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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream1.新天地へ
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2.出会い

 次の朝、旅行鞄の中で付いたしわを昨日の夜しっかり伸ばしたスーツに身を包んで、渚はミシェル・ウェールズに向かった。

 

 学校は全寮制でシスター達も中に住んでいるので普通の学校のように朝の登校風景は見られなかったが、昨日のガードマンが渚が来たのを見ると、正門の横にある出入り口を開けてくれた。


 何も言わずに黙って立っているガードマンに大きな声で朝の挨拶をすると、彼は少し驚いたような顔をした後、笑って帽子の端を持って挨拶を返した。


 昨日教えられたシスター・ルームに行くと、主任のシスター・エネスが相変わらず鼻をつんと上に向けながら2人のシスターに何か注意を与えていた。


 彼女達はただシスター・エネスの言葉を背中を丸めて聞いている。


 まるでおびえるように瞳を伏せている様子から、思った通りシスター・エネスは皆から恐れられているようだ。


 渚が入ってきた事に気づいた主任シスターは「くれぐれも戒律を乱すことのないように」と2人に再度注意を促すと、渚の方に近づいて来た。


 挨拶をした渚を昨日と同じように上から下まで観察すると、シスター・エネスは渚を伴って教室へ向かった。


 どうやら地味な紺色のスーツという今日の服装は、彼女のお眼鏡にかなったようだ。


 初の授業は2年生の選択授業を受け持つ事になっていた。シスター・エネスの後について教室を入った渚は驚いたように生徒達を見回した。


 高価そうなミッションスクールの制服に身を包んだ彼等は、誰一人無駄なおしゃべりをする事なく席について、新しい先生が来るのを待っていた。


 ここには学級崩壊なんて言葉は存在しないのだ。渚はいたく感動した。


 シスター・エネスが渚を簡単に紹介した後、教室を出て行き、渚は少し緊張を覚えながら教壇に立った。


「初めまして。私は今日から皆さんに日本語を教える事になったナギサ・コーンウェルです。まだ不慣れな面もありますが、一緒に楽しく日本語を勉強しましょう」


 しかし、普通ならそこで拍手が湧き上がったり、生徒達の質問が飛び交ったりするのであろうが、彼らはじっと押し黙ったまま渚を見つめているだけだった。


 本当にこれがまだ6、7歳の子供なのだろうか。渚は妙に居心地の悪さを感じながら最初の授業を始めた。


 シスター・ルームに戻ってきた渚は、机に肘をついて大きなため息をついた。想像はしていたが、これほどとは思っていなかった。

 

 まるで人形を相手にしゃべっているような45分間に、すっかり疲れ果ててしまったのだ。


 シスタールームもおしゃべりをするシスターは居ないので、重苦しい空気が流れている。次は午後からなので、カフェにでも行こうと渚は立ち上がった。


 確かカフェと大食堂は、おしゃべりをしてもあの戒律には引っかからないはずだ。


 その時、ドアから授業を終えたウィディアとマリアンヌが戻ってきた。ウィディアは社会科、マリアンヌは音楽科を受け持っている。


 2人共もちろん静かに入室してきたが、ウィディアが自分の席に向かいながら、渚にウィンクしつつ親指を立てた。これは昨日の場所で・・・という合図だ。


 渚は何食わぬ顔でそのままシスター・ルームを出ると、昨日ウィディアとマリアンヌと3人で会った1号館の北側にある裏庭へ向かった。

 

 そこには小さな物置小屋があり、周りも深い木々に囲まれていて、息抜きをするにはちょうどいい場所だ。


 少しの間待っていると、肩から大きなトートバッグを下げたマリアンヌとウィディアがやってきた。


 ウィディアがバッグから布製のシートを取り出して芝生の上に広げ、マリアンヌは水筒から紙コップに暖かい紅茶を注ぐ。


 もちろん定番のスコーンやクッキーも並べられた。


「こんな事がシスター・エネスにばれたら大変なんでしょう?」


 渚が紅茶を口に運びながら苦笑いをした。水筒に入っていた割にはダージリンの良い香りがしてくる。


「そりゃあもう。“あなた達にはミシェル・ウェールズのシスターとしての自覚があるのですか!”って大騒ぎだわ。でもここのくだらない戒律なんて、表面だけ守っておけばいいのよ」


 ウィディアがニヤッと笑うと、マリアンヌは困ったように「ウィディアったら、そんな事言っては駄目よ」とたしなめる。


 こんな楽しい関係があれば、きっとここでの生活も苦痛にはならないだろうと渚は思った。





 やっと少しミシェル・ウェールズでの生活に馴染んで来た頃、カフェで紅茶を飲んでいると3年生の生徒達が5人一緒に近づいてきた。男の子3人と女の子2人だ。


「ナギサ先生、あの・・・」


 女の子の一人、ジュリアがもじもじしていると、後ろにいたウディが体を乗り出した。


「僕達、日本に興味があるんです。だから選択で日本語をとりました。日本の事、教えてもらえますか?」

「ええ、もちろんよ!」


 ここに来て初めての嬉しいお願いに、渚はわくわくしながら答えた。


「どんな事が知りたいの?」

「あの・・・日本にはまだサムライは居るんですか?」


 突拍子もない質問に渚は驚いたが、多分映画の影響だろうと思った。


「うーん、居るかもしれないけど、頭に曲げを結って刀を腰に差している人は居ないと思うわ」

「えー?もう居ないの?」

「残念」

「見たかったのに」


 子供達の反応に思わず渚はクスッと笑った。


「じゃあ、先生。富士山を見た事ある?」

「ええ。登った事は無いけど、全景が見える位置から見た事はあるわよ」

「キレイだった?」

「それはもう。日本で一番愛されている山ですもの」


「知っているよ。富士山はねぇ、標高3,776メートル、今は噴火しないけど、まだ活火山なんだよ」

「まあ、よく知っているのね、ヴィンセント。それじゃあこれは知ってる?富士山はね・・・」


 そう言いかけた時だった。渚と生徒達との間を阻むように、大きな分厚い本が音を立ててテーブルに叩きつけられた。


渚はびっくりしたように縦に置かれたその本を持ってテーブルの側に立っている人物を見上げ、じっと冷たい瞳で自分を見つめるシスター・エネスに気が付いた。


「ミス・コーンウェル。子供達に余計な知識ことを植え込むなと最初に申し上げたはずですが?」

「余計なこと?」


 渚はムッとして思わず立ち上がった。


「日本語を学ぶ子達が日本に興味を持って何が悪いんですか?」


「日本語など、所詮副教科です。日本の歴史や文化まで教える必要はありません」


「でもこの子達は学びたがっています。それを教えるのは教師としての義務じゃありませんか・・・!」


 思わず声を高めた渚に、シスター・エネスはさらに冷ややかな視線を向けた。


「ミス・コーンウェル。あなたは洗礼を受けたシスターでもないし、副教科を教えるだけの臨時教師のようなものです。ここの戒律を守れないようなら即、出て行ってもらいますよ」


 シスター・エネスの物言いに衝撃を受けた渚は、それ以上何も言い返せず、彼女の背中を見送った。

 






ー あんまりだわ、あんまりよ! ー

 

 あまりの腹立たしさに渚はカフェを出て、芝生の張ってある庭まで急ぎ足で歩いてきた。息づかいが荒くなったせいか、胸が苦しく感じる。思わず胸に手を当て、怒りにまかせて叫んだ。


「副教科が何よ!子供達の学びたいって言う気持ちをどうして打ち消さなきゃならないの?絶対おかしいんだから!」


 本当はシスター・エネスにあの時言ってやりたい言葉だったが、やはりそれは出来なかった。他のシスターに聞かれるのも困るので、こういう時は日本語で叫ぶのが一番だ。


「何でも戒律戒律って!子供の向上心や夢を押さえつけるなんて、そんなの教育じゃないわ!絶対、絶対間違ってるわよ!」 


「おー、ねーちゃん、ねーちゃん。怒り狂っとおとこ悪いけどなぁ、ちょっとワイを助けてくれへんか?」


 まだ声を上げようと思っていた渚は、どこからか聞こえてきたダミ声の日本語(しかも関西弁)に驚いたようにあたりを見回した。


「そんなとこ見回しても誰もおれへんて。下、下。ねえちゃんの足下にある穴ん中や」


 あまりの気持ち悪さにもう一度胸を押さえながら、渚はゆっくりと足下を見た。確かにゴルフのカップくらいの穴が開いている。恐る恐るその穴に顔を近づけた渚は、更にぎょっとした。


 片手では乗り切らないような大きなカエルが入っていたからだ。


「なんや。日本語しゃべっとったから日本人のねーちゃんかと思ったけど、ちゃうねんな」


 思わず渚は腰が抜けたように芝生に尻餅をついた。


「しゃ・・・しゃべってる、カ・・カエルが・・。やだ、誰か腹話術でも・・・」


「そんなんおれへんて。どーでもええけど、早よ出してーな。わい腹減ってもてん。昨日からこの穴に落ちてもて、上がられへんのや」


 それでも渚はもう一度あたりを見回した。どう考えてもカエルが言葉を話すなんておかしい。あまりにも色々な事が起こりすぎて、幻聴が聞こえているのだろうか。


 だがどれほど周りを見回しても人が隠れるような木々もなく、ここには自分と、このカエルしか居なかった。


「本当にあなたが話してるの?」


「だからさっきからそお言うとおやろ。あんまり疑い深いと、ええ嫁さんになられへんで」


 そんな風に言われると信じる他はないような気がする。とにかく困っている人(カエルだが)を見捨てておく訳にもいかず、渚はカエルが差し出した前足をつかんでゆっくりと引き上げた。


 穴から出てきたカエルはいかにも疲れたように首を左右に振った後、芝生にへたり込んでいる渚を見上げた。


「ああ、苦しかった。だあれもいひんかったら、どうしようかと思うたわ。サンキューな、ねーちゃん」

「う・・・うん」


 これは夢なんじゃないだろうか。さっきのシスター・エネスのひどい言い方といい、このカエルといい、悪夢を見ているのではないかと渚は思った。


 だが、さっきカエルの前足を触った感触も、今見えている大きな黄緑色のカエルも、全て現実に違いなかった。


「ところで、ねーちゃん。助けてもらったついでに何か食い物持ってへんか?ワイ腹が減ってんねん。そやな。出来たらパンがええ。ワイはクロワッサンが好物や」


 助けてもらった上に食べ物まで要求するとは、なかなかあつかましいカエルである。しかもカエルのくせにクロワッサンとは・・・。


「ここにはないけど、家に帰ったらあるよ。朝食の残りだけど」

「そらええわ。ちょっと連れて行ってくれへんか。食ったら帰るし」


 カエルはぴょんっと飛び上がると、渚のジャケットのポケットへ飛び込んだ。




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