14.ティアナの苦悩
エドウィンにマフィンを届けた後、渚は自室に戻ってすぐベッドルームへと向かった。枕元にいつも置いてある小さな手の平サイズのアルバムを手に取ると、ベッドの端に座ってそのアルバムをめくり始めた。
中には10枚ほどの写真が入っている。それは渚のお気に入りばかりを集めた物で父や母と共に写っている写真や、ピョンと共に写っている写真があった。渚はゆっくりとそれらをめくりながら思い出に浸るのだ。
マリアンヌの為に開いた渚の嘘の誕生日パーティで、ウィディアとマリアンヌが切り分けようとしているケーキをピョンがつまみ食いをしてアレクと大騒ぎしている写真は渚の一番のお気に入りだった。
「ピョンちゃんたら・・・・」
クスッと微笑んだ後、渚はさっきエドウィンに言われた言葉を思い出した。
ー もしピョンがナギサの所より、金持ちでうまいもの食えるからこっちの方がいい、なんて言い出したら・・・ ー
渚はぎゅっとアルバムを持つ手に力を入れると、唇を噛みしめた。
「そんな事、ないもん・・・・」
渚の部屋を軽くノックするとティアナは「先生?」と呼びかけながらドアを開けた。ピョンにマフィンを喜んでもらえたので、その礼を言おうとやって来たのだ。広いリビングには人影がなかったので、彼女は更に奥へ進んでいった。隣のベッドルームを覗くと、渚が何かを見ながら泣いているのが目に入った。
「先生!?」
ティアナの声にびっくりして渚はアルバムを閉じると、急いで涙を拭き取り、何事もなかったように走り寄って来たティアナに微笑んだ。
「泣いていたの?先生・・・」
渚は照れくさそうに笑った。
「少し心配事があってね。ルームメイトが行方不明になっちゃって・・・」
「行方不明?」
「うん。でもそのうち帰って来てくれると思う。約束したから」
「約束?」
「ずっと側に居てくれるって。私がお婆ちゃんになっても、ずっと・・・。だから必ず帰って来てくれるわ。私、信じているの」
その言葉を聞いてティアナはハッとして立ちすくんだ。決して結びつけたくなかった全ての言葉が、その時ティアナの中でつながった気がした。
ー これ、ナギサのマフィンとおんなじ味や! ー
ー 約束したんや。あいつがばーちゃんになっても側におったるって ー
やはりピョンの言っていた“ナギサ”はこの人だったのだ。ピョンが心の底から会いたい人。そしてこの人が待っているのは同じだったのだ。
「先生!私、私・・・」
言わなければ。すぐにこの2人を会わせてあげないと・・・。
だがもしそれを言ったら、ピョンを攫わせたのは自分だと分かってしまう。そうしたらこの優しい人はどう思うだろうか。大好きな先生に嫌われてしまう。もしかしたら憎まれてしまうかも・・・。
そう考えるとティアナにはどうしても次の言葉を発する事が出来ずに、渚の前でただ呆然と立っていた。
「どうしたの?友達はマフィンを喜んでくれなかった?」
ティアナは何も答えられずに、ただ首を横に振った。
「そうでしょう?ティアナが一生懸命作ったんだもの。絶対喜んでくれるって信じてたわ」
渚はティアナを自分の横に座らせると優しく肩を抱きしめた。
「ティアナがそうやって頑張っていれば、きっともっと友達が出来るわ。先生、保証する」
ピョンと同じ言葉で自分を励ましてくれるその優しさに、ティアナはどうしたらいいか分からず、ただ頷く事でしか答えられなかった。
それからのティアナは、ずっとその事で思い悩む日々を送る事になった。渚とピョンを会わせてあげなければ、と思う気持ちと、彼等に嫌われたくないという気持ちが相反して彼女の心を乱れさせた。特に渚の顔を見るとやるせないほど胸が痛んだ。この優しい人を私は騙し続けているのだ。そう思うと夜も眠れない日々が続き、その度にティアナはこんな時に両親が居てくれたら、と思った。彼女は誰にも相談できずに思い悩む日々を送るしか出来なかった。
そんなティアナの様子に渚が気付かないはずもなく、何度もどうしたのか尋ねたが、ティアナは首を振って「何でもない」と答えるだけだった。
「ティアナ。きっと何か悩みがあるんだわ」
エドウィンが草むしりをしている側のベンチに座って渚が呟いた。
「そりゃあ、あの年頃には色々悩みもあるだろ。あんたがそんなに心配する程の事じゃないさ」
「でも、食欲もないみたいだし、授業中もぼうっとしている事があって・・・。やっぱり、放ってはおけないわ!」
勢いよくベンチを立ち上がった渚を見て、エドウィンが相変わらず教育熱心な渚にため息をついた時、執事のロックウェルがこちらに走って来るのが見えた。
「先生、すぐに来て下さい。お嬢様が倒れられて・・・」
「何ですって!」
渚が走り出したので、エドウィンも手に持った麻袋を捨てて後を追った。ロックウェルの話だと、ティアナはずっとうわごとで渚の名を呼んでいるらしい。渚はベッドに横になっているティアナの元へ行くと、その手を握りしめた。
すぐに医者が呼ばれて診察を行ったが、彼の話だと心労が重なって高い熱が出、倒れてしまったのではないかという事だった。医者の診察中もずっとうわごとのように「先生・・・ごめ・・なさい・・・。パパ、ママ・・会いたい・・・」とティアナが言うのを聞いて、渚の胸は締め付けられた。彼女はティアナの髪を優しくなでると、自分の後ろに立っているスティーブとアンドルーに言った。
「ティアナのご両親はどちらに?」
「え?」
「さ、さあ。我々には・・・」
答えられない2人に渚はムッとした顔で立ち上がった。
「ティアナの一番近くに居るあなた方がどうして知らないのです?」
『す、すみません!』
渚の迫力に彼らはびっくりして同時に頭を下げた。そんな様子を見かねてロックウェルが代わりに答えた。
「旦那様は奥様と、本日パリで行われる世界の食に影響を及ぼすような方ばかりが集められたパーティに出席するご予定かと・・・」
それを聞いて渚はスティーブに言った。
「すぐにパリ行きの航空券の手配を」
「え?は、はいっ」
「アンドルーは空港までの車を用意して」
「はっ」
「エド。家に帰ってすぐパスポートを取ってきて」
「え?お、俺も行くの?」
「30分以内よ」
「わ、分かった・・・!」
全ての采配を振ると、渚はティアナの手を握りしめた。
「ティアナ、待ってて。すぐにパパとママを連れて来るからね」




