8.カエル攫いの犯人
「全く。何考えてんねん、お前等は!」
空気取りの穴が開いているとはいえ、20cm四方の暗い小さなトランクケースの中に捕らえられていたピョンは、非常にご立腹であった。だからそのケースの蓋が開いた途端、思い切り声を上げたのだ。だがそれを聞いたカエル攫いの犯人達は歓喜の声を上げた。
「おお!しゃべったぞ、アンドルー」
「これでお嬢様にお知らせできるな、スティーブ」
二人の男達の会話を聞いて、ピョンはどうやら自分を攫わせたのはそのお嬢様らしき事が分かった。ケースの中から周りを見ると、そこは小さな部屋だったがクラシックな家具や豪華なカーテンで飾り立てられている。
ピョンはケースの上から自分を見ている、そのお嬢様の部下らしき男達を見上げた。アンドルーと呼ばれた黒い細身のダークスーツの男は、長い黒髪を後ろに束ねた22,3歳の男だ。スティーブも同じくらいの年だろうか。金色の短い髪の色白の彼は、まだ少年の様な顔立ちと、アンドルーと比べると少し背の低い男だった。
彼らが喜びを分かち合っていると、急に部屋の扉が音を立てて開かれ、誰かが入って来たのが分かった。
「スティーブ、アンドルー!しゃべるカエルは捕まえたの?」
「は、はい、ティアナ様。ここに」
ティアナと呼ばれた少女は、赤毛の髪をいかにもお嬢様風に縦巻きカールにした12、3歳の少女で、彼女は訝しそうな顔をしながらピョンの入っているトランクケースを覗き込んだ。
「本当にしゃべるの?」
「もちろんです」
アンドルーは答えると「ほら、しゃべってみろ。ほら」と言いつつピョンをつついた。だがピョンは不愉快極まりない彼らの態度に腹を立て、ぷいっと横を向いた。そこでアンドルーはポケットに入っていたペンを取り出すと、それでピョンのお尻を突き刺した。
「いたっ、何すんねん!」
「しゃべったわ!」
「もちろんですとも。我々がお嬢様に偽物を持って来るはずはないでしょう?」
スティーブが自慢げに言うと、ティアナも満足そうに頷いた。
「いいわ。じゃあお前は私が飼ってあげる。そうね。名前はタイターニアがいいわ」
“飼ってあげる”という言葉にピョンはムッとした。
「お前なんかに誰が飼ってくれ言うてん。大体、タイターニアなんて女の名前やんか。ワイにはな、ピョンちゃんちゅう立派な・・・」
しかし、ティアナはピョンの口をぎゅーっと横に引っ張って、彼のおしゃべりを止めさせた。
「口が悪い子ね。ゴードン家のペットはもっと上品でないと務まらないわよ!」
ゴードン家、という名を聞いて、ネットの経済情報には全て目を通しているピョンにはすぐに分かった。ゴードンはイギリス国内でレストランやファストフードの店を展開している一大フードチェーン、ウィリアム・フード・サービス株式会社の社長の名だ。ウィリアムというのは初代社長の名でウィリアム財団という福祉団体も持っている。
この会社は特にロンドンを中心に店舗を保持しており、ロンドン市内でこのフードチェーンの占めるシェアは1.5パーセント。100軒店があれば、そのうちの一軒は必ずこのチェーン店の系列になるのだ。
「なーんや。成り上がりか」
ぼそっと小声で呟いたピョンの言葉を、ティアナは聞き逃さなかった。
「何、ですって・・・?」
「ゴードン家?偉そうに言うとるけど、伝統も血筋も何もない、ただの成り上がりやないか」
ピョンは経験上、こういった家柄はないが金だけは有り余るほどある家の人間が、一番嫌う言葉を知っていた。
「お父様を愚弄するの?」
「お父様?あんたの父ちゃん、ショーン・ゴードン氏は2代目や。初代ウィリアム・ゴードンは貧乏で食うていかれへん家族の為に毎日ロンドンの街角に立って、雪の日も氷の雨の日もハンバーガーを売り続けた。そんな境遇から身を起こして一大フードチェーンを築き上げたんや。街角のしがないハンバーガー売りの小せがれがやで?今はウィリアム・フード・サービスの会長やったな。そやから彼はウィリアム財団という福祉団体を作って、そういった貧乏な子供達が社会に出て行けるよう援助しとる。知っとったか?」
ティアナは言葉に詰まった。彼女は何も知らなかったのだ。
「それが・・・私と何の関係があると言うの」
「はっ、そやから成り上がりの娘はあかんねん。ええか?もしお前のじーさまが血の滲むような苦労をして今の会社を築けへんかったら、お前もお前のとーちゃんも、じーさまと同じようにロンドンの街角でハンバーガーを売っとったっちゅう事や。この贅沢な家も家具も食事も、何一つなかったという事や。そりゃあ惨めやろうなぁ」
カエルの言葉を聞いて、ティアナはぞっとした。祖父のウィリアムは現在、会社経営のほとんどを息子のショーンに任せ、今はイギリスのみならずヨーロッパ中で福祉活動を行っていて、ほとんど家には居ない。福祉団体からの感謝状や国からの褒賞などが贈られている功労者として各界でも名が通っている。
そんなウィリアムお爺様は父には後継ぎという事で厳しかったが、私の前では優しくて、たまに家に居る時はいつどんなわがままを言っても聞いてくれる。だがもしお爺様が会社を作っていなかったら、私も彼と同じようにハンバーガーを売っていたかも知れないのだ。
青い顔をして俯いているティアナの様子をちらっと横目で見て、ピョンは更に続けた。
「あんた、ミシェル・ウェールズって知っとうか?もしかして小さい頃、あそこに入りたいとか言うて親を困らせた事あったやろ?」
ティアナは“なぜ分かったの?このカエル”という顔をした。確かに貴族や王族しか通う事の出来ない学校というだけで、ミシェル・ウェールズはティアナの目に非常に魅力的に映った。あそこへ入学できれば、そんなお姫様達に混じって私も同じようにお姫様になれるわ、と憧れたものだった。しかしミシェル・ウェールズは、両親がどれ程金を積んでも頑として受け付けなかったのだ。
「ミシェル・ウェールズは入学を許可せんかったやろ?当たり前や。あそこに通っている子等はな。伝統やしきたり以外に祖先から続くしがらみや呪われた血の血脈さえも、全てその背に背負って生きる事を定められた子供等や。だからこそあの閉鎖された空間で、年に二度しか家族に会う事を許されずに生きていく。自分の先祖の苦労も知らずにぬくぬくと生きてきたあんたとは、生きる世界が違うんや。そやからあんたはお嬢様にはなれても、お姫様にはなられへん。よう分かったか?成金のお嬢さん」
あまりに手厳しいピョンの言葉に、スティーブもアンドリューもハラハラしながらティアナを見ていた。無論彼らはピョンの毒舌を途中で殴ってでも止める事は出来た。しかし自分達でさえ知らなかったカエルの情報力と彼の饒舌に、思わず呆然として聞き入ってしまったのだ。
ピョンはといえば、これだけきつい言葉でまくし立てたのだ。彼女はものすごく怒って窓から自分を放り出すに違いない、と踏んでいた。とにかくピョンは早く帰らねばならなかったのだ。一刻も早く渚に退職が取り消しになった事を知らせてやりたかった。
だがピョンの予想は大きく外れる事となった。ティアナの怒りはピョンを窓から放り出す程度では済まされないほど頂点に達し、それはドロドロとした憎しみを心に生み出した。彼女はうつむいたまま小刻みに肩をふるわせ「それが、何だと言うの?」と呟くと、ピョンの入ったトランクケースの蓋をバタンと閉め、鍵をかけた。
「タイターニア。お前はこの箱の中で一生 生きるのよ。もちろん私のペットだから外にも連れて行ってあげるけど、その箱から出る事は許さないわ。いいわね、タイターニア」
威圧的に言葉を投げつけると、少女は二人の供を連れて部屋を出て行った。
「チェッ、あくまでタイターニアか・・・」
ピョンはふてくされて、その小さなトランクの中で寝転がった。彼がその箱に閉じ込められた事より、タイターニアという名前の方を嫌がるのには理由があった。
まだ彼が人間だった頃、アルセナーダ帝国と大陸の勢力を二分した大帝国があった。南に位置する温暖なアルセナーダと対をなすように、冬は雪と氷に覆われる北の帝国の名はエスタシア。その大帝国を一つにまとめ上げていたのが、“氷の女帝”と呼ばれたタイターニアであった。
二つの国は遠方にある為、滅多に衝突する事はなかったが、たまに冬が長引くと“地獄の雪軍”と呼ばれるエスタシア軍は遠征してきて、アルセナーダの領土を脅かした。無論夏が長引いた時には、“炎の大帝国軍”であるアルセナーダ軍が北上して行くのだから双方の仲の悪さは周りの国々を巻き込んで、さぞかし迷惑な話だっただろう。
「よりによって、あの憎たらしいおばはんの名で呼ばれるとは・・・。まぁ、これも報いって奴か・・・」




