8.幸せの甘いマフィン
朝の10時を回る頃、やっとアンドルーは目を覚ました。
「いてててて・・・」
頭痛がして思わず頭に手をやりながら身体を起こすと、ピョンが彼の寝ていたソファーの前のローテーブルにちょこんと座って「よー寝とったな」と渋い顔をして言った。
結局渚を学園に送って行けなかった。でもその方が良かったのかもと思う。彼女があの門の中に消えてしまうのを見たら、泣いてしまったかも知れないからだ。
「ほんまに、よう人ん家のソファーでこんな時間まで寝れるもんや」
ピョンの嫌味に「ごめん」と言いつつ起き上がった。
「ダイニングテーブルの上にナギサが朝食を作り置きしてある。食ってから帰ったらええ」
「そうか、ありがとう」
ラップを剥がして作り置きのサンドイッチを食べながらジュースを飲む。レンジで温め直していたカップに入った見慣れないスープが出来たので、取り出してこれは何だろうと中をのぞき込んだ。
「それはミソスープや。二日酔いで飲むと旨いそうやで。二日酔いじゃなくても旨いけどな」
ピョンの言う通り塩味が効いていて、二日酔いの乾いた口に合う。それを飲みつつ「ナギサ先生、何か言ってなかった?」と控えめに聞いた。計画通りとはいえ、やはり泊まってしまったのは少々厚かましかったかも知れないと朝になって急に恥ずかしくなったのだ。
「別になんも言ってへんで。そうやなあ。アンドルーもきっと疲れているだろうから、起きるまでゆっくり寝させてあげてね、とは言ってたな」
「そうか・・・」
やっぱりナギサ先生、優しいな。そう言えば寝ている時「お休みなさい、アンドルー」と言いつつ、毛布を掛けてくれたのをうっすら覚えている。
ナギサ先生が去ってしまったら、もうこんな優しい時間も持てなくなるんだ。そう思うと又酒でも飲みたくなる。急に心が冷たくなったような気がして、空になったスープカップを見つめながらアンドルーはぽつりと言った。
「ピョン。ナギサ先生、時々はこっちに帰って来るよな」
ピョンはニヤリと笑うとダイニングテーブルまで跳ねて行った。
「お前の言う通り、別に月まで行くわけやない。それにこっちにはウィディアやマリアンヌ、ティアナもおる。まっ、ついでにお前もな。ナギサがよう言うんや。人は出会っただけで縁がある。縁があれば、必ずもう一度会えるってな。ワイ等は出おうてから何回も会ったやろ?会った分だけ縁も一杯たまっとる。そやから必ず又会えるはずやで」
何だかたまらなくなって、アンドルーは目に涙をにじませ鼻をすすった。泣いているのをピョンに見られないように俯くと、少し震える声で答えた。
「何だよ。ピョンが優しいなんて気味が悪いな」
「なんや、泣いてるんか?」
「泣くか、バカ」
「まっ、そういう事にしといたろ」
そうしてアンドルーとスティーブの休暇はそれぞれ終わりを告げ、彼等はゴードン家へと戻った。
いつも通りお迎えのジャガーに乗って戻って来たティアナの顔は冴えなかった。ルパートをぶん殴ったあの時はあまりの腹立ちさや悔しさが先に立っていたが、少し落ち着いてくると、やっぱり初恋の相手に二股を掛けられていたショックが蘇ってきて胸が辛くなる。今日に限ってアンドルーとスティーブがお休みなので、代理の運転手に当たり散らすわけにもいかなかった。
どうしてこんな嫌な目に遭わなきゃならないのかな。本当にあんな奴の事を3週間も想っていたなんて、このタイパの時代に人生の無駄遣いだったわ。
小さくため息をついて家の玄関を入ると、何故かアンドルーとスティーブの2人が満面の笑顔を向けて、執事のロックウェルと共に出迎えてくれていた。
“ 何?何なの?気味が悪いわね ”
ティアナが訝しがっていると、スティーブがニコニコして声を掛けた。
「お嬢様、お疲れでしょう。甘い物はいかがです?昨日アンドルーがナギサ先生の家まで行ってマフィンを一緒に作って来たそうですよ。美味しい紅茶を淹れてもらったので一緒にどうですか?」
「本当?ナギサ先生のマフィン?あのオレンジの?」
「今回はオレンジ以外にサワークリームとチョコチップのマフィンもあります。味見しましたが絶品でした」
アンドルーが自慢げに語る。
「勿論!勿論食べるわ!」
そう。甘い物は人を幸せにする。人生、嫌な事ばかりじゃないわ。願わくば今度はキーラとは別々の人を好きになりたいわね。
甘いマフィンを幸せそうに頬張りながら、ちょっぴり大人になったティアナであった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
Dream14.初恋は星空の下で は今回で終了です。次はDream15.クリスマスの奇跡 をお送りいたします。
あと2章で完結の予定です。(あくまで予定ですが)
どうぞ最後までお付き合い下さいね。




