9.未来への誓い
── ボーン・・ボーン・・ボーン・・ ──
一日の終わりを告げる鐘が鳴り響いた時、ピョンは自分の身体が薄く透けていくのを感じた。ああ、とうとう終わるのか。最期のキスも出来ずに・・・。
渚は震えながら涙を一杯にためてピョンの顔に触れようとしたが、その指先が温かな頬を感じる事はもはや出来なくなっていた。
「ピョンちゃん、嫌。行かないで、ピョンちゃん」
留めなく涙を流す彼女を慰めるように彼は微笑んだ。
「ナギサ、愛してる・・・」
空気に溶けるように消えた姿を追い求めながら空を見つめ泣いていた渚は、やっと足下に居る小さな存在に気が付いた。少しふてくされたように背中を丸め、向こうを向いたまま座っている。
小さな小さな、私の愛しい人・・・。
渚は安心したように微笑むと、その小さな身体をすくい上げ胸に抱きしめた。
「もう絶対に離れないからね、ピョンちゃん」
いよいよ渚が帰国する一週間前、渚の家で送別会が行われた。招待客はウィディア、ウィディアに付いてきたマイケル。外出許可を貰ったマリアンヌ。ティアナとアンドルー、スティーブ。そしてエドウィンだ。渚の送別会なのに家でやると張り切って渚がパーティ料理を作りかねないので、全員で2品ずつ料理を持ち込む事とウィディアが伝えていたが、それでも渚は得意料理を5皿も作って彼等を出迎えた。
ウィディアの「ナギサの日本での活躍を祈ってー!」という乾杯の音頭で皆はグラスを合わせた。ワイワイと料理を食べながらのお別れ会も、酒が進むとなかなかの乱れようだ。酔っ払ってくだを巻いているウィディアをマイケルとエドが介抱している。マリアンヌとティアナは酒を飲んでもいないのに、別れを惜しんで大声で泣いていた。アンドルーも「ううっ、ナギサ先生。必ず会いに行きますぅぅ」と泣きながらワインを飲み干していて、それをスティーブが慰めていた。
一方渚はキッチンに立ってデザートを振る舞おうとフルーツの盛り合わせを作っていた。そこにエドウィンが入ってきて渚の斜め後ろのキッチンカウンターに寄りかかりながら、手に持ったバーボン(自分で持参)のグラスをあおった。彼が介抱していたウィディアは寝落ちしてしまったようだ。
「ホントに行っちまうんだな。まっ、あんたなら何処へ行っても、その飛んでもない行動力で乗り越えちまえるよ」
「フフッ。それって褒め言葉?」
「勿論褒め言葉さ。突っ走りすぎて壁にぶち当たりそうになっても、あのカエルが居れば大丈夫そうだしな」
ニヤリと笑ってエドは自分のベッドで気持ちよさそうに寝ているピョンに目をやった。久しぶりの酒が回ったのだろう。渚もピョンを見て微笑みながら頷いた。
その後酔っ払ったウィディアと余り遅くならないうちにシスターの寮に戻らないと行けないマリアンヌ、未成年のマイケルをエドがタクシーで送って行った。ティアナは最期まで渚に抱きついて泣いていたし、アンドルーも目を赤く腫らしていたが、何とかスティーブに慰められながら帰って行った。
皆がいなくなると、渚は一抹の寂しさを感じながらフレンチドアを開けてバルコニーに出た。目の前にはもう見慣れたロンドンの夜の風景が広がっている。冷たい夜風が頬に当たっても、不思議と寒さは感じなかった。
ここで過ごした1年と8ヶ月。色々な事があったけど楽しかった。色々な人に出会えて、色々な経験をして・・・。
「寒ないんか?」
後ろから声がしたので振り返ると、ピョンが飛び跳ねてきてバルコニーの手摺りに飛び乗った。酔いが覚めて目を覚ましたようだ。
「ううん。少し中の熱気に当てられたから。今は夜風が気持ちいいわ。ピョンちゃんこそ大丈夫?」
「ああ。この国の寒さにももう慣れた」
そうやって2人は黙ったまま静かな住宅街の夜景を見つめていた。
「ピョンちゃん」
不意に渚がピョンを両手ですくい上げ、目の前まで持って来た。
「私達って付き合ってるんだよね?もう恋人同士って思っていいのよね?」
「え?」
確かにクリスマスの夜そういう雰囲気にはなった。一応消える直前に「愛してる」とも言ったが、あれは告白になるのだろうか。なるとしても返事を貰ったわけでもないし、それに自分がカエルに戻ったせいで何だか有耶無耶になってしまった気がする。だから当然今まで通り、同居人兼友人の様な関係のまま過ごすのだと思って居た。
とても残念だったが、自分がカエルの姿である以上、どうにもならないんだと諦めていた。なのに渚の方からこんな風に言ってくれるなんて・・・。
「それは・・・勿論そうなれたら嬉しいけど、渚は嫌やろ?カエルの彼氏なんて誰にも言われへん」
「どうして?私は平気よ。ねえ、ピョンちゃん。ピョンちゃんはいつも自分はカエルだから何も出来ない、守りたい者も守れないって言うけど、ピョンちゃんに出会ってから今まで私がどれ程ピョンちゃんに守られていたか、気付いてる?この前の船旅でもピョンちゃんが居なかったら、私、怖い人達に殺されてたかも知れないのよ」
「でも実際に救ったんは、イアンとベラやったし・・・」
「それもピョンちゃんが私の居場所を特定してくれたからよ。ピョンちゃんはいつだって私の気持ちを一番に考えてくれて、私を大切にしてくれている。素敵な彼氏の条件はそれだけで充分じゃない?」
ああ、本当に愛しいよ。どうしてこの人はこんなに嬉しい言葉をくれるんだろう。彼女の方からこんな風に言ってくれるなんて。本当に望んでもいいんだろうか。カエルが恋人なんて、渚がバカにされたり批判の的になったりするかも知れないのに、それでもいいと言ってくれるのなら・・・。
「大好きやで、渚。ずっと一緒に居てくれるか?」
「うん、もちろん。じゃ、この間の続きね?」
「へ?つ、続き・・・?」
目の前で目を閉じた渚を見て、間違いなくクリスマスの夜、出来なかったキスの続きなのだと分かった。分かったのだが・・・。
勿論キスはしたい。こんなカエルの姿でもいいなんて奇跡だし、長い間ずっと望んで居たのだから・・・。
「ご、ごめん、渚。実は・・・・」
彼等はそろそろ冷えてきたので、部屋の中に入りソファーに座った。そしてピョンは魔女に呪いを掛けられた事。キスをしたら呪いは解けるが、人間に戻った途端、砂になって消えてしまう事を渚に話した。イゾルダには呪いを解く方法を相手に言えば、二度と人間に戻れないと言われてずっと渚に秘密にしてきたが、どうせもう人間には戻れないのだ。だとしたらちゃんと説明しておきたかった。
全てを聞き終えた渚は目に涙を浮かべた。
「どうしてそんな大事な事を今まで黙って居たの?」
「言ったら二度と元に戻られへん魔法もかけられとってな」
「もう!何って悪い魔女なの?いくら悪口を言われたからって酷すぎるわ!って、ちょっと待って?じゃあクリスマスの夜、もしキスしてたらピョンちゃん、砂になって消えてたって事?ピョンちゃん、死ぬつもりだったの?」
「そ、それは・・・・」
「もし目の前でピョンちゃんがそんな風になったら、私がどれだけ傷つくか考えなかったの?」
涙を流しながら怒っている渚に、ピョンはオロオロしながら答えた。
「あの時は(毒薬のせいで余りにも苦しんだ末に)やっと人間になれたのもあって気持ちが高揚していたと言うか。もう二度と人の姿になれないと分かってちょっと自棄になってたって言うか・・・。ホンマごめん!もうせーへんから許してくれ、渚!」
流れた涙を拭き取ると、渚はピョンの背中にそっと頬を押し当てた。
「うん。もう絶対に駄目だよ。キスできないのは寂しいけど」
「ああ。その代わり一つだけ許してくれ。遠い将来、渚が年を取って死ぬ時、その時はキスするのを許してくれへんか?そしたら一緒に逝けるから。ワイは渚のおれへん世界に未練はない。だから渚と一緒に旅立ちたいんや」
渚は潤んだ目でピョンをじっと見つめた。
「うん。死ぬ時は一緒・・・なんてロマンチックだね」
「おお。生きるも死ぬも一緒や」
それはまるで結婚の時にする誓いのようで、渚はきっとこの夜の事を一生忘れないだろうと思った。
いつもお読み頂きありがとうございます。
Dream15.クリスマスの奇跡 は今回で終了です。次は最終章 Dream16.呪われた皇子と古の魔法使い をお送りいたします。
とうとう最終章になりました。どうぞ最後までお付き合い下さい。




