16.天使の贈り物
エクスジャーナルはまだロンドンでは三流の域を脱しない。そのためか、オフィスも大通りからかなり離れた古いレンガ作りのビルで、雑誌の部門の事務所はそのビルの3階にある。夜遅くまで仕事をしている記者達でいつもこのビルは明々と明かりが灯っているのだが、今日は珍しく事務所の中には久しぶりに戻ってきたエドウィン・ホーマーだけがパソコンに向かって原稿を仕上げていた。
「エド、上がったぜ」
そう言ってカメラマンのホーディングが何枚かの写真を持ってきた。今日ゴードン家で撮った、ピョンと渚の写真だった。
「でかいカエルだなぁ。それが“しゃべるカエル”かい?」
ホーディングがまだ“しゃべるカエル”を追いかけているのか?と言わんばかりに苦笑いしながら言った。
「ん・・まあ。サンキュー、ホーディ。すまなかったな、残業させて」
「かまわねーって。いつもの事よ」
ホーディングが両手を上げながら帰って行くのを見送って、エドウィンは今現像できたばかりの写真を袋から取り出した。
「小型のカメラにしちゃ良く撮れてる」
そう呟きながら写真をめくっていったが、ふと手を止めて一枚の写真をじっと見た。それは渚が手の平の上に乗せたカエルと微笑み合っているシーンだった。カエルが小さな手で渚の頬に流れる大粒の涙を一生懸命受け止めようとしていて、それを渚がにっこり笑って見ている。
「幸せそうな顔しちゃって・・・・」
エドウィンはハァッとため息をついて髪の毛をぐしゃぐしゃっとかきむしった後、もう一度パソコンに向かった。
渚とピョンは以前と同じ生活に戻っていた。ただシスター・ボールドウィンに最後に会った日から、彼女が自分の事をミス・コーンウェルではなく“ナギサ”と呼んでくれるようになった事と、あんなにピョンを悪魔だ何だと騒ぎ立てていたシスター・エネスが出勤してきた渚に、一切何も言わなかった事が不思議だったが、シスター・エネスの件はきっと校長がうまく言い含めてくれたのだろう。やっぱり校長先生は私のグランマだわ、と渚は思った。
今日も授業を終えて帰り道を歩いていると、携帯にSNSが入る知らせが鳴った。
「ティアナからだわ!」
急いでアプリを開いた。
ー 先生。今度のクリスマス、パパとママが帰って来るって言ってくれたわ。サイコーでしょ?それから私は来年から学校へ行く事になったの。全部先生とピョンちゃんのおかげよ。ありがとう。今度は先生の家に遊びに行かせてね ー
これも又素敵な知らせだ。渚は嬉しそうに微笑むと素早く返事を打って送った。そして鼻歌交じりにマンションの玄関先にあるメールボックスを開けた。ダイレクトメールなどの普通郵便に混じって、A4サイズの茶色い封筒が入っている。
「何かしら・・・」
渚は封筒の表に書かれた名前を見て、一瞬表情を硬くした。
「エクスジャーナル・・・」
嫌な予感がしたがこんな所で封筒を開けられないので、とりあえず3階まで上がって玄関の前で開ける事にした。家の中に入ってしまうとピョンに知られて嫌な思いをさせるかも知れないからだ。封筒を開けると以前見たグローバルという雑誌の最新刊と、白い封筒が入っていた。
「わざわざこんな物を送りつけてくるなんて・・・」
渚はムッとしながらページをめくったが、しかしどこを探しても“しゃべるカエル”の記事は出てこなかった。不思議に思ってもう一度始めから記事を見直すと“ Mysterious Lady in Paris ”という題目で、あの雪のちらつくパリの夜の出来事が書かれてあった。
ー パリの大渋滞に巻き込まれた通訳を待っているウィリアム・フード・サービスの社長夫妻は、今まさに途方に暮れていた。大事な商談があると言うのに、このパーティが終わるまでに通訳が来るのは不可能だろう。相手は今度新しく店舗を出店する予定である国の大使や王族の方々、待たせる訳にはいかない。
どうすればいいのだ・・・?青い顔で考え込むショーン・ゴードン社長の目の前に淡いピンクのドレスに身を包んだ、まだ17、8歳の女性が立っていた。彼女はゴードン夫妻に事情を聞くと『それはお困りでしょう。私は20ヶ国語は話せます。通訳はお任せ下さい』と言う。しかしその場に居合わせた記者・・・私もゴードン家の執事も、誰もがこんな若い女性に20ヶ国語も話せるわけはない・・・と思っていた。
だが彼女はゴードン夫妻と共に会場へ入るやいなや、すぐさま見事なヒンディー語でインドの大使と話出し、タイの皇太子や台湾の大臣達ともゴードン氏が話しやすいように通訳し、最後には大使や大臣が話すのも通訳して、和気藹々とした雰囲気をその場に作り出したのだ。
身長160cmにも満たない少女のような女性から繰り出る様々な言語に驚いた人々はゴードン夫妻とその女性を取り囲み、ウィリアム・フード・サービスの名は一気に世界中のVIPの知る所となったのである。
無論ゴードン氏の商談がうまくまとまった事は言うまでもなく、別れ際には様々な国の大使や王族達が口々に彼女を私の側近にと申し出る事となったのだ。その後そのピンクのドレスの女性はいつの間にかどこかへ行ってしまい、その女性がどこの誰なのか、ゴードン夫妻にも全くもって分からないと言う事であった。
しかし丁度その頃ロンドンのゴードン家の自宅で夫妻の一人娘が熱を出して寝込んでいたのだが、彼等は商談がうまくまとまったおかげで娘の元へ戻る事が出来た。その娘は忙しくて帰って来られない父と母にずっと会いたがっていたのだという。
記者は思う。そのミステリアスなレディは神様からその娘への、ちょっぴり早いクリスマス・プレゼントだったのではないだろうか。彼女の背中にはピンク色の羽が生えていたかも知れない。
エドウィン・ホーマー ー
渚は記事を読み終えると、思わず吹き出しそうになった。私が天使?
「エドったら・・・」
クスクス笑いながら、彼女は雑誌と共に入っていた封筒を開けた。中には数枚の写真とメモ用紙が入っていて、エドウィンらしい短い文章が添えられていた。
ー 記念にやるよ。ピンクのエンジェルへ ー
渚はピョンと共に写っている写真を胸にぎゅっと抱きしめると、玄関のロートアイアンのゲートを通り抜け、元気よくドアを開けた。
「ただいま、ピョンちゃん。今日ねー・・・・・」
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
これで Dream6.は終了です。次からは Dream7.聖夜のプレゼント 編が始まります。
ちょっと季節外れですが、宜しくお願いします。




