7.初恋は二日で散りぬ
グランピング施設の中の寝心地のいいベッドの中で、ティアナは朝5時に目を覚ました。他のクラスメイト達は当然まだ静かに眠っている。だが今日はルパートと付き合いだして2日目なのだ。朝からしっかりと顔を洗い、髪を整えておかなければならない。
他の友人達を起こさないように、こそこそ荷物からタオルと洗顔セットの入ったポーチを取り出し、まだ薄暗い中そっとテントを出て行った。
朝食はビュッフェスタイルになっていて、中央にある大きなログ施設に用意されていた。ハンバーガー用のパテとウィンナーは焼き立てで、あちこちにトースターがあるからパンやスコーンも温められる。サラダバーやフルーツ、ヨーグルトも充実していて、飲み物もジュースや牛乳、温かいスープなど種類もたくさんあった。
ティアナは友人達とは行かず、ルパートがテントへ迎えに来るのを待つ事にした。昨日ここまで送ってくれたので、場所は覚えているだろう。だが友人達が出て行ってから30分程待っても彼は現われなかった。あまり遅くなると朝食後、荷物をまとめて出発になるので、仕方なくティアナはログハウスに向かった。
しかしそこで見たのは信じられない光景だった。昨日彼氏になったばかりのルパートがキーラと共に楽しそうにデザートを選んでいる姿だったのだ。
一気に頭に血が上ったティアナはつかつかと2人に歩み寄り、キーラの持っているトレイに乗っているデザートの皿を手で弾き飛ばした。ガシャーンと大きな音がして周りの人々のざわめきが収まり辺りがシーンとなったが、ティアナは歯を噛みしめたまま2人を睨み上げた。
こんな裏切り、絶対に許せない。
「ちょっと、何するのよ!!」
キーラの叫び声など無視してティアナはルパートに詰め寄った。
「ルパート先輩、どういう事?彼女の私を差し置いて、どうしてこの女と一緒に居るのよ!」
だがルパートは只びっくりしたように目を見開いて押し黙っている。代わりにキーラが金切り声を上げた。
「はあ?何言っているの?ルパートはね、私と付き合ってるの。昨日告白して付き合う事になったのよ!」
「昨日?昨日ですって?私だって昨日告白したわよ!」
「そんなの知らないわよ。夢でも見たんじゃないの?」
「夢じゃないわ。ねえ、ルパート先輩。昨日付き合ってって言ったら『うん、いいよ』って答えたわよね!」
たくさんの生徒達がこの騒ぎを聞きつけて遠巻きに見ている。それなのにルパートはへらへらとした笑いを浮かべた。
「2人共、そんなに怒らないで。仲良くしようよ。せっかくのキャンプだし」
「何言ってるの?仲良くなんて出来るはずないじゃない。一体どういう事なのか説明してよ」
ティアナは半分涙目で訴えた。
「だって僕と付き合いたい人は一杯居るし、だったらみんなで仲良く付き合えたら楽しいだろ?僕は僕を好きな人はみんな好きだし、平等に扱うよ?何も問題なんてないだろう?」
この発言にはティアナだけでなくキーラもあっけにとられた。
何だそれ。新しい恋愛の形とでも言うつもりか?
するとこの騒ぎを遠巻きに見ていたいつもルパートと一緒に居る友人達が、声も潜めずに話す声がティアナとキーラの耳に入った。
「あーあ。又かよ、ルパート」
「俺達の学年はみんな知っているから、誰もルパートに告ろうなんて思わないけど、下の学年は知らんわなぁ」
「有名だからね。ルパートってザルだもん」
ー ザル・・・? ー
それって来る物は拒まず、去る者は追わずって言うか、人が心を込めた告白も全部ザルみたいにすり抜けちゃう、みたいな・・・?
「ふ・・・」
「「ふざけんな────っっ!!」」
ティアナの怒りのパンチがルパートの顔面に、キーラの必殺の回し蹴りが腹に命中し、ルパートは「ぐげぼっ!」と変な奇声を上げながら、友人達が居る所まで投げ飛ばされた。
ティアナはフーッフーッと獣の様に息を切らしながら、隣でギリギリと歯を噛みしめているキーラを見上げた。目が合った2人はしばらくそのまま見つめ合っていたが、何だか急に笑いが込み上げてきて「あはははっ」と声を上げながら笑い合った。
「ねえ、あっちにあるハンバーガー、パテが絶品なの。自分で好きな野菜やソースを入れて作れるから美味しいわよ」
「いいわね。キーラも良かったらデザートを持ってきて一緒に食べない?」
彼女達はもうバカで裏切り者の男の事などすっかり忘れたように並んで歩き出した。
「そうそう。ロンドン・アイの近所にニューヨークで大人気のパンケーキの店が出来たんですって。今度行ってみない?」
「勿論行くわ。友達みんな誘って行きましょうよ」
「いいわね」
そんな会話の間もルパートは顔が赤く腫れ上がったまま倒れていたが、もはや友人達でさえ首を横に振って助け起こす者は居なかった。
昨日から山登りを続けているスティーブは今日ウェールズ北西部にある最高峰、スノードンに登頂していた。この辺りはスノードニア国立公園になっていて、1,085メートルの頂上から見る景色は正に絶景としか言いようがない。
頂上の岩場で腰を下ろすと、スティーブは下を走るスノードン登山鉄道を見ながらリュックの中から写真立てを取り出して、それに景色が見えるように向こう向きで自分の隣に置いた。
写真の中に写るのは、まだあどけなさの残る小さな少女。わずか8歳でこの世を去った彼の妹、アリーだった。生まれた時から心臓病を患い、人生のほとんどを病室で過ごした、はかない妹。
元々スティーブはアンドルーと同じ、内向的でインドア派だった。外で遊ぶより家でゲームやネット小説を読んで過ごす方が好きだったのだ。だが妹は身体が弱くて遠くに行けず、たまに病院を出られてもほとんど家か近所の公園止まりだったが、いつも遠い世界に憧れていた。
山の頂上から見る景色はどんなだろう。
果てしなく続く様な広い海原に出てみたい。
実際に見るオーロラはどれ程壮大だろう。
生命を爆発させるように火を吹く火山は、どんなに美しいだろう。
モニター越しにしか見られない風景を見て、いつもそこに行けたらと空想にふけっていた。そんな妹に何もしてやれないまま、彼女はある日あっけなく逝ってしまった。自分はもっと妹に何かしてやれたのではないだろうか。いくらしても、し切れない後悔が当時13歳だったスティーブに襲いかかった。
しばらくは何も手に付かず、学校の授業でさえもただ出席して家に帰るだけの日々が続いた。そんなスティーブの様子を心配した叔父が彼を山登りに連れて行ってくれた。それが今登っているスノードン山だ。
当時は山登りなんて疲れるし、しんどいだけだから嫌だと思って居たが、スノードンには鉄道が通っていて疲れたら乗ればいいし、一番緩いスランベリス・パスのコースはほとんど平坦な道のりなので、みなハイキングとして行っていると説得され、渋々付いて行った。
だがその頂上で見た景色はスティーブの凝り固まった考えを全て取り去って行った。
眼下に見えるあちこちに点在する濃紺の湖。周りを覆い尽くす圧倒的な緑。見上げれば何の障害もなく広がり続ける雄大な空。頂上を冷たく吹き抜ける風までも、心を洗っていく様だった。
ああ、アリーが見たかったのは、感じたかったのはこれなんだ。これからは彼女の代わりに僕が見よう。僕が感じよう。僕が経験しよう。僕の身体を通して彼女に触れてもらうんだ。
学校を卒業して一人で出歩けるようになると、スティーブは妹の写真を持って出来る限り色々な場所へ行くようになった。
妹の乗りたそうな白い大きな船に乗って海をクルージングしてみた。
山に登って山頂でサンドイッチを頬張ってみた。
川に行って鮎を釣り、それを川辺で焼いて食べた。
休暇を利用して別の国に行き、見知らぬ街を散策してみた。
経験した全てはスティーブの中に鮮明に記憶として残っている。もし俺の目で見た物がアリーに伝わってないのなら、いつか俺が彼女の所へ行った時、語って聞かせよう。俺が見て、感じて、触れた全ての記憶を・・・。
スティーブは遠くにかすむように広がる原野を見つめ、それから写真のアリーに笑いかけた。




