5.寿司を食べに行こう
「“かわいいなぁ”って思ってるやろ」
急に下の方から響いてきた声に、アレクはびっくりして自分の左側のベンチの上を見た。さっきまで渚の鞄の中に入っていたピョンがベンチの上で自分を見上げている。その顔から怒りがにじみ出ているのが分かった。
「お前なぁ。いくら何でも手え早すぎるやろ。ナギサはファーストキスもまだやねんで。本人から聞いた訳ちゃうけど」
「しゃべ・・・ってる・・・」
アレクは本当に驚いたように蒼白な顔で呟いた。
「ハッ、カエルがしゃべったから何や言うねん。ワイが怖いんやったら、二度とナギサに近づかんこっちゃな」
憎たらしいカエルの言葉に、アレクはすぐに冷静さを取り戻した。確かに気味が悪いが、こんな下品なカエルに口で負けるわけにはいかない。
「ふーん。さすがナギサだ。面白い物を飼ってるなぁ」
「アホッ、ワイはペットとちゃうで。ちゃんと家賃も半分払っとうし、食費も入れとう立派な同居人・・・わぁ、何すんねん、お前!」
アレクはピョンを両手で持ち上げると、逆さにして見回した。
「どんな仕組みになっているんだろう。やっぱり日本製かな?」
「アホッ、ワイはロボットとちゃうわ!放さんか、コラッ!」
ピョンが暴れ回るので、アレクは彼をベンチに下ろし、にやりと笑った。
「僕の言っている事を理解しているみたいだったから、ただのカエルじゃないと思っていたけど、まさか言葉まで話すとはね」
「フン!ワイがしゃべんの分かっても動じへん所は褒めたるけどな。お前、一体どういうつもりでナギサと会ってんのや?ほんまにあいつをニューヨークへ連れていくつもりか?」
「ああ、そうだよ。彼女は頭もいいが、人間としても素晴らしい人だ。それに自分の意思を貫く信念もある。僕の人生の、そして仕事の上でも最高のパートナーになってくれると確信している」
「それはお前の理想やろ?ナギサの夢やない」
そう言いつつ、ピョンは思った。そうだ。きっと渚なら、好きになった男の為に、自分の夢も押さえ込んでそいつを助けようとするだろう。
- いつか行こうね。ピョンちゃんの国 ー
そう約束した時、渚は自分の夢をはっきりと語っていた。いつか世界中を回って歴史に埋もれた古の国へ行き、そこに生きた人々の言葉を解き明かしたい。その夢を叶えるために、夜中まで歴史や古代語を勉強しているのをピョンは知っていた。そんな渚の努力も知らずに、こいつは簡単に夢を諦めろというのか?
やるせないほど腹が立って、ピョンはアレクをにらみ上げた。
「お前があくまでナギサをニューヨークに連れて行くゆうんやったら、ワイは徹底的に邪魔したるからな」
それを聞いてアレクは馬鹿にしたように笑った。
「カエルごときがこの僕に勝てるとでも思っているのか?たとえ君が人間になったとしても国籍もない君にナギサを幸せに出来るはずもないし、ナギサが君なんかを好きになるとはとても思えないね」
「アホ。ワイが人間になったら、ナギサはワイに惚れるに決まってるやろ。大体国籍なんてな。金さえあればなんぼでも買えるんや。言っとくけどな。ワイにはお前なんか比べもんにならへん資産がある。ワイがちょちょいと電話しただけで、ナギサにホワイトハウスよりでかい宮殿を買ってやるわい!」
それを聞いてアレクは軽蔑したようにハッと息を吐いた。
「いかにも低俗な考え方だな。金さえあれば女性を幸せに出来ると思っているのか?大体カエルの君が、どうやってそんな資金を手に入れたんだ?」
それについてピョンはあまり話したくなかった。
2,500年前のアルセナーダ帝国はそれは豊かな国で、宮殿の宝物庫にはたくさんの金塊や宝石などの財宝が納められていた。火山の噴火と地震で全て埋もれてしまったが、それをピョンは長い時間をかけて少しずつ掘り出した。カエルの身では長い間それを生かす事が出来なかったが、近代になって姿を見せずに人間と会話が出来る電話の登場と共に、只の金塊や宝石をいわゆる資産運用する手段を得たのだ。
しかし元々自分が皇帝になれば受け継ぐ資産ではあったが、同胞達の遺骨さえそのままにしているのに財宝だけを掘り出したのは、ピョンにとってやはり気が引ける思いがあった。
「そんな事はどうでもええ。大体、甲斐性の無い男にええ女と付き合う資格なんかあるか。(あくまでピョンちゃんの私見です)ナギサの夢はな。世界中の遺跡に残された古代の言葉を解読する事や。それに一体いくらかかると思う?ワイはあいつの旦那にはなってやられへんけど、スポンサーにはなってやれる。どんな事をしてもあいつの夢は守ってやる。お前なんかにナギサは渡せへんからな」
「全く口の減らないカエルだ。その姿でこの僕に本気で勝てると思っているのか?やれるものならやってみるがいい。まあ、無駄だと思うけどね」
「おお、やってやるわい。ナギサは2,500年探し続けてやっと見つけた女や。そう簡単に手放すつもりはない。本気であいつをさらっていくつもりやったら覚悟せえよ」
「覚悟するのは君の方だ!」
「何ぃぃぃ・・・!」
にらみ合っていた彼らは、すぐ近くまで渚が戻って来ているのにやっと気が付いた。彼女は驚いたようにジュースを持ったまま立ち止まっている。アレクはすぐに打って変わったような笑顔を彼女に向けた。
「いやあ、ナギサ。ピョン君って話せるんだね。あまりに下品で馬鹿丸出しだけど、言葉を話すカエルを飼っているなんて、さすがナギサだなぁ。ははは」
「すまん!ついしゃべってもうてな。そやけどこいつ、アホやからよう分かってへんし、かめへんやろ?あはははは」
2人・・・いや、一人と一匹は憎しみを込めてにらみ合った。ただし渚からは彼らが笑い合っているように見えるよう、口元を歪めて笑っていたが・・・。
ゾープパークを出た3人は再びロンドンに戻り、シティ・オブ・ウエストミンスターにあるソーホーに向かった。ここはロンドンのおへそと呼ばれる中心地区で、おしゃれなレストランやメディアなどの関連企業が立ち並ぶ一大ファッション街だ。物価の高いロンドンらしく高級な店舗も多いが、そんな中でもお手軽にランチを楽しめる店も数多くある。渚達が向かったのはそんな中の一軒だった。
「わお!スシや。スシが回ってるでぇーっ!」
「日本でよく見かける回転寿司よ。ロンドンでは珍しいわ。それにここは厨房のスタッフに日本人が多いの。値段がリーズナブルなのに、本場の味がすると評判なんですって」
カウンターの席に渚を座らせて、アレクも隣の席に着こうとしたが、すでにカエルがテーブルの上に乗っていた。全く厚かましいカエルだ。
「ピョン君。カエルが人間一人分の席を独占しちゃいけないよ。ここは僕が座るから君は僕の膝の上でも乗っていたらどうだい?」
「ああ、じゃ、ワイ、ナギサのとこに行こ」
ぴょーんと飛び上がったカエルは、渚のブラウスの胸元へ飛び込んだ。渚はびっくりして言葉を失い、アレクはニヤニヤ笑って舌を出すピョンをにらみつけた。
“このスケベガエル!味噌スープに突っ込んで煮込んでやろうか!”
“へっへーん、うらやましいだろ!ベロベロベー"
“どうしたのかしら、ピョンちゃん。今までこんな事した事ないのに・・・”
とりあえずピョンがテーブルの上に降りてくれたので、渚は2人分のお茶を入れた。
「はい、アレク」
「おお、グリーンティだね」
「ピョンちゃんは熱いからお水を入れるわね」
そう言って渚は水筒を取り出し、カップに水を注いだ。
「ナギサは本当に優しくてよく気が付くね。いいワイフになれるよ」
「え?そ、そんな・・・」
アレクの言葉に渚が頬を赤らめた。そんないい雰囲気を壊すようにピョンが叫んだ。
「あ、あれあれ。あれ取って、ナギサ」
「ハワイアンロールね。はい」
「次、あれ。あれがいい!」
「照り焼きチキン?」
「うん。それからあれも!」
「はいはい。卵ね」
アレクが話しかけようとすると、ことごとくピョンが横から余計な言葉を挟んでくる。
“このカエルめ。本気で徹底的に邪魔をするつもりだな?”
“当たり前や。絶対にお前なんかにナギサは渡せへんからな!”
ピョンの妨害工作に負けじとアレクは持っていた箸をぽろっと手から滑り落した。
「やっぱり箸は難しいなぁ」
「無理にお箸で食べる必要はないわ。寿司は手に持って食べてもいいのよ」
「でもせっかく来たんだし、ちょっとでも日本の文化に触れたいかなって」
「まあ!」
日本の事を覚えたいと言ってくれるのは、とてもうれしい事だ。渚はさっそくアレクの手を取って箸の持ち方を教え始めた。そんな二人の親し気な様子はピョンには当然面白くなかった。渚の教師魂を利用するとは汚い奴だ。苦々しい顔をしているピョンを横目で見ながらアレクは思った。
“フン!所詮君と僕じゃ、キャリアも経験も顔の良さも ー 顔の良さは特に強調して思った ー 比べ物にならないんだよ”
そんな無言の戦いをしつつも、彼らはしっかりと寿司を堪能し寿司レストランを出て来た。