5.別荘への潜入
美しい屋敷の中にカエルが居たら、つまみ出されるのは間違いない。ピョンは誰にも見つからないよう、周囲に注意を払いながら進んで行った。広々とした邸内は人気もなく、見つかる危険性は少なかったが、別荘という事もあってか、サラの実家の城のように人の居ない場所にもオイルヒーターが入っているような気づかいはないようだ。
「うう、寒っ。変温動物にこの辺の寒さは身に染みるわ」
さらに進んで行くと、少しずつ温度が上がってくのを感じた。人の気配もする。リージスだ。彼は広々としたリビングのソファーに座って携帯電話で誰かと話をしていた。
「ああ、お前か。どうだ、我が許嫁殿は・・・。ふーん。今日は家族そろって街に買い物か。という事はあの城は今、主が不在という事だな。ちょっと行ってみるのも面白い」
ピョンはびっくりして後ろの廊下を振り返った。もし渚たちが城に戻って何かあったらどうしようかと思ったのだ。
「いや。やっぱりよそう」
リージスの言葉の反転にピョンはガクッとなってつんのめった。よく気の変わる男だ。ピョンはムッとしながらリビングの入口の内側に入ってチェストの影に隠れた。それにしてもサラに見張りまでつけているなんて・・・。一体この男は何を企んでいるのだろう。
ピョンが見ていると、リージスは先程の電話を切って、また違う所にかけ始めた。
「ああ、私だ。どうだ。読めたか?」
“読めた”とはいったい何の事だろう。ピョンは更に耳をそばだてた。
「王立図書館でも駄目か。もういい。ひとまず戻って来い。ああ、本のコピーは決してなくすなよ」
リージスは電話を切るとチッと舌打ちをした。
「せっかくブライトン家の始祖の手記を手に入れたというのに、誰もそれが読めんとは・・・。しかし今までのようにこの土地を遠慮しながら探すのでは、何年かかるかわからん。まったく、あの娘がもう少し大人ならすぐ妻にして土地を好きなように掘り起こせるのに・・・」
始祖の手記と土地を掘り起こすという言葉に、何となくピョンにはリージスが何をやろうとしているのかわかってきた。しかしもうタイムリミットだ。1時間を超すと、あの二人の事だ。あれだけ言っておいても、きっとこの屋敷に乗り込んで来るだろう。ピョンはリビングの入口に人の気配がない事を確認すると、元来た道へと飛び出した。
リージスに再び電話が入って来ている。だがすでに先程の冷たい廊下に辿り着いていたピョンはその電話の音に気付いていたが、戻る事は出来なかった。急がねばカエルの足ではこの屋敷を出るのに相当時間がかかってしまうからだ。
「ああ、私だ。何?面白い情報?ほう。古代語学・・・。あの娘がか。それは確かに面白い情報だな」
電話を切るとリージスはニヤリと笑って顔を上げた。
「戻って来たわよ!」
祈るような気持ちでうつむいていた渚は、ウィディアの声にはっとしたように顔を上げた。
「ピョンちゃん!」
飛び出してきた渚の掌の上に飛び乗ると、ピョンは「どうだった?」と問いかける彼等に「とにかく城へ戻ろう。話はそれからや」と言った。
ブライトン家の城の1階にある主賓室は牛でも丸焼きにできそうなほど大きな暖炉があり、それがこの城の1階にあるすべての部屋を温めていた。彼らが戻って来ると、アーハードが少し遅いアフタヌーンティーを用意してくれたので、渚とウィディアは定番のキューカンバーサンドイッチやメープルシロップがたっぷりかかった暖かいスコーンをほおばりながらピョンの話に耳を傾けた。
「短い時間やったが、まあまあの収穫はあったと思うで。あのリージスはここにいる間、必死に何かを探しとるんやな。ずっと部下に電話したり、部下から電話がかかとったわ」
「探してるって何を・・・?」
「そこまでは分からんかったが、あいつはブライトン家の始祖の手記を手に入れたと言うとった。そやけど、どうもその手記は暗号か何かで書かれとうらしくて、いろいろ部下に調べさせてるが中身は読まれへんらしい。けど、このブライトン家の所有する土地に何かがあるというのは分かっとるんやろな。そやから強引に人の土地に自分の屋敷を建て、この辺りをうろついとるんや」
渚は首をかしげながら言った。
「つまり・・・ブライトン家の始祖がこの土地に何かを隠して、その場所がその手記に記されているって事?」
「正解や。リージスはその為にサラと結婚しようとしてるんやな。自分がここの主になれば、この土地中を自由に掘り起こせるやろ?」
そこにウィディアが興味深そうに口を挟んだ。
「ねえねえ、それってもしかして財宝とかじゃないの?わざわざ暗号を使って書くなんて!」
ピョンは冷たい紅茶を一口すすると、ニヤッと笑って渚とウィディアを見た。
「そうじゃなかったら、おもろないわなぁ」
夕方になってサラと両親が戻って来た。サラはちゃんと渚とウィディア、そしてピョンの為にお土産を買って来ていた。渚とウィディアにはお揃いで色違いのシルクのスカーフ。そしてピョンには食いしん坊の彼が大好きなお菓子である。
「喜んでくれるかな?」
アーハードに皆の居場所を尋ねると、リビングに居るというので、サラは土産を持ってやって来た。
「まあ、サラ。お帰りなさい。ショッピングは楽しかった?」
渚の質問にサラは嬉しそうに答えた。
「うん。楽しかったよ。パパとママに一杯買って貰ったの。それで先生、ピョンちゃんは?」
「あ、えーと、ちょっと散歩に行っちゃったの。一人がいいんだって」
実はピョンはちょっと様子を見てくると言って、昨日乗っていた馬(どうやら友達になったらしい)に乗って出かけてしまったのだ。無論渚は大反対だったが・・・。
“ホントにピョンちゃんって勝手なんだから。何かあったらどうするのよ。そりゃあ渚はあんまり頼りにはならないけど・・・”
渚は心の中で怒っていたが、ウィディアも同様であった。
“あいつ、もしかして財宝を見つけて独り占めするつもりじゃないでしょうね。そんな事したらこのウィディアねーさんの必殺パンチが炸裂するわよぉぉ・・・”
しかし渚とウィディアの思いをよそに、ピョンはリージスが屋敷から出ていないのを確認すると乗馬を楽しんでいた。何しろ馬に乗るのは2,500年ぶりである。馬のたてがみを掴んで森の中を走っていると、人間だった頃に少しだけ戻ったような気がするのだ。
「おお、ハイドライド(馬の名前)!気持ちえーなー!」
実はピョンは財宝にはあまり興味がなかったのだ。アルセナーダの豊かな財宝をほとんど全て手にした彼にはもう十分すぎるほどの資産があったし、それを適度に増やすための手段も心得ている。だがそれも永遠に生きる彼にとっては長い人生の中の暇つぶしでしかなかった。自分は所詮カエル・・・。一度全てを失った彼には金や地位など何の意味もなかった。ただ渚以外は・・・。
リージスが屋敷に居て、渚やサラに手を出して来ないのであれば、それでいいと彼は思っていた。あるかないか分かりもしない財宝に心を奪われ滅びていった人間を、ピョンは何人も見てきた。たとえ財宝があったとしても、どうせいつかあいつも自らの手で首を絞めることになるだろう。
ピョンはリージスの事をその程度にしか思ってなかったのである。




