4.森の中の鉢合わせ
「落ち着け、大丈夫や。こいつらはお前を襲ったりせん」
ピョンの言葉にやっと馬は落ち着きを取り戻したが、更に不快な声が彼らの耳に響いてきた。
「おやおや。珍しいところで再会したものだ。ミス・コーンウェル・・・だったかな?」
昨日強引にブライトン家へ踏み込んできたリージス・アルタインが、猟銃を片手に4人の部下を連れてやって来た。
「こちらに鹿が逃げて来なかったか?もう少しで仕留められる所だったが・・・」
もう少し?かすっただけやろ。ピョンは不快な顔で思ったが、渚も内心不愉快極まりなかった。
「さあ。鹿など見ませんでしたわ。それよりここはブライトン家の土地ではありませんでした?勝手に猟などなさってよろしいんですか?」
リージスはまるで小馬鹿にしたように鼻でフフンと笑うと横を向いて言った。
「いずれ私の物になる」
こんな男など無視してさっさとこの場を離れようと思っていた渚だったが、この一言にはムッとしてしまった。
「さあ?どうでしょうか。サラがあなたのようなおじさまと結婚するとはとても思えませんわ。だってそうでしょう?20も年上なんて」
しかしリージスは渚のそんな嫌味など全くこたえてはいないようで、彼は馬上でふんぞり返った。
「私は王室が認める王位継承者だ。たかが侯爵家の小娘に、否やを唱えられると思うか?」
こんな男が王位継承者?渚はびっくりして言葉を失った。ウィディアならこんな男が王様になったら、私もうイギリスには住まないわとでも言いそうだ。
「王位継承者?おかしいなぁ。ワイは第5位までの王位継承者を知っとうけど、リージス・アルタインなんて名前の奴、おらんかったけどな」
いきなりピョンが話し始めたので、渚は蒼白になって彼を見下ろした。
「あっ、そうか。第6位やな。あれぇ?おかしいなぁ、確か第6位は女性やったはずやけどな」
そこに居るみなが静まり返ったので、渚はオロオロして周りを見回した。
「ピョ・・・ピョンちゃん?」
「何だね。その下品で醜いカエルは」
「あー、ワイか?ワイは日本の企業が創り出した最新のカエル型アンドロイド1号、ピョンちゃんや。言っとくけど、その辺のぼんくら人間よりよっぽど出来がええで」
「ふん。アンドロイドか。つまらぬ知識だけは内蔵されているようだな」
“信じてる・・・”
渚はピョンの言った事より、彼の言葉を簡単に信じたリージスに驚いた。やはり日本企業の技術は世界的に有名なのだろう。リージスはひとつ咳払いをすると、更にふんぞり返った。
「私は第9位の王位継承権を持っている」
第9位・・・?そんなほとんど王にはなれないような継承権を振りかざして、この男はあんな小さな少女と婚約しているのか?
渚もピョンも唖然としてリージスを見た。もうこれ以上この男と話していると頭がおかしくなりそうだったので、渚は「このすぐ近くの湖にサラが友人といるのです。猟などをなさってかわいい許嫁に怪我をさせてもよろしいんですか?」と言って彼らに帰るように促すと、自分も湖の方へ向かって馬を走らせた。
サラにリージスと会った話をすると、また彼女を落ち込ませるので、湖で合流した時にはただ道に迷っていただけと言っておいた。無論みなあの銃声の大きな音に気付かなかったわけではないが、どうせ犯人は分かっている。誰もその事に触れるものはいなかったが、城に戻って夕食の後、ウィディアが渚の部屋に来た時、渚はすべてをウィディアに話した。
「ええ?信じられない、あのナスビ!何が何でもサラと結婚するつもりなのね!」
「そうなの。もう自分の庭だと思っているのよ。あのナスビ!」
なぜリージスがナスビかというと、面長で顔色が悪いからである。
「それにしても妙やなぁ」
ピョンが首をひねって言った。
「あいつはああ見えても王位継承者や。まっ、ええように言えば王子様やな」
「お、王子様?あいつが?そんなの絶対許せないわ!」
「うん!」
ウィディアの言葉に渚も強くうなずいた。
「まあ、許す許せへんは別として、あいつには地位も名誉もある。ブライトン家はこの城を維持するのが精いっぱいな感じやし、そんなに財産があるとも思われへん。王子様が何で自分より身分も下、財産もない侯爵家に執着するんやろ?」
「そういえばそうね」
ウィディアと渚は顔を見合わせた。どう考えても、あの男が8歳のサラの事を愛しているとは思えなかった。
「まあ、人んちの事情に口出すのもなんやけど、相手はサラやしな。ちょいと調べてみるのもええかもしれへんな」
「え?何何?」
渚とウィディアが身を乗り出したところで、彼等の部屋のドアをノックしたサラが顔を出した。
「まあ、サラ。どうしたの?」
「あのね。ピョンちゃんと遊ぼうと思って」
「ワイと?遊びって何して遊ぶんや?」
ピョンはそう言いつつサラの方に跳ねて行った。サラはポケットからチェスのクイーンの駒を取り出してにっと笑った。
「貴族のゲームったらこれでしょ?」
「なにぃ。サラ。お前、8歳のくせにチェスするんか?」
「侯爵家の跡取りだもん。ピョンちゃん、まさか8歳の女の子に背中は見せないよね」
「あったり前や。チェス盤はどこにある?リビングか。よっしゃ」
ピョンがリビングへ向かって一直線に飛び跳ねて行ったあと、サラは渚とウィディアにウィンクした。うなずき返した二人は隣にあるウィディアの部屋へ向かった。もちろん渚の編み物の続きをするのである。
次の日サラは両親とともに買い物に出かけた。渚達も誘われたが、今日は家族水入らずにさせてあげようと遠慮したのだ。もちろん彼等が買い物を断ったのには別の理由もあった。サラ達親子が乗った車を見送った後、早速渚達は行動を起こす事にした。
渚はピョンとウィディアを自分の前と後ろに乗せると、馬の腹を蹴った。あらかじめ確認しておいたリージスの別荘へ馬を走らせる。今日はピョンがナビゲーションを務めるので、道に迷う事はないだろう。
深い森の中を5分ほど走ると、いきなり視界が開け、大きな白い屋敷が現れた。地中海風の白塗りの壁にあちこちにあるアーチ状のゲート。庭には噴水まである。
「すごい家ね。別荘っていうから、もっとかわいいログハウスみたいなものを想像してたわ」
ウィディアの呟きに渚も同じ事を思った。どうやらリージスは相当この土地に入れ込んでいるようだ。ピョンは馬を人目につかない所に留めると、渚とウィディアに言った。
「ワイが中に入って様子を見てくるから、二人はここで待ってるんや。ワイは一時間以内に戻る。もし戻って来なかったら、いったん城へ戻れ。ワイはどんなに時間がかかっても必ず戻るから、決して二人してこの屋敷の中に探しに行こうなんて思うなや。ええな?」
「でも、ピョンちゃん・・・」
「“でも”はナシや、ナギサ。分かったな?」
そう言い捨てると、ピョンはリージスの屋敷の方へ向かっていった。
「まったく。カエルのくせに格好つけなんだから。あいつ」
ウィディアが言うと、渚もプッと頬を膨らませて言った。
「いつもそうなのよね、ピョンちゃんって。私の保護者だから仕方ないけど」
「はあ、保護者」
その言葉でウィディアはやっと渚はピョンの事を保護者だと思っているのだと分かった。つまりは父親?それであんなに一生懸命なのか。
ウィディアはピョンが渚の事を好きなのは知っていたが、渚はそうでないことを願っていた。いや当然そんな事はあるはずないのだが、渚がピョンの事をいつも特別優しい目で見ているのが気になっていた。また、あのウェスト・チャーチル銀行の事件で傷ついたピョンを看病している渚は、今にもつぶれそうなほど胸を痛めていた。
だが父親と思っているのなら当然だろう。彼女はもう二度と家族を失いたくはないはずだから・・・。
「あいつなら大丈夫だよ。這いずってでもナギサの所に戻って来るって」
「うん。そうだね」
ウィディアの励ましに渚は微笑むと、森の木々の間から見える白い邸宅を見つめた。




