『キョウハ、ピクニックニイキマス』


 生徒が黒板にカタカナを書くのを見つつ、朝ピョンと交わした会話を思い出した。ピョンはピクニックに行った事がないらしく、週末にピクニックに行くのをとても楽しみにしているようだ。


ー ピクニックかぁ。そうだ! ー


 素敵なアイディアの浮かんだ渚は、すぐに校長室へ向かった。部屋の中には苦手なシスター・エネスも居たが、どうせ彼女にも話を通さねばならないのだ。思い切って口を開いた。


「何ですって?子供達を外へ連れ出す?」


 案の定シスター・エネスは渚の提案に金切り声を上げた。校長のシスター・ボールドウィンも厳しい目を渚に向けながら、机の上に肘をついている。


「はい。近くのホランド・パークに行って、お昼ご飯を食べながら勉強をしたいんです。ホランド・パークには日本庭園もありますし・・・」


「なりません!何を言っているか分かっているのですか、あなたは。勉強なら教室でやればよろしいでしょう」


「でも、いつもと違う環境で覚えた記憶はなかなか忘れないものです。これから難しい漢字の勉強に入るので、少しでも楽しく覚えられるようにしてあげたいんです。何よりイギリスにはビッグ・ランチという習慣もありますでしょう?」


(ビッグランチ:一般人が路上などに集まって食事を取る習慣)


「必要ありません!勉学とは厳しいものです。楽しくする必要などありません。第一外に出て子供達に怪我でもさせたら、どう責任をとるつもりなんですか」


 シスター・エネスはどうあっても許してはくれないだろう。渚は机の上に肘をついたままじっと自分を見つめているシスター・ボールドウィンのいる机に駆け寄った。


「お願いします、校長先生!外が駄目なら校内の広場でもいいんです。それなら危険も無いし、シスターの目も届きますでしょう?決して勉強以外の不必要な事は教えませんから、どうかお願いします!」


 校長は小さくため息をつくと、椅子の背もたれにもたれかかった。


「ミス・コーンウェル。外の空気は子供達にとって不利益をもたらす物の方が多いのです。それはよく分かっていますね?」

「はい、校長先生!」

「よろしい。許可しましょう」

『校長先生!』


 校長室に渚の嬉しそうな声と、シスター・エネスのムッとしたような声が上がった。



 渚はさっそく、いつも北側の物置の陰で行うお茶会の時に、校長の許可がもらえた事をウイディアとマリアンヌに報告した。渚の野外授業の噂はすでにシスター達の間で広まっていて、ウイディアは「やったわね。あなたなら絶対何かやってくれると思っていたわ」と大喜びだ。マリアンヌもにっこり微笑んでいる。


 それぞれのクラスの担当シスターにも参加してもらわなければならないので、野外授業は週末の日曜日に行われる事になっていた。


「ウイディアとマリアンヌにも参加してほしいけど、2人の担任の生徒はいないから無理だね」


 残念そうに話す渚に、ウイディアはニヤリと笑いかけた。


「いいえ、ちゃんと参加するわよ。シスター・エネスに『日曜日は私たちも参りますわ。神様から預かった子供達に何かあったら大変ですもの』って言ったら一発OKだったわ」


「すごい!さすがウィディア!」

「日曜日が楽しみね!」


 珍しくマリアンヌも声を弾ませた。


 だがここで一つ問題があった。渚はピョンと次の日曜日にピクニックへ行く約束をしていたのだ。案の定、家に戻って日曜日に予定が入ってしまった事を報告すると、ピョンはふくれっ面で横を向いた。


「ワイは許せへんで!」


「ごめんね、ピョンちゃん。来週から漢字の勉強が始まるの。だからどうしても今週末の日曜日に行かなきゃならなかったの」


「そんなん知らん!ピクニックに行くのはワイの方が先に約束したのに、渚の嘘つき!」


 ぴょんぴょん跳びはねて、ピョンは自分のかごベッドのクッションの下に潜り込んでしまった。渚は何とか彼を説得しようとピョンのベッドに顔を近づけた。


「ピョンちゃん、分かって。子供達に堅苦しい教室じゃない自然の中で、あの学校の戒律だけが全てじゃないって教えてあげたいの。あの子達の本当の笑顔を見てみたいの。私は教師だから」


「もおええ!渚はワイよりその子等を選んだっちゅう事やろ!所詮友達やなんやって言うたって、カエルなんかより人間の方が大事なんや!」


「ピョンちゃん。違うよ。あの子達は生徒で、ピョンちゃんは友達で、どちらが大事とか比べられなくて・・・」


 そこで渚は言葉を止めた。そうだ。ピョンなら少しくらい我慢してくれると思っていた。友達だから分かってくれるなんて、甘えていたのだ。


「ごめんね、ピョンちゃん」


 しばらく何の物音もしないのでピョンがクッションの下から顔を出すと、渚はそこには居なかった。きっと自分の部屋へ行ってしまったのだろう。


「ちぇっ、なんやあいつ。もう少し粘ったら、クロワッサンサンド3個ぐらいで許したろー思とったのに」


 仕方が無いので、ピョンは渚の部屋へ向かった。開いているドアから中を覗くと、渚がベッドにもたれかかって膝を抱えながら泣いているのが目に入った。


ー ゲッ、泣いてるし。つまり何か?ワイが泣かしたっちゅう事か? ー


 ピョンはどうしていいか分からず、ぴょんぴょん跳びはねながら右往左往した。



 ピョンを怒らせてしまったと思って泣いていた渚は、足首に触れた冷たい感触に驚いて顔を上げた。ピョンが左の足首に抱きつくように張り付いている。


「ピョンちゃん?」


「もおええ。分かった。許したる。その代わり来週の日曜は、とびきりうまいクロワッサンサンド作れよ。それからクッキーとマドレーヌも焼け。制限なしに食わせろ。分かったな?」


「ほんとに・・・それでいいの?」

「ええ。カエルに二言はない」


 渚はうれしさのあまり、「ピョンちゃぁぁん!」と叫ぶと彼を両手ですくい上げ、胸に抱きしめた。

「わーっ、やめろ、渚。潰れるぅぅぅ!」




 土曜日は午後の授業が休みなので、渚はピョンと共に図書館に行く事にした。日曜の野外授業に役立つ本があったら借りようと思ったのだ。本当は一人で学校帰りに行くつもりだったが、彼が一緒に行くと言ったので、いったん家に戻ってから出掛ける事になった。


「図書館に行くのはいいけど、ピョンちゃん、本は読めるの?」

「当たり前や。ワイは極上カエルやで。言葉もスペイン語、フランス語、イタリア語・・・ヨーロッパの言語は大体網羅しとる」


 もう凄すぎる。話せるだけではなく字も読めるなんて、ピョンちゃんって天才かも・・・。渚はいたく感動した。


 図書館で渚は自分の本を3冊選ぶと、次にピョンが借りたい本を探し始めた。


「渚、それや。それ」

「え?どれ?」


 ポケットの中からピョンが指さした本を取り出していると、隣にいる老婦人が不審そうな目で渚を見た。一人でいるのに、ひそひそ話をしている渚を不振に思ったのだろう。思わず照れたように笑うと、渚は本を持って立ち去った。司書に本を借りる為のカードを差し出しつつ、渚はピョンの借りた本の題名を見つめた。


“21世紀の経済はどう変化するか”

“世界の帝国 その繁栄と滅亡”

“競馬NOW”


 経済に歴史書と競馬・・・。あまりにかけ離れた本と雑誌を見て“ピョンちゃんって奥が深いわ”と渚は思った。だがカエルが賭け事をするとは考えにくいが・・・。


「ピョンちゃん、競馬に興味があるの?」


「賭け事はせえへんな。あれは率が悪い。大体賭け事なんてのは、ぎょうさん儲からんように国が法律で規制してるんや。儲かり過ぎて国民が賭け事ばっかりするようになったら困るやろ?」


「じゃあ、馬が好きとか?」


「馬は好きやけど・・・。昔、ワイの国ではドッグレースが盛んやってな。馬のレースってどんなもんかなと思ってな。馬主って手もあるし」


 馬主・・・?って馬を飼う事を言っているのかしら。渚は不思議に思ったが、とりあえずピョンの言った別の会話が気になったので聞いてみた。


「ピョンちゃんって、ロンドン生まれじゃないんだね。どこの国なの?」

「うーん、まあ、ここよりはちと暑くて、遠ーい国やな。あっ、バス来たで。あれに乗るんやろ?」

「う、うん・・・」


 どうやらピョンは自分の国の話をあまりしたくないようだ。まだ彼と友達になって日が浅い渚は、それ以上聞けずにバスに向かって走り始めた。




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