10.すれ違う二人
エドウィンが作った収集家のリストを元に、彼らは取材という名目で珍しい爬虫類や両生類の収集家を訪ねていた。しかしそんなマニアックな収集家がロンドンにたくさん居るわけではないので、午後にはほとんど回り終えてしまった。
「はあぁ、手がかりなしか・・・」
ため息交じりにエドウィンが言った。
「ああいう人達は横のつながりが結構あるから、珍しい生き物を手に入れた人間がいたら、皆知っていたりするもんだが、誰も知らなかったな」
「ええ・・・」
渚も肩を落として答えた。午後から少し足を伸ばして郊外にも行ってみようと話していたが、とにかく昼食の時間も過ぎているので何か食べようという話になり、近くのショッピングセンターの3階がフードコートになっているのでそこで食べようと渚が言った。
そこは1,2階が洋服やアクセサリーの並ぶブランドショップになっていて、周りは美しく着飾った女性客であふれ、高級な店が軒を連ねている。エドウィンはどうやらこういう場所が苦手らしく、ポケットに手を突っ込んで小さくなりながら歩いていた。確かに優雅にショッピングをしている人々の中で、彼のヨレヨレの革ジャンや薄汚れたジーンズはあまりにも浮いていたが、渚は彼に「気にする事はないわ」と微笑みかけ、エレベーターに乗った。
そのショッピングセンターの3階、渚達が向かおうとしているフードコートは今大騒ぎになっていた。ぴょんぴょんと跳び回る大型のカエルに驚いた女性客等が逃げ回り、スティーブとアンドルーはそんな女性客の中に割り込んで、必死にカエルを追いかけ回っていた。
「早く捕まえるのよ!」
ティアナも金切り声を上げながら追いかけて来ていた。
「へっへーん。誰がお前等みたいなのろまに捕まるか!」
ピョンはこの騒ぎに紛れて必ず逃げ切れると思っていた。いや、どんな事をしても帰るのだ。渚の元へ・・・。
その時ガラス張りのフェンスの向こう、4階まで吹き抜けになった建物の中で、2階から3階へ至るエレベーターの上に、ピョンは渚の姿を見たのだ。
「なぎ・・・さ?渚ーっ!」
必死に叫んだが、その時一瞬にして彼の目の前は真っ暗になった。スティーブがピョンの上から段ボールをかぶせたのだ。
「やっと捕まえたぜ」
彼等は息を切らしながらカエルを逃さないように段ボールの下から更に一枚の段ボールを差し入れ、それを蓋にしてひっくり返すと少しずつ入り口を開け、ピョンが逃げようと入り口に首を出した所をひっ捕まえた。
「手を煩わせやがって」
彼らは渚の名前を呼びつつ暴れ回るピョンをトランクケースの中に押し込むと蓋を閉めた。
「渚ーーっっ!」
「おい、どうかしたのか?」
隣で親しげに話していた渚が急に黙り込んだので、エドウィンは彼女を見つめた。
「ピョンちゃんの声・・・」
「え・・・?」
「ピョンちゃんが居るわ!」
渚はそう叫ぶとエレベーターを駆け上がっていった。
「ピョンちゃん!ピョンちゃん!」
3階に駆け上がると渚は人混みをかき分けながら走り出した。
「お、おい。待てよ」
こんな人混みで本当に声が聞こえたのかエドウィンには半信半疑だったが、とにかく渚を追って走り出した。
ティアナはスティーブからトランクケースを受け取ると、それを顔の前に持ってきて軽蔑したように言った。
「ふん。バカなカエルね。逃げ切れるとでも思っているの?」
それでもピョンはもう姿さえ見えない渚の名を呼び続けていた。
「渚、渚、渚ぁぁーーっ!」
「ピョンちゃん、どこ?ピョンちゃん!」
ドーナツ状に連なった3階のフロアーを渚は彼の姿を求めて探し回ったが、結局一周しても見当たらず、一度だけ自分を呼んだ声ももう聞こえる事はなかった。呆然とその場に立ち尽くす渚の側にやっと追いついたエドウィンは、疲れたように前屈みになって息を切らせた。
「おい、本当に居たのか・・・?」
ふと彼女を見上げると、渚がポロポロと大粒の涙を流しているのを見てぎょっとした。
「お・・お、おい・・・」
「居たの。ナギサって呼んだの。とっても辛そうな声で・・・。でももう居ないような気がする・・・」
「そうか・・・」
エドウィンは彼女の前に回って肩に手を置いて慰めるように言った。
「元気出せ。とにかく生きてるって分かったんだから、必ずもう一度会えるよ」
渚が涙を拭き取りながら何とか微笑んで頷いたので、エドウィンは近くの店で食事をする事にした。幸いピークの時間を過ぎていて店の中の客も少なかったので、エドウィンも気兼ねする事なく食事が出来た。彼は食後のコーヒーを飲みながら、ふと思いついたように言った。
「なあ、こんな所に来るのって、やっぱ女が多いよなぁ」
「え?うん。そうだね。男の人はその女性客の彼とかご主人とかかな」
「だったら、ピョンを攫ったのは女って事だ」
渚はハッとしたように紅茶のカップをテーブルに置いた。
「じゃあ女の人でカエル好きの人って事?」
「いや。本物の収集家はやっと手に入れた珍しい生物をこんな所に連れて来たりはしない。病気になったら困るだろ?こんな所に連れてくるのは、つまり・・・その女はピョンをペットにしてるって事だ」
「ペット?」
渚はその言葉とピョンを攫った相手に虫唾が走る思いだった。もとより渚はピョンを人と同じように思っているので、彼をペットとして扱うなど考えられない事だった。
「ピョンちゃんをペットにするなんて、酷いわ」
「怒りたい気持ちは分かるが、ナギサ。冷静に考えてみろよ。その女は今日ここにピョンを連れて買い物に来た。この階に居たって事は食事もしているかも知れない。て事はだ。この中の店に聞き込みをすれば、今日カエルを連れてきた珍しい客の事、必ず店員は覚えているはずだろ?」
渚は彼の言葉が終わるか終わらない内に勢いよく立ち上がった。
「行こう、エド!」
「ああ!」
そうして彼等はそれから1時間もしない内にピョンを連れていた女性が立ち寄ったブランドショップを見つけた。店員は小さなトランクケースに入ったカエル型のしゃべるロボットだと思ったらしい。
『ピンクの服かブルーの服か、どちらがいい?』と聞いたら『ピンク』と答えたので、びっくりした店員が『賢いロボットですわね』と言うと、彼女は『パパからのプレゼントなの』と答えたそうだ。
彼女はその店の常連客だったのですぐに名前も分かった。ショッピングセンターを出て表の通りを歩き出したエドウィンは、顎に手を当てて眉をしかめながら言った。
「ティアナ・ゴードンか。マズいなぁ・・・」
「エド、知っているの?」
「ゴードンってのは多分、ウィリアム・フード・サービスの社長の名前だ。ロンドン中にファストフードやレストランのチェーン店を持っている会社だ。さっきの店舗の中にも1、2軒は直営でなくても関連してる店があるはずだぜ」
そういえばこの間ピョンやアレクと行った寿司レストランも、店の名前の下にWFSのマークが付いていたのを渚は思い出した。
「さっきの店員の話じゃティアナ・ゴードンは13歳くらいって言ってたから、間違いなく娘だぜ。こりゃ収集家なんかよりずっと面倒・・・ナギサ?どこ行くんだ」
エドウィンが話している途中で、渚はさっさと歩き出していた。彼女はくるりと後ろを振り返るとにっこり笑った。
「もちろん、そのゴードン家へ行くのよ。ピョンちゃんを返して貰うの」
“冗談だろ?”
エドウィンは慌てて渚の前に回り、彼女を押しとどめた。どう考えても『カエルを返せ』『はい、分かりました』と言ってくれるわけはない。
「俺達が行ったって、門前払いを食らうのが関の山だ。中にも入れてくれないぜ」
「そう。じゃ、夜を待って忍び込みましょう。盗まれたものを盗み返すだけの事。別に問題はないわ」
“おいおいおいおい・・・。おとなしそうな顔をして、何て過激なんだ、このお嬢さんは”
「ナギサ、ちょっと待てよ。冷静になって。な?ゴードン家はロンドンじゃ長者番付にいつも載っている大金持ちだぜ?俺達みたいな素人に忍び込めるはずないだろ?あんた、頭いいんだからさ。冷静になって考えれば、いいアイディアだってきっと浮かぶよ」
この時すでに冷静になっていた渚は、自分の潜在能力をフルに回転させていた違いない。
「いいアイディア、浮かんだわ」と言うと、「え?もう?」と驚いているエドウィンを連れて、さっさとソーホーを後にした。




