4.小さな冒険の終わり
何とか外へ逃げてきた渚は、男子寮のある2号館まで走り切ると、息を切らしながら立ち止まった。
「先生・・・カエルさん、しゃべってたね」
肩で息を繰り返しながらサラが言った言葉に、渚はギクッとした。
「やだ、サラ。空耳よ。カエルがしゃべるわけないじゃない」
だが他の4人も口々に「僕も聴いたよ」「しゃべってたよね」というので、渚はどう言い訳しようか困ってしまった。
「え・・・と、それはね・・・」
だが何とか事情を説明しようと思っていた所に「おーい、ナギサ、大丈夫かぁ?」と大声で叫びつつピョンが飛び跳ねながら帰ってきた。もうごまかしようがない。渚は大きく飛び跳ねてきたピョンを両手で受け止めた。
「ピョンちゃん、大丈夫だった?」
「あったり前や。あんなオバハン、チョロいチョロい。ちょっと脅したら、すぐ逃げてったで」
5人の子供達は口々に「すごい、カエルさん、本当にしゃべってるよ」「先生のカエルすごいね!」と渚の手元をのぞき込んだ。
「おお、お前等、大丈夫やったか?」
「うん。カエルさんのおかげで助かったよ」
「ありがとう、カエルさん」
やはり子供は大人よりもずっと心が柔軟なようだ。ピョンの事も普通に受け止めてくれた。渚はほっとして彼らの顔を見回した。
「先生。カエルさん、触ってもいい?」
「ええ。いいわよね、ピョンちゃん」
「おお」
いつもはおとなしいサラが興味津々でピョンの頭をなでるのを、他の子供達も「わあ、大きいね」「きれいな黄緑色」などと言いながら見ていた。
「お前がサラか?」
ピョンが目の前の小さな女の子に尋ねた。
「うん」
「なあ、サラ。お前にとって確かにあの本は大切かも知れへんけど、一番大切な物はいつでもお前の心の中にあるんやで。よう思い出してみ?あの本もそれから今までお前がナギサから教えてもらった色々な知識は、全部お前の中に入ってる。そしてそれはお前次第で、もっとたくさんに増えるんや。分かるか?」
ピョンの言葉に渚は微笑んだ。
「うん・・・」
「じゃあ、もう本は取り返さんでも大丈夫やな?」
「うん。大丈夫。サラ、全部覚えてる。ナギサ先生に教えてもらった事、全部ちゃんと覚えてるよ」
「よし、ええ子や。お前等も友達の為によう頑張った。ナギサはええ生徒を持ったな」
「ピョンちゃん・・・」
ピョンのおかげで、生徒達はみな納得してくれたようだ。渚はヴィンセント達が男子寮に入って行くのを見送った後、女子寮のある3号館にジュリアとサラを送って行き、ミシェル・ウェールズを出て来た。
「ピョンちゃん、ありがとう」
「ん?ワイはなんもしてへんで」
ピョンは渚のポケットを飛び出すと、そのまま銀杏並木の下を飛び跳ねて行った。その後ろ姿を見つつ、渚は彼の存在に胸が温かくなるような気がした。
ー ピョンちゃんは不思議です。私はピョンちゃんを守っているつもりで、いつの間にかピョンちゃんに守られている気がするのです ー
次の日の朝、ミシェル・ウェールズでは昨夜のシスター・モーリスが遭遇した、恐ろしい事件がシスター達の間で密かに囁かれていた。
「昨日、とうとう出たらしわ」
「何かが顔に張り付いて、窒息させられそうになったんですって」
「本や書類が部屋中を飛び交って、殺されかけたとか・・・」
噂という物はどんどん話が大きくなるものだ。渚は素知らぬふりをするのが大変だった。そしてそんな渚をシスター・エネスは疑わしそうにじろっと見た後、シスター・ルームを出て行った。




