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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream15.クリスマスの奇跡
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8.最期の口づけ

 渚を乗せた車がやって来たのは、ロンドンの中心街から少し外れた広大な敷地の中にあるレストランの前だった。レストランと言うより優美な邸宅で、良く手入れされた広い庭園や噴水まである。


 車はレストランの入り口前まで行けるようになっているのでそこで車が停車すると、ドアボーイが車のドアを開け、玄関扉まで渚を案内した。次に背の高い黒服の男性が誰も居ないレストラン中央の席まで案内してくれた。渚が座った席の向かい側には一人分のカトラリーと皿の用意がされていたが、まだ誰も居なかった。


“ ピョンちゃん。本当にピョンちゃんが私をここに呼んだの? ”


 いつもは一緒に来ているピョンが居ないのは少し緊張する。じっと俯いて膝の上で組んだ手を見つめていた渚は、シャラララ・・・ンという小さく金属が触れ合う音に気付いてふと顔を上げた。

 

 テーブルの側に薄い水色のフォーマルスーツを着た、背の高い青年が立っている。肩まで掛かる黄金の髪と少し浅黒い肌。ラピスラズリのような神秘的な濃い青の瞳が優しく渚を見て微笑んでいた。先ほどの金属の音は彼が左耳に付けている金のピアスの飾りが触れ合う音だったようだ。


“ 誰・・・? ”


 戸惑ったように見つめる瞳に笑いかけると、彼は少しためらった後、口を開いた。


「ナギサ・・・」


 その声は当然彼ではなかった。まるで弦楽器が弓で弦を奏でる様に滑らかで優しく響いて来る。だが渚はそれが彼なのだと直感した。


「ピョンちゃん?ピョンちゃんなの?」


 自分に気付いてくれた事が嬉しかったのか、彼はたまらなく嬉しそうな顔をすると、ボーイが引いてくれた椅子に腰掛けた。


「うん。来てくれてありがとう、ナギサ」


 いつもの関西弁ではなく、流暢なブリティッシュイングリッシュで話されると、やはり戸惑ってしまう。ピョンは日本語は関西弁しか話せないようだ。確かにこの美しい人に関西弁は似合わないだろうが・・・。


「ワインは一番いい物を頼んである。コースはナギサの好きな料理を中心にシェフに任せたが良かったか?」

「う、うん・・・」


 妙に緊張する気持ちを抑えながら渚は頷いた。

 何だろう。凄くドキドキする。この人はピョンちゃんなのに、ピョンちゃんじゃないみたいで。でもどうして人間の姿なの?これって夢じゃないよね。


 先ほどの黒服の男性が持って来たワインをテイスティングしている姿も初めてとは思えないほど様になっている。確かにピョンは知識も豊富だし、もし人間だったらどんな事でもこなせるオールラウンダーになるとは思っていたけれど・・・。


「ナギサ、乾杯しよう」


 ぼうっとしていた渚はピョンが差し出したグラスに自分のグラスを軽く当てた。さすが高級レストランの一番高級なワインだ。深い味わいと香りが舌をこの上なく満足させる。少し頬が熱くなるのを感じた。


「あの、ピョンちゃん。どうして姿が変わっているの?今日何があったの?」

「これは・・・魔法なんだ。ほんの一時だけ元に戻れるっていう。今日だけの魔法」


 嘘を付くのは気が引けたが、人間の姿で自分と会う為に毒を飲んだと知ったら、渚はびっくりして自分を責めるだろう。最悪土塊つちくれになって消えてしまうかも知れないなんて絶対に言えない。


「元にって事は、やっぱりピョンちゃんは元々人間だったんだね?」

「ああ、そう言う事になるかな。ちょっと手違いがあって長い間カエルの姿で過ごしていたけど、本当は人間だったんだ」

「ピョンちゃんったら、嘘つきだね」

「え?」

「だって以前ピョンちゃんが人間だったらどんな感じか聞いた時と全然違うんだもの」

「あ、ああ。そうだったな」


 あの時は絶対元に戻れないのに妙に夢を与えてもと思い、醜い男の姿だと答えた。それにしても渚が魔法について尋ねて来なくて良かった。しつこく聞かれたらどう答えようかと思ったが・・・。


「とにかく一時的にだから又元に戻るけど、それでもナギサは構わないか?又醜いカエルの姿に・・・」

「ピョンちゃん。私はピョンちゃんを醜いって思った事は一度もないし、私とずっと一緒に居てくれるならどんな姿でも構わない。でも例え少しの時間でも、本当のピョンちゃんに会えて嬉しいわ」

「そうか・・・」


 ピョンが嬉しそうに微笑んだ時、料理が運ばれてきた。味は渚の好みがしっかり反映されていて素晴らしかった。こんな風に人間になったピョンと2人で食事が出来るなんてまるで夢のようだ。


 最後のデザートを食べ終わったピョンはホッとしたようにナプキンで口元をぬぐった。何とかまだこの姿を保てている。いつカエルに戻るのか、あるいは土塊となって消えてしまうのか。せめてあの壁際にある大きな柱時計が12時の鐘を打つまで人間のままで居たい。せめて後もう少しだけ・・・・。


 祈るような気持ちで渚を見ると、彼女も丁度食べ終わったらしく、幸せそうな表情でピョンを見つめ返した。彼は立ち上がって渚の側まで歩いて行くと、まるで宮殿で貴婦人に接するように胸に手を当て腰をかがめた。


「レディ。僕と踊って頂けますか?」

 にっこり微笑むと渚は差し出された手を取った。

「ええ。もちろん」


 普段はテーブルが並べられている場所が今夜は彼等の為にダンスホールになっている。2人が手を取り合ってそこに立つと、流れていた音楽がダンスミュージックに変わった。


 ゆっくりとワンピースの裾を揺らして彼等は踊り始めた。初めて共にダンスをするのにまるで毎日踊っていたように踊りやすい。楽しそうに自分を見上げる渚をピョンは胸の高鳴りを覚えながら見つめた。


 彼女に触れる手や腕から渚の温かな体温が伝わってくる。ああ、ずっとずっと願っていた。この腕で君を抱きしめられたらどれだけいいだろうと。その願いが叶っただけで、あの毒薬の苦しみを乗り越えただけはあるだろう。


 実際、身体の機能が回復する度、体中をむしばむ毒に何度も殺されたのだ。ドクター・メイも苦しみもがく俺の姿に直視すら出来ず、ずっと胸に手を当てて祈り続けていた。何度目かの死の後、やっと人間として戻る事が出来た。もう二度とあの毒を飲む事は出来ないだろうと思う程辛かったが、それでも久しぶりに見た己の姿に涙が出た。


 そしてずっと望み続けてきた愛する人と同じ目線で共に過ごす事が出来た。これ以上望む事は無いはずなのに、やはり欲が出てきてしまう。このままずっと君とこうして過ごせたら・・・。


「ピョンちゃん、この曲、もしかして」

「ああ。以前アレクと行ったバーで流れていただろう?あの時本当はアレクとじゃなくて俺と踊って欲しかった。これはリベンジかな」

 

 渚はクスッと微笑んだ。


「そうだね。私もピョンちゃんと踊りたかった。今、凄く幸せよ」


 頬を染めて自分を見上げた顔が余りにもかわいらしくて、ピョンは思わず渚を抱きしめた。


「ありがとう、ナギサ。もしあの辛酸な日々がお前に会う為にあったのだとしたら、俺はそれに感謝するよ。こうやってお前に会えたんだから」


 ピョンの過ごしてきた長い長い年月を思うと、渚は涙があふれてきた。こんなに恵まれた美しい容姿の人が醜い姿になって、身分も友も国も全てを失って、誰にも相手にされず、誰からも愛されずに生きてきたのだとしたら、それはどれ程の苦汁だっただろう。


「一杯一杯辛かったね。たくさん寂しかったね。でも私はピョンちゃんがカエルに戻ってもずっと側に居る。何があっても貴方を一人にはしないわ。私はピョンちゃんが・・・・」


 ああ、私、やっと分かった。私はこの人に恋をしてるんだ。例えどんな姿でも構わないくらい。


 吸い込まれるように見つめ合った後、渚はそっと目を閉じた。ピョンも静かに顔を近づけたが、別れ際のドクター・メイの言葉を思い出し、ハッと我に返った。


ー キスは駄目よ ー


 愛する人とキスをしたら貴方の呪いはたちまち解け、貴方は人間に戻る。でもその瞬間、貴方は貴方の同胞達と同じように土塊となって、この世界から消えるでしょう。


 がっくりと肩を落として、まるですがるようにピョンはもう一度渚を抱きしめた。


「ピョンちゃん?」


 やっと出会えたのに、あんな醜いカエルの姿でも愛してくれる人を見つけたのに、呪いが解けたら死ぬしかないのか?もう二度とこの姿ではお前に会えないのに・・・。


「ナギサ。俺じゃあお前は幸せになれない。あんな小さな身体じゃお前を守ってやる事も出来ない。だからファーストキスはお前が一番好きになった人、一生一緒に生きていきたい人の為にとって置くんだ」


“ ピョンちゃん・・・ ”


 彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。でももう渚に迷いはなかった。


「私の一番はピョンちゃんだよ。私が一生一緒に生きていきたいのもピョンちゃんだけ。私はピョンちゃんが人間でもカエルでもどちらでも構わないの。だってどっちも私の大切なピョンちゃんなんだもの」

「ナギサ・・・」


 そうだ。この姿ではもう二度と渚には会えない。だったらもういいんじゃないか?どうせ2,500年前に同胞と共に尽きるはずだった命だ。もうすでに気の遠くなるような年月を生きてきた。例えキスをしなくても、この後土塊となって消えるかも知れない定めなら・・・。


 渚。お前の口づけで俺を逝かせてくれ。


 渚の頬に手をやると、彼女は微笑んで目を閉じた。


 ありがとう、渚。もう何も思い残す事は・・・・。






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