7.渚の計略
久しぶりの3連休の最初の日、渚はピョンと共にロンドンの中心部から16Kmほど北にあるウッドフォードに来ていた。ウィディアがミシェル・ウェールズを出た後、この街で暮らしているのだ。
「え・・・と、多分この辺りだと思うんだけど」
渚は携帯の地図を確認しながら辺りを見回した。
「あ、渚、あれちゃうか?ほら、クックドゥードゥーって書いてるで」
派手な黄色の“クックドゥードゥー”という文字も目立つが、その隣に鶏冠と同じ真っ赤なオーバーオールを着た巨大な鶏がその羽でVサインをしているのが、さらにびっくりするほど目立っている。店の外観は白い壁にこれも鶏冠を意識した赤い窓枠とドアが目を引いた。
入り口を入ってきた新規の客に「いらっしゃいませ」と声をかけようとしたウィディアは、渚を見ると嬉しそうに叫んだ。
「キャーッ!ナギサ!」
「ウィディア!」
彼女達は抱き合った後、ウィディアが2人掛けの席に彼らを案内した。店の中はランチを食べに来た家族連れや若者達で賑わっている。渚も早速メニューを開いた。チキン専門店なので、様々な種類の鶏料理が並んでいる。ハンバーグもここではチキンハンバーグだ。『店で一番人気!』と記されているメニューは、人のげんこつくらいの大きさのある唐揚げチキンだった。
注文を聞きに来たウィディアに人気メニューの唐揚げチキンとオレンジジュース、野菜サラダ等を注文すると、渚はここに来た理由を話した。
「バースディパーティ?」
「うん。なんだか恥ずかしいんだけどね。ピョンちゃんがしようって言ってくれて。どうせなら親しい人を集めてホームパーティにしようかなって」
「ちょっと待って。ピョンがナギサの誕生日をしようって言ったの?」
ウィディアにもピョンが話せる事を秘密にしているので、渚は慌てて取り消した。
「いえ、えーとね。その目が・・・目がそう言ってたのよ」
「目・・がねぇ・・・」
ウィディアは疑り深くピョンを見た。
“あかん。こいつにだけはバレたら。絶対売り飛ばされるで・・・”
ピョンは素知らぬ顔で向こうを見た。
「それでね。次の日曜なんだけど、ウィディア仕事でしょ?だから店長にお願いしに来たの」
渚の言葉に感動したウィディアは、ちょうど隣の席の客にチキンソテーを運び終わった店長を振り返った。
「店長!ナギサの誕生日パーティに行きたい!行きたい!行きたい!」
両手を胸の前に組んで懇願されると、店長も思わず息を詰まらせた。
「店長さん、お願いです!」
渚の後押しも効いたようだ。
「う・・・ん、まあ。ここに来てから一度も日曜に休みはやってないし・・・。しかし今週末はちょっと忙しい・・・」
しかしウィディアは店長に最後までしゃべらせなかった。
「キャーッ、店長、ありがとう!ナギサ、OKだって!」
「店長さん、ありがとうございます!」
女性2人の勢いに、仕方無く頭をかく店長だった。
そして一週間後、約束の日曜日がやって来た。渚は日曜だというのに学校にやって来て、校長室の前で衣服を整えると、ぐっと息を吸い込んだ。日曜日でもシスター・ボールドウィンは書類をまとめたりと、色々仕事をしているのを渚は知っていた。
「何ですって?外泊許可?」
渚に向かって叫んでいるのは、シスター・エネスである。まさかシスター・エネスまで居るとは思わなかったが、渚は毅然として答えた。
「はい」
「どうしてシスター・マリアンヌの外泊許可をあなたが頼みに来るのです?」
「私のバースディパーティなんです。どうしてもマリアンヌに参加して欲しいので」
「くだらない。そんな事の為に外泊ですか?」
シスター・エネスはいかにも軽蔑したように鼻を鳴らした。
「はい。私のバースディなんて確かに“くだらない”“そんな事”です。でもマリアンヌにとっては、とても大切な事なんです」
「あなたの誕生日がどうしてシスター・マリアンヌにとって大切な事になる・・・」
シスター・エネスの言葉を校長が片手で遮った。
「シスター・マリアンヌの事は私も気にかけていました。ウィディアの件があってから、ずいぶん塞ぎ込んでいる様ですね」
「あれからマリアンヌの笑った顔を一度も見た事がありません。お願いです、校長先生。私は以前のようなマリアンヌンに戻って欲しいんです。あの穏やかで優しい笑顔をもう一度見たいんです」
「生徒の中にも気にしている子供達も居るようです。ミス・コーンウェル。あなたはマリアンヌを元に戻せると思っているのですか?」
校長の静かな声に渚はきゅっと唇をかみしめた後、大きく息を吸い込んだ。
「マリアンヌは弱そうに見えるけど、決してそれだけの人じゃないと思います。だからきっと元の笑顔を取り戻せる。私はそう信じています」
シスター・ボールドウィンは黙ってうつむいた。今まで散々問題を起こしてきた子だ。今度も荒療治が過ぎて余計悪い結果を生むかも知れない。年を経た老教師には、渚が何をしようとしているのかよく分かっていた。彼女は深くため息をつくと、いつものように手を顔の前で組んで、その丸い銀縁のメガネの下から渚をじっと見つめた。
「よろしいでしょう。外泊を許可しましょう」
「あ、ありがとうございます、校長先生!」
急いでドアを出て行こうとする渚に、シスター・ボールドウィンは呼びかけた。
「ミス・コーンウェル。マリアンヌは洗礼を受けてから一度もこのミシェル・ウェールズを出た事がありません。それを忘れないよう」
「はい。ずっと側に付いていますわ。明日も一緒に来ますから。必ず!」
渚が出て行った後、“甘いですわ、校長先生!”という顔でシスター・エネスは校長を横目で見た。
“全く・・・。日曜の朝から何を言いに来たのかと思ったら・・・”
シスター・エネスに気づかれないようクスッと微笑むと、校長は椅子の背もたれにもたれかかり、素知らぬ顔で天井を見つめた。
シスター達は授業がなくても朝の礼拝は決して欠かさない。他のシスター達が出て行った後も、マリアンヌは礼拝堂の中で祈り続けていた。ウィディアが出て行ってからのマリアンヌは、ずっとこうして懺悔の日々を送るしかなかった。彼女の幸せを祈るのさえおこがましいと思ったが、マリアンヌに出来る事はそれしかなかった。
やっと長い祈りを終えてマリアンヌが顔を上げた時、後ろにある礼拝堂のドアが急に開いて、日光の強い光が中に差し込んできた。その光を背に、ある人物が勢いよくマリアンヌの方に歩いてくる。彼女は固まったようにその人物が自分に近づいてくるのを見つめた。
「マリアンヌ」
「ナ・・ギサ?」
渚はマリアンヌの手を掴むと、びっくりしたように目を見開いて自分を見ている彼女の顔に自分の顔を近づけた。
「今日、私の誕生日なの。一緒にお祝いしてくれるよね」
「え?」
「さあ、行くわよ!」
戸惑っているマリアンヌの手を掴んで、渚は彼女を礼拝堂の外へ連れ出した。
「あの、ナギサ。私、外には・・・」
「大丈夫よ。外出許可は取ったから。ついでに外泊許可もね」
「が、外泊?」
マリアンヌはびっくりして渚を見た。
「外泊なんて。そんな事、神様がお許しにならないわ」
「でも校長先生は許してくれたわよ。大丈夫。親友の誕生日なんだもん。神様も大目に見てくれるわ」
ー 親友 ー
なぜ彼女は今でも私をそう呼んでくれるのだろう。私は裏切り者なのに・・・。
そうしてマリアンヌは渚に引っ張られるまま、ミシェル・ウェールズの巨大な門の前に立った。10歳の時この門をくぐってから一度も超えた事のない、シスター達の鉄の戒律を守る門・・・。
「門を開けて。外泊許可は取っているわ」
いつものように陽気にガードマンにそう言うと、渚は不安そうに門を見上げているマリアンヌを引っ張った。
「行くわよ、マリアンヌ。戒律の外へ・・・!」




