6.クリスマスの始まり
24日は朝から今夜のクリスマス・パーティの準備で、サラの家の使用人達は忙しそうに動き回っている。渚とウィディアも会場の両側にある階段の手摺りにLEDライトを巻き付けたり、クリスマスの装飾を飾ったりして手伝っていた。
しかしピョンは当然何も手伝える事がないので、ハイドライドの所に行こうと外をのんびり飛び跳ねていると、いきなり後ろから誰かの手に掴み上げられた。びっくりして振り返ると、ムッとした顔のウィディアだった。彼女は「ちょっと話があるのよ」と言うと、ピョンを掴んだまま馬の鞍や飼い葉用のフォークが吊してある馬小屋の脇にやって来て、干し草の上にピョンを下ろした。
「こんな臭い場所で話をするのも何なんだけどね。あんた、ナギサにクリスマス・プレゼントを用意してきた?」
予期していなかったウィディアの言葉に、ピョンはびっくりして目を丸くした。
「その顔。やっぱり用意してないのね!信じられない!ナギサはね、あんたのた・・・」
渚がピョンの為に一生懸命クリスマス・プレゼントを編んでいる事を思わず言いそうになって、ウィディアは口を開いたまま言葉を止めた。
「・・・いや、それはいいのよ。あんた、サラに渡すプレゼントのお金をちゃんと出したんでしょ?サラには渡して、日頃あんなに世話になっているナギサには渡さないつもり?」
ピョンはウィディアに一気にまくし立てられて、いつもの饒舌もどこかへ飛んで行ってしまった。
「え・・・だって、サラは子供やし、それにクリスマスってのは教会に行ってイエス・キリストの誕生を祝うもんなんやろ?」
「そんなものはね、敬虔なクリスチャンに任せておけばいいのよ。クリスマスよ?一年中で一番輝いている、誕生日と同じくらい大切な日なの。自分の誕生日を忘れたってこの日は絶対忘れちゃダメなのよ!」
ピョンはあまりのカルチャーショックにぽかんと口を開けて、ウィディアの言う事を聞いていた。
今までのピョンの人生にはクリスマスもイースターもサマーバケーションも人間の行事など何の関係もなかった。特にまだカエルになって間がない頃は、どんな人間に関わってもいつも裏切られたり売られたり、何度も殺されかけたりしたものだ。だから彼は必要な時以外はできるだけ人間には関わらないようにしていた。人間と関わらなければ元の姿に戻れないと分かっていたが、彼はもうとっくに諦めていたのである。
だからピョンには渚みたいな人が居た事が不思議だった。初めて会った日は小さな穴に落ちて飛び上がる事も出来なかったので、聞き覚えのある日本語を話す女性に声をかけたが、そうでなければ渚が自分の側を歩いていても声をかける事はなかっただろう。ピョンにとってクリスマスは、夜の町がいつもより明るくなるだけ・・・でしかなかったのである。
「ちょっと、ピョン。聞いてるの?」
顔を近づけてウィディアが叫んだので、ピョンはハッと我に返った。
「クリスマスって、プレゼントを渡す日なんか・・・」
「そうよ。いい?明日の夜までに絶対、ナギサを喜ばせるプレゼントを考えるのよ。いいわね!」
ウィディアは今のピョンには厳しい難問を突きつけると、さっさと城の方へ戻って行った。
ヨーロッパのクリスマス・ツリーは生のオレンジ(クローブなどを放射線状に差し込んで、香りを楽しんだりする)やリンゴ、赤や金のガラス細工の大きな球状の飾りなどで飾られる。そして毎年一つずつ飾りを増やしていくのだ。
歴史あるブライトン家のツリーの飾りは、それは古い物から新しい物まで様々な飾りがぶら下がっていた。
ウィディアがパーティの行われるエントランスホールに戻ると、渚がその巨大なツリーの下で青い顔をして上を見上げて居た。
「ああ、サラ。危ないわ!気を付けてね、気を付けてね!」
サラがツリーの頂点に星の飾りを付けようとして脚立に登っているのだ。これはいつもサラが付けているらしく、下でアーハードが脚立の足を押さえているし、エネディスもマーシャも穏やかな顔で笑っているのに、渚だけはオロオロしてサラを見守っている。
サラが真剣な顔つきでもみの木の先に星を差し込むと、その星にぱあっと明かりが灯り、今までツリーを彩っていた赤や青のライトが全て金色に変わった。周りに居た使用人達から「わあっ」と言う歓声と拍手が沸き起こる。
これがブライトン家のクリスマスの始まりであった。
「先生!」
脚立を降りてきたサラが走り寄ると、渚はサラを抱きしめ「良くやったわ、サラ。立派よ!」と両手で彼女の顔を包み込んだ。
“全くこの熱血先生は。たかがあれだけの事で良くそんなに感動できるものだわ”
笑いながらウィディアは首を左右に振ると、渚の側に行って彼女の肩を軽く叩いた。
「後は私がやるから、あんたは続きをやったら?もう少しで仕上がるんでしょ?」
「でも・・・」
「でもは無しや、ナギサ。行ってこい」
ウィディアがピョンの口まねをして言うと、渚は嬉しそうに声を上げて笑った。
渚が2階の部屋へ向かう階段を上っていくのを見ながらサラが言った。
「それにしても先生。ちょっと編むの遅くない?」
「うーん。そうなのよね。異常に丁寧だし、人の3分の1くらいの速度だし、おまけに何回もほどいているしね。まあ編み物初めてのくせに、難しいのに挑戦しているから仕方ないけど」
「ピョンちゃんの為に一生懸命なのね。先生、かわいい!」
「はあ・・・」
8歳の女の子にかわいいと言われるのはいかがなものか・・・と思いつつ、ウィディアはそこを離れ、外に出ようとしているアーハードを呼び止めた。
「これはウィディア様。何か」
「ちょっと相談があるんだけど・・・」
そう言いつつ、彼等は玄関の扉を出た。
「ねえ、アーハード。私はね、サラにこのクリスマスを目一杯楽しんで欲しいと思っているのよ」
「同感でございます」
アーハードはかしこまって答えた。
「知っていると思うけど、ミシェル・ウェールズはとても厳しい所よ。だからクリスマスくらいは楽しませてあげなきゃね。私はもう来れないかも知れないし・・・」
「それはどうしてでございますか?」
「だって私、チキン専門店に勤めているのよ。クリスマスは一年で一番忙しいし、何てったって、給料が倍になるのよね!私も生活がかかっているし」
「それは大変でございますね」
「そうなの。でももっと大変なのはサラだわ。あんなイモ臭い男といつか結婚しなきゃならないなんて」
さすがに「左様でございます」とも答えられず、アーハードは黙ってウィディアの話を聞いていた。だがウィディアは彼がリージスを毛嫌いしているのがよく分かっていた。もちろん、この家の誰も、あんな男を好きになる者は居ないだろうが・・・。
「あの男の事だわ。きっと呼ばれてもいないのにやって来て、サラや招待客に高飛車な態度を取って雰囲気をしらけさせたりするんじゃないかしら。私はそれが心配なの」
確かにそれはあり得ることだ。まだサラがミシェル・ウェールズに入学する前、彼女の誕生日にあの男は突然現れて、いきなり彼女と婚約すると公言したのだから・・・。
「何とかあいつを来させないようにする、いい方法って無いかしら。ピョンには別の難問を出しておいたから、あいつの知恵は拝借できないのよね」
「ピョン様・・・でございますか?」
「そうよ。あいつカエルだけど、頭は切れるし、行動力もあるしね。ホントにカエルじゃなかったらナギサの彼として認めてあげるんだけど」
「はあ・・・」
アーハードはやはりあの湖に行った日、カエルが人間の様にしゃべっているのを聞いたのは、空耳ではなかったのか・・・と思った。実はあの後彼は、そろそろ年かな・・・と悩んで、耳鼻科に行こうと思っていたのだ。
「私あんまりそういう面では頭がいい方じゃないし、アーハード、考えておいて。いい考えが浮かんだら私も協力するから。じゃね!」
「あ・・あの・・・」
ウィディアはいきなり難問を突きつけられて戸惑っているアーハードを残し、「あー、忙しい。さて次は・・・」と呟きながら城の中へ入って行った。




