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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream6.別離
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12.友達になりたい人

 ゴードン家の裏庭でエドウィンは、その大きな屋敷を見上げて呟いた。


「ナギサ、うまくやってるかなぁ・・・」


 彼は自分もアルバイトの下働きとして雇って貰ったのだ。もちろん下働きなど雇う必要のなかったゴードン家だが、ミシェル・ウェールズの校長の推薦には逆らえなかった。ティアナの父は娘の為に、ミシェル・ウェールズからの家庭教師にどうしても来て欲しかったのだ。


 庭の片隅でぼうっと上を見上げて居るエドウィンを見つけた庭師がエドウィンがサボっていると思ったのか、怒鳴り声を上げた。


「おい、新入り!何をぼさっとやってるんだ。とっとと枯れ木を集めてこい!」

「うわっ、は、はい!」


 エドウィンは大きな麻の袋を持って、ゴードン家の広い庭へと走り出した。






 渚が案内された部屋は、どこかの一流ホテルのスウィート並の広さがあった。さすがミシェル・ウェールズの校長先生ヘッド・ミストレスのお墨付きは凄い効力だ。部屋は一部屋目がリビングになっていて、その奥に寝室があった。ベッドはクイーンサイズでベッドサイドの間接照明も落ち着く配置だ。渚は綺麗にメイキングされたベッドの端にちょこんと腰をかけると、ふうっとため息をついた。ピョンを助けたい一心でここまで来てしまったが、いざ一人になるとドキドキしてくる。


「頑張らなくちゃ。私しかピョンちゃんを助けられないんだもの・・・」


 渚は胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめた。







 ティアナお嬢様の大のお気に入りになった渚は、明らかに他の家庭教師とは違う待遇を受けていた。その日の昼食から渚はティアナと共に食事をし、授業以外にもずっと渚を自分の側から放そうとはせず、外出する時も同行させた。我が儘で取り付く島もなかったお嬢様が渚を先生と呼び姉のように慕っている姿は、アンドルーやスティーブのみならずゴードン家の全ての使用人達を驚かせ、そして微笑ましく見つめさせた。


 しかしそうやってずっと渚と行動を共にしているティアナも、ピョンの所へ行く時だけは一人であった。ピョンの言う“ナギサ”とナギサ先生は別人だと思っていても、心のどこかでもしかしたら・・・という不安を消す事が出来ないで居たのだ。


「今日は先生と絵画展に行ったのよ。先生ってすごいの。絵に付いている説明も見ないで『これはミナ・メッセの初期の作品よ。このドローイングがまだほんの少し未完成な所がまた魅力なのね』って説明してくれるの!」


 興奮したように話すティアナを見上げて、そういえば渚もその何とかメッセってのが好きやったなぁとピョンは思った。


 その家庭教師の先生が来てからティアナは随分明るくなったようだ。それにその人の事を話す時、とても優しい目をするようになった。しかし今なら自分を解放してくれるかもしれない、と考えたピョンがその事を口にすると、ティアナは急に怒り出して「絶対ダメ!」と言って部屋を出て行ってしまう。その度にピョンは深いため息をつくのだった。





 ある日渚がティアナの授業のため彼女の部屋に向かっていると、途中にある部屋の中からティアナが激しく憤った声が聞こえてきた。キャンキャンという犬の鳴き声も聞こえる。いそいで部屋の中に入ると、ティアナが「このバカ犬!何て事をするのよ!」と言いながら小さな白い犬を思い切り叩いているのが見えて渚はびっくりした。犬は抵抗する事も出来ずに小さくなってうずくまっているが、スティーブとアンドルーもただ見ているだけしか出来ないようだ。


「ティアナ、一体どうしたの?」


 渚が駆け寄ると、ティアナは息を荒げながら答えた。


「この犬、私のお気に入りのクッションにおしっこをしたの。いつもトイレは外でするようしつけてあるのに。この!」


 そう言ってティアナは再び犬を叩いた。


「待って、ティアナ。そんな叱り方はいけないわ」

「どうして?悪い事をしたら叱るのが教育でしょ?叱られないで育った子は私みたいに我が儘で手の付けられない子になるのよ。そうでしょう?」


 渚は意外にちゃんと自己分析をしているティアナにクスッと微笑むと、おびえて小さくなっている子犬を抱き上げた。


「この子はちゃんと外でトイレをする躾もされているし、あなたのお気に入りのクッションにしたのだとしたら、それはきっとわざとやったのね」

「わざと!?だったら余計許せないわ!」


「ねぇ、ティアナ。どうしてこの子がわざとそんな事をしたのだと思う?この子はきっとあなたに何かを訴えようとしてたのね。でも犬はしゃべれないでしょう?だからあなたのお気に入りと知っていて、そのクッションを汚したのよ」


「そんな事・・・どうして分かるの?」

「分かるわ。あなたがこの犬の飼い主ならね。ティアナ、この子の散歩は誰が行ってるの?あなた?それともアンドルー?スティーブ?」

「メイドが・・・かわりばんこに行ってると・・思う・・・」


 どうやらティアナはよく知らないようだ。少女にありがちな気まぐれで、欲しいと思ったら何でも買う主義の彼女は動物に関しても同じであった。そして最初はかわいがるが飽きるとすぐメイド達に押しつけて世話もしなかったのだ。


「それではこの子の飼い主はメイドさん達になってしまうわね。ティアナ。どんな小さな生き物にも心があるのよ。私達と同じように、お腹が空いたとか、独りぼっちで寂しいとか・・・。特にこんな小さな犬は可愛がってもらう為に生まれてきたの。あなたはこの子を可愛がってあげている?飼い主としてこの子が何を求めているのか分かる?」


 ティアナはその小さな白い犬を見た。渚の腕の中でじっと小さくなって震えている小さな存在を・・・。でもそれだけだった。この犬が何を求めてそんな事をしたのか、ティアナには全くもって分からなかった。


「分からない・・・わ・・・」


 渚はうつむいて小さな声で答えたティアナの顔をのぞき込んで微笑んだ。


「分からなければ分かるようになりましょう。あなたが可愛がってあげれば、この子はきっと答えてくれるわ」


 その言葉にティアナは一瞬戸惑った。犬を可愛がるとはどういう事だろう。ティアナは別に自分がこの犬を可愛がっていないわけではないと思っていた。放っていてもメイド達が自分の代わりに世話をして可愛がっているのだから、それで自分も可愛がっているつもりだったのだ。


「可愛がるってどうすればいいの?どうすれば犬の気持ちが分かるようになるの?」

「ティアナ・・・」


 渚は犬の可愛がり方も分からずに13年間生きてきた人間がいるのが信じられなかった。そして心の底からティアナを可哀想に思った。この少女を何とかしてあげたい。他人の苦しみや悲しみが理解できる優しい人間として成長させてあげたい。この時、渚の中に生まれたのは愛情という不屈の教育者魂に違いなかっただろう。


「犬を可愛がるというのはね、ただなでたり抱いたりするだけじゃダメなの。毎日決まった時間に散歩に行ったり、毎日のブラッシングもコミュニケーションの一つよ。それから時々話しかけてあげる事。犬はしゃべれないけど3歳児くらいの知能はあるから、ある程度言葉を理解して話を聞いてくれるわ。それじゃあとりあえずこの子と一緒に散歩に行ってみる?そうだ。名前は何ていうのかしら」


「ジューンよ。6月生まれだから」

「素敵な名前ね。じゃ、ティアナ、ジューン。行きましょう」


 ティアナの手を引いて出て行く渚の背中を見送りながら、スティーブとアンドルーはため息をついた。


「何て言うか、見事な先生だな。俺達まで教えられちゃったよ」


 スティーブが感動している横で、少し赤い頬をしながらアンドルーは渚の背中をじっと見つめた。


ー このままずっとナギサ先生がここに居てくれたらいいのに・・・ ー








 その夜、食事を終えた後もティアナは部屋に戻ろうとする渚を引き留め、リビングに連れてきた。何か話があるようだと渚は思ったが、彼女がただ黙って大きな暖炉の中で燃えている赤い炎をじっと見ているので、渚も黙ってお茶を飲んでいた。


 ティアナは今朝、渚が言った言葉の意味を考えていたのだ。


- どんな小さな生き物にも私達と同じように心がある ー


 それはティアナにとって衝撃的な言葉だった。もとより言いたい放題、好き放題やって来たティアナは人の気持ちなど思いやった事など一度もなく、みな自分の言う事を聞いて当たり前だと思っていた。スティーブもアンドルーもメイドや執事のロックウェルにも、みな感情があるという事など考えた事もないティアナが、自分が気まぐれで買って来た犬や猫にも心があるなど思いもしなかっただろう。


 しばらくそんな事を考えながら炎を見つめていたティアナがぽつりと言った。


「先生。私、友達になりたい人が居るの・・・」

「まあ、ティアナ」


 渚は何て素晴らしい事だろうと心を弾ませた。それにしても学校にも行ってないティアナが友達になりたい人といつ出会ったのだろう。不思議に思いつつも渚は尋ねた。


「どうやって友達になったらいいのか、分からないのね?」

「うん・・・」


「そうね、まずその人の名前や愛称を呼んであげましょう。名前を呼ぶのは、お友達になりましょうって意思表示よ。それから色々な話が出来るようになったら、自分の考えだけじゃなく相手の話も聞いてあげるの。そうしたら段々その人の好きなものも分かってくるでしょ?そうやって少しずつお互いを理解しあっていけば、とてもいいお友達になれると思うわ」


 渚の言葉を聞いてティアナは自分があまりにも友を作るのが下手だったと思った。彼女はピョンに対して彼が『ワイはピョンや』と言っていたのに、タイターニアという名前を押しつけ彼の言う事をことごとく否定した。高級な料理なら喜ぶだろうと彼の好きな物を聞こうともしなかった。


「私、いつもあいつの嫌がる事ばっかりしちゃってた。どうしよう・・・」

「心配しなくてもきっと大丈夫よ。今度はその人の喜ぶ事をしてあげればいいんだから。その人はどんな物が好きなのかしら」

「食べ物!いつもハンバーグだ、グラタンだって」

「ハンバーグ・・・ちょっと持って行きにくいわね。好きなお菓子とかは?」


 ティアナはうーんとうなって考えた。そういえば彼は「ナギサの作ったマフィンは最高なんやで。オレンジが乗っててな。オレンジいうても果実やなくて皮やねん。これが苦くてうまいんや」と言っていたのを思い出した。

「オレンジマフィン!オレンジの果実じゃなくて、皮が乗っているのがいいんだって。変わってるよね」


 渚はドキン!として一瞬言葉を失った。それはピョンの好物でもあったのだ。この時渚には全てが理解できた。ティアナの友達になりたい人というのはピョンなのだ。彼はやっぱりこの屋敷の中にいる。自分のすぐ側に・・・。


 渚は「ピョンちゃん!」と叫びながら彼を探しに行きたい衝動を思わず抑えた。今は駄目だ。平静を装わなければ・・・。


「それじゃあ早速、明日作ってみましょう」

「え?つ、作るの?」

「そうよ。心を伝えたいならお金で買った物なんかじゃダメ。やっぱり手作りでなくっちゃね」






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