4.記者魂と渚の想い
しかし、そんな事で諦められないのが記者魂である。次の日もその次の日もエドウィンは渚の通勤路で彼女を待っていた。どうしてもカエルを見せて欲しいと頼むエドウィンと頑として拒む渚。当然二人の確執は深くなる一方だった。
「いい加減にして下さい。これ以上つきまとうとストーカー行為で訴えますよ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた渚は、人通りの途切れた道に来るとエドウィンに叫んだ。だが取材に命をかける記者も負けては居ない。
「誰があんたみたいなチビにストーカーなんかするもんか!いや、今のはちょっと失礼だったな。あなたみたいな少女に・・・だ」
「どっちにしろ無礼です!」
渚は今17歳だ。イギリスでは17歳と言えばすでに女性らしい雰囲気を持っている人が多いが、半分日本人の血が入っている渚はどうしても幼く見えてしまう。日本ではいつも自分より年上に囲まれて生活していたのでさほど気にならなかったが、やはり西洋人は東洋人よりずっと大人っぽい。ミシェル・ウェールズの最上級生の方が時々渚より年上に見えてしまうのは彼女のコンプレックスだった。それをこんな男にいきなり言われるなんて・・・。
ー ホントに大嫌い。この人! ー
渚はくるっと彼に背中を向けると猛スピードで歩き出した。それを追いかけるとエドウィンは何とか渚を押しとどめた。
「なあ。別に俺はあんたのカエルを捕まえてどうこうしようと言ってるんじゃないんだ。もし“しゃべるカエル”が居たらすごい発見じゃないか!きっと世界中がびっくりするぜ。世界のメディアが取材に来る。あんただって飼い主として自慢だろう?」
渚はそれを聞いて、酷く悲しそうな顔をしてうつむいた。
「私は・・・有名になる事なんか望んでないわ」
「何でさ。有名になれば金だって入ってくる。ミシェル・ウェールズの一教師なんてやらなくても遊んで暮らせるぜ?」
「あなたはそれで幸せ?もし書かなくても食べていけるのなら、あなたは記者を辞めるの?」
「それ、は・・・」
エドウィンは返答に詰まった。確かに遊んで暮らせればそれに超した事はない。実際、そんな生活を望んでいる。だがその後は・・・?
エドウィンが記者になったのは、ただ起こった事件や事故を書き綴る為だけではなかった。自然や超常現象。このめまぐるしく科学が発展していく中で、どうしても人間の踏み込めない領域がある事を彼は知っていた。そしてそれに挑んで新しい発見を夢見ている人々の事を彼は書きたかったのだ。
だがエクスジャーナルも世間の人々もそういう物に目を向ける人は少なく、彼はいつも人々が興味をそそる有名人のスキャンダルや血生臭い犯罪などの記事を書く事を余儀なくされていた。そんな時に銀行強盗の取材でしゃべるカエルが存在するかも知れないと聞いたのだ。
彼は事件に関与した全ての人々に取材をし、警察病院に入院しているパスにまで面会した。無論声帯を失った彼は話す事が出来なかったが、エドウィンには秘策があった。彼は見張りの警官が目を離した時、ポケットからカエルのゴム人形を取り出し、パスの目の前に差し出したのだ。
「ヒィィィィッッ!」
声にならない叫び声を上げると、狂ったようにパスは暴れ出した。その血の気の失せた真っ青な顔と恐怖に血走った目を見て、エドウィンは確信した。この男はやはりカエルにやられたのだ・・・と。
おびえて暴れ回るパスを警官が取り押さえている間に、エドウィンは外へ走り出した。しゃべるカエルは実在する。これを記事にするんだ。今まで超常現象なんか見向きもしなかった奴らがびっくりするぞ!いや、世界が度肝を抜くんだ。この俺の記事で・・・!
「ああ、そうだよ。あんたの言う通り、俺は書く事を止められない。だからこそ俺は世間に知らしめたいんだ。しゃべるカエルが居る。ロマンじゃないか。こんな荒んだ時代に。それをどうして隠そうとするんだ?」
「それはあなたの満足でしょう?私は・・・私の望みはただ、毎日笑ったり泣いたり喧嘩をしたり、一緒にご飯を食べたり・・・ただ、そんな平凡で普通の毎日を送りたいだけ。もうあなた達の様な人に私の人生を引っかき回されるのは嫌なの」
「それは・・・あんたの両親が死んだ時の事を言っているのか?」
渚はドキッとして彼の顔を見上げた。そんな彼女の顔を見て、エドウィンはため息をつきながら言った。
「知ってるよ。あんたの親父さん、コーンウェル博士はこっちでも有名だからな。彼は人の深層心理のみならず夢の中にまで入り込み、多くの植物人間や痴呆症の老人を復帰させ、世界中で治療を施していたんだろ?中でも有名なのがエドグアナ皇太子の事件だ。
こちらに留学中のエドグアナの皇太子を専用SPがいつものように送迎していた所にトレーラーが突っ込んだ。運転手は即死、護衛の2人も重症。エドグアナの皇太子に至っては完全に植物人間状態だった。
エドグアナは小さな国だが、世界有数のダイヤモンド産出国でダイヤも良質。経済不調のイギリスにとっちゃ金の卵だ。すぐに当時日本人女性と結婚したばかりのコーンウェル博士が呼ばれた。まだ生まれてなかったあんたでも知ってるだろ?」
渚は頷いた。そして父は3ヶ月もの間エドグアナの皇太子をつきっきりで看病し、とうとう彼の目を開かせ杖に掴まって歩けるほどに回復させたのだ。
「コーンウェル博士はその功績を讃えられ、英国勲章第2位とSirの称号を与えられた。Sirの称号は英国勲章の第1位と第2位にのみに付けられる称号で、彼らはKnightと呼ばれる。正に英国民にとっては英雄だ。そして生まれた娘も幼い頃から語学の才能に恵まれ、その優秀さ故に高校をスキップ、わずか15歳で日本有数の大学に入学。今や7ヶ国語を話し、古語学にも精通している・・・。追っかけられても仕方ないだろう。あんたは生まれる前から特別なんだよ」
「特別じゃない。私は普通の女の子よ。普通に生きて普通に恋して、普通に・・・」
「普通なわけ無いだろう?あんたに普通の同じ年の友人がいるか?あんたは天才なんだ。俺みたいな馬鹿な人間にはうらやましい限りだぜ」
天才という言葉は物心ついた時からずっと言われてきた言葉だった。だが渚は自分の事を天才と思った事は一度もない。ただ幼い頃からずっと古代の言葉に憧れ解き明かすのが好きだった。父の親友の木戸教授が古語学研究の第一人者で、絵本代わりに渚にそれらの歴史書を良く貸してくれたのがきっかけだったが、父の膝の上で壁画や石碑に残された文字が書かれてある本を見ては、その古代の文字を読んでいた。大学に進んだのも木戸教授の在籍する大学で、早く古語学の勉強をしたかっただけなのだ。
確かに渚には同じ年頃の友人はほとんどいない。彼女の幼なじみ達は今、高校2年生。これから大学を受験したり社会に出て行くのだ。だからこそ渚は友達になれた人間をとても大切にしていた。ウィディア、マリアンヌ、アレク、そしてピョン・・・。たった一人で見知らぬ土地で生きていく渚に、どれ程彼らが心のよりどころとなっていただろう。
「あなたは何も分かっていないわ。ピョンちゃんは、私の大切な友達なの」
「友達?カエルがか?カエルなんて小さい頃捕まえては解剖して遊んでたぜ?」
その軽口に渚は言い知れぬ怒りがこみ上げてくるのを感じた。やっぱりこの男はピョンをただの実験道具としか思っていないのだ。渚は拳を握りしめると、自分の左隣に立っているエドウィンを下から睨み上げた。
「もしピョンちゃんに何かしたら・・・あなたを許さない。。絶対に許さないわ」
渚から立ち上ってくるピリピリとした空気に、一瞬彼は息を飲んだ。だがいくら天才だからと言ってこんな少女に何が出来るんだ?と心の中でせせら笑った。
「許さない?あんたみたいな小娘に何が出来るって言うんだ?どう許さないのか聞いてみたいもんだね」
その時自分を見つめる彼女の瞳が“愚かな人・・・”と言わんばかりに微笑んだ。それがぞっとするほど美しく見えて、エドウィンはただ息をのんだ。
「二度とペンを持てなくなるわ。それどころか、このイギリス国内ではまともな職業には就けなくなるでしょう。何の力も無いただの女でも、それくらいの事は出来るのよ」
それは今の今まで少女だった彼女が、女になった瞬間だとエドウィンは思った。渚の台詞は女が捨て身で愛しい男を守ろうとする時の言葉だ。呆然と去って行く渚の背中を見送ったエドウィンは、薄くにじんだ額の汗を拭き取りながら呟いた。
「恋する女は怖いって言うが・・・。カエルに恋をしているのか?あの子は・・・。益々会ってみたくなったねぇ。そのピョンちゃんって奴に・・・」
玄関のドアを激しく開け閉めする音にピョンは渚が帰って来たのだと分かった。いつものように飛び跳ねながら玄関に行くと、渚はじっとドアの前に立ってうつむいていた。
「どないしたんや?もしかしてこの間覗いとった変態ヤローに何かされたんか?」
ピョンの質問に渚は息を整えるように呼吸したあと、微笑みながら顔を上げた。
「ううん、何でも無い。急いで走ったから息が切れちゃっただけよ。すぐに夕飯の準備をするね。お腹空いたでしょう?」
笑顔でそう話すと、渚は着替えをする為に自室へ戻った。部屋のドアを閉めるとその前で大きく深呼吸する。さっきのエドウィンとのやり取りなど忘れるんだ。何事も無かったように・・・。
ピョンには何も知らせず彼を守る。その誓いを、彼女は守り続けていたのである。




