4.遊園地にて
ロンドンからさほど遠くないゾープパークに着いた渚達は、早速そこの目玉であるジェットコースター“スティールズ”に乗る事にした。地上62メートルから時速約130Kmで降下するヨーロッパ有数の早さを誇るジェットコースターだ。見上げると、レールはほとんど垂直のように見えた。
興奮半分、怖さ半分のドキドキ気分で渚はアレクの隣に座った。ピョンは彼女の上着のポケットに入り、出発の合図の黄色いランプが一つずつ点灯していくのを、そっと目を出して見つめた。
案内の男性が「3,2,1,GOー!」と叫ぶと同時にコースターは凄まじいスピードで走り出し、一気に急斜面を下降した。
「キャーッ!」
渚も周りの人達も叫ぶ。ピョンの顔は風圧でぺしゃんこになるほど歪んだ。
乗り物から降りてきた渚は、頬を押さえながら興奮気味にアレクに笑いかけた。
「ああ、怖かった。ものすごいスピードだったわね!」
だがピョンの方はそんな渚に焼きもちを焼く気力も無く、彼女のポケットの中で上を向いて倒れていた。
“なんちゅう凄まじい乗り物や。オッソロシイ物を作ったもんやなぁ・・・”
「ナギサ、次はダイダル・ウェーブに乗ってみよう!」
アレクも楽しそうに渚の手を掴むと、人々の絶叫と水しぶきが上がっている乗り物を指さした。いわゆるウォーター・スライダーだ。10人乗りのコースターが水の中に突っ込むと、乗っている者だけでなく、側で見ている者まで全員ずぶ濡れにしてしまう程の水柱が上がっている。
ポケットの中でしばらく転がっていたピョンが何とかポケットの縁に這い上がってきた時には、絶叫マシーンがわくわく顔の人々を乗せて出発する所だった。これは先ほどのジェットコースターより低いようなのでふと安心したが、コースターが26m上から水の中に突入すると痛いほどの水しぶきが身体に当たり、再びピョンはポケットの中に転げ落ちた。今日はまだ暖かいので風邪を引く事はないが、渚もアレクもかなりびしょ濡れになってしまった。
“そりゃ、ワイはカエルやからえーけどな・・・”
同じくびしょ濡れになってしまったピョンは思った。持ってきたタオルで頭や身体を拭きながらアレクは楽しそうに笑った。
「“かなり本気で濡れるので覚悟が必要”ってSNSに書いてあったけど、本当だな。ナギサ、大丈夫?」
「ええ。全然。楽しかったわ!」
本当に楽しそうに笑う渚を見て、ピョンはふと寂しさを覚えた。
“嬉しそうやなぁ、渚。そりゃやっぱり、人間の男の方がええに決まってるわなぁ。この短い腕じゃ渚が泣いとっても抱きしめてやる事も出来へんし・・・”
ふと自分の手を見つめた後、ピョンは2,500年前のアルセナーダ帝国で、人間として生きていた頃の事を思い出した。アルティメデスの周りはいつも従者のゼルダやゴード、そして悪友達に囲まれ、彼は常にその中心で仲間達を一歩上から見ていた。そんな友人達と集まって、ワインを片手にいつもくだらない話に花を咲かせていたものだ。
「全く皇子には参るよ。あんな美女を振ってしまうなんて」
「美女?見かけは多少いいが、中身はまるっきり空っぽの馬鹿女じゃないか。あれで俺に気に入られようなんて、100年早いんだよ」
長椅子の上に寝転がりながらアルティメデスが答えた。
「この間もそんな事を言って、あんな色っぽい美女を振っちゃって。どんな女なら気に入るんだ?」
「女なんて面倒くさい。どいつもこいつも、あわよくば未来の皇妃になる事しか考えてないんだ。だから放っておいても集まってくるしな」
「はははは。その通りです。皇太子様」
皇子としての教養も剣の腕も一緒に悪さをする友人も、みんな持っていた。望んで手に入らない物など何もなかった。それほど当時のアルセナーダは富にあふれ、繁栄を遂げた国だったのだ。もしあの時、俺がもう少し謙虚さを持っていたら・・・。ほんの少しでも他人を思いやる気持ちを持ち合わせていたら・・・。天は次の皇帝に望みを託し、アルセナーダを滅ぼしたりはしなかったのではないだろうか。
俺の傲りが魔女を呼び寄せ、最後には国を滅ぼしてしまったのだ。何度後悔しても、もう取り戻す事は出来ない。こんな後悔はもう二度としたくない。
もしかしたらこんな姿の俺でも愛してくれるかもしれない、世界でたった一人の女。やっと見つけた・・・。
だがそれは奇跡に近い願いなのだ。俺にとって渚は天使でも、渚にとっての俺は、ただの醜いカエルでしかないのだから・・・。だったらお前の幸せを願ってやるべきじゃないのか?もう二度とあんな後悔を繰り返さない為にも・・・。
じっとうつむいて考え込んでいたピョンは、渚の呼ぶ声にハッとして顔を上げた。
「どうしたの?ちょっと疲れた?」
渚が心配そうにピョンの顔をのぞき込んだ。
「ああ・・・。そうやな。ちょっと疲れたかも・・・」
「じゃあ、少し休憩しようか」
渚がポケットの中のピョンを取り出して、近くのベンチの上に置いた時、アレクが別の乗り物の前で渚を呼ぶ声が聞こえた。その声に渚は戸惑ったようにピョンを見た。
「ワイはええから行ってこい、渚」
「でも・・・」
「ええから。ワイは一人でも大丈夫や。ここで待ってるから」
「うん・・・。ピョンちゃん、ほんとにここに居てね。人が一杯で危ないから」
次に渚達が乗り込んだのは“スマラー”というフリーホールだ。地上32mの高さを360度に渡って上昇下降を繰り返す乗り物だ。ブザーの音と同時に人々を乗せたマシンはまるでメトロノームの針が振り切ったように一気に32mまで高く上がった。すぐに急行下。渚は他の客達と共に「きゃああっ」と言う叫び声を上げながら、シートに押しつけられるような感覚に目を閉じた。すると今度はぐるっと回って再び上昇。胃が浮いたり沈んだりで、もう途中から声も出なくなってしまった。
それを下から見上げているピョンも顔を引きつらせた。大きなブランコが逆さまになって空中で止まっている。あれに乗っていたら、確実にポケットから転げ落ちていただろう。
乗り物から降りてきた渚は青い顔で、気分が悪そうに口元を押さえていた。
「大丈夫?ナギサ」
アレクは優しく渚の肩に手を置いた。
「え・・ええ。少し酔っちゃったみたいだわ」
「それじゃあ、少し休憩しよう」
アレクは心配そうにベンチの上で彼女達が戻って来るのを待っているピョンと目が合うと、ニヤッと笑って今度は渚の肩を抱き寄せながら歩いて来た。それを見てピョンは強烈な怒りを感じた。続けざまにハードな乗り物に乗せたのは、こうなる事を見込んでいたに違いない。アレクは渚をベンチに座らせると、その隣に座って「大丈夫?」と声をかけながら彼女の髪を掻き上げた。
それを見てピョンは大声で“あーっ!”と声を上げそうになった。
“あのヤローッ!渚の髪に触りやがった!”
興奮して体中真っ赤になりそうだったが、必死に心を落ち着かせた。今の今、渚の幸せだけを願ってやると決めたばかりだからだ。
“そや。渚の幸せだけを考えるんや。渚の・・・幸せを・・・”
そう思いつつ顔を上げたピョンは、アレクがそのまま彼女に顔を近づけたのでびっくりした。
「ナギサ・・・」
「ア・・レク・・・?」
渚はドキッとして近づいてくるアレクの顔を見つめた。
“このヤローッ、許せん。いくら何でも手え早すぎるで!”
ピョンが慌てて鞄から飛び出た時、渚がぱっと立ち上がった。
「あ、あ、あの、私、ジュースでも買ってきますね!」
走り出した渚を、アレクはフッと笑って見送った。