12.脅迫状
レストランに残ったロイスは紅茶を一口飲んだ後、デザートバイキングで取ってきたチェリータルトの残りを口に入れた。甘い物は滅多に食べないが、たまに食べるとうまいものだ。さすがに周りに居るたくさんの女子のように、全種類制覇を目指そうとは思わないが。
先ほど渚と色々話をしながら『青の群像』について探りを入れてみたが、彼女はハザードの資産に付いては何も知らないようだ。やはり彼が戻ってくるまで待つ他はないか・・・。
そんな事を考えながらふと顔を上げて、渚が座っていた席を見た。彼女が席を立ってからすでに25分が経過している。いくら何でも遅すぎるな・・・。
何となく嫌な予感がして、ロイスは店を出た。店員から聞いた一番近い化粧室に向かう。「失礼します」と声を掛けてから中へ入り、洗面台の上に散らばった化粧品を見て、一瞬で何があったか理解した。
すぐに周りを見回すと、渚の鞄が洗面台の下に落ちていたので中を確認する。残念な事に渚の携帯はそのまま残されていた。
“ くそっ、これでは追跡も出来ない ”
それにしても何故彼女が攫われた?身代金目当てでハザードの恋人を誘拐するなら、逃げ場のない船内でやるのはリスクが高い。暴行目的なら人目の多いこんな場所を選ぶのもおかしい。彼女を攫った人間は計画的だが、急ぐ理由があったと考えるのが正しいだろう。とすれば・・・。
最悪の予測に思わずため息が漏れる。狙いは俺だ。どうやらジェネプトロか、もしくは同じように隠し金庫のキーを狙う別の組織が、この船に潜り込んでいたようだ。
迂闊だった・・・。俺に関わったばかりに彼女は攫われたのだ。
踵を返すとロイスはすぐに渚達の部屋へ向かった。俺の持っているキーが狙いなら、必ず俺にコンタクトがあるはずだが、3つのキーは今ここにはない。先に手に入れた2つのキーはすでにJに渡しているし、3つめのキーの在処はハザードしか知らない。
なので、とりあえずはハザードに知らせるべきだ。彼の態度から見て渚の事を大切にしているのは間違いないし、あの男なら俺とは別の方法で渚を助ける手段は持っているはずだ。いくら決して人前に姿を現さない男と言っても、恋人の命を救う為なら必ず行動を起こすはず。
うまくいけばこの事件を利用して、ハザードから3つめのキー『青の群像』の在処を聞き出す事が出来る。
だが、その前に・・・。
「あの優しい彼女を誘拐した奴等には、地獄を見せてやらなきゃな・・・」
一方ピョンは自分を追いかけてくるバラスを翻弄しながら、船の中を飛び回っていた。そんなピョンに会う為に18階にやって来たロイスは、スイートルーム専用のキーで18階に入る為の自動ドアを開けた。スイートルーム専用の18階には、専用のキーが無いと入場出来ない事になっている。ゴーストはハザードがスイートルームに宿泊すると情報を得た際に、専用キーを入手していた。
すぐに渚達の部屋を訪れたが、当然誰も部屋には居なかった。困ったように辺りを見回した時、突然外から重低音の船の汽笛が鳴り響いた。出航の合図だ。
もし犯人が渚を外に連れ出していたら、もはや打つ手はなくなる。そうでない事を祈りつつ、再びピョンの姿を求めて足を早めた。ふと気付くと、18階に一つだけあるカフェバーの方から喧噪が聞こえて、急いでそちらに向かった。
カフェバーはオープンタイプで、乗客がいつでもドリンクやアルコールを気軽に立ち寄って飲めるようになっている。そこにピョンは全速力で向かい、一度止まる。それを捕まえようとバラスが前から飛び込んでいく。その瞬間、カエルはぴょーんと飛びはね、バラスはその向こうにある大きなゴミ箱に頭から突っ込んだ。
まだその中から抜けられず何とか頭を出したバラスのその頭の上に乗って、ピョンはゲコゲコッとカエルらしく鳴いた後、彼の頭を蹴って再びぴょーんと前へ飛び跳ねた。
そのバカにした態度に更に腹を立てながら、バラスはゴミ箱にはまったまま叫んだ。
「ロダン!何をしてるんだ!早く捕まえろ!!」
ロダンがとんでもないという風に首と両手を横に振ったので、バラスは何とかゴミ箱から這い出て、再びピョンを追いかけようとした。だが急に後ろから襟首を掴まれ「うっ!」と息を詰まらせて立ち止まった。
“ 誰だ・・・? ”
振り返ると見た事のない背の高い男が、冷ややかな目で自分を見ながら顔を近づけた。
「申し訳ありません。私はミスター・ハザードと少しお話しがありまして。このまま静かにお引き取り願えませんか?」
「うるさい!関係ない奴が首を突っ込む・・・ぐうっ!」
毒づこうとした言葉は途中で遮られた。ロイスが彼の首を更に締め付けたからだ。
「どうか、お願いしますよ」
男の言葉は丁寧だが、その声はまるで地の底から響いて来るようだ。これ以上逆らったら本当に絞め殺される。男の目はそれほど冷酷な光を纏っていた。
バラスはやっと正気に戻ったように何度も頷いた後、逃げるようにロダンと走り去って行った。
助けられたピョンはと言えば、本当はロイスに礼を言うべきなのだが、今までの経緯もあって何となく言い出しにくい。それに先ほどバラスを追い払った時の迫力は只者ではないような気がしていた。そうだ。別にこんな怪しい奴に助けてもらわなくても、自分で何とか出来たし・・・。
「ミスター・ハザード」
考え事をしていたピョンは、自分をすくい上げたロイスを驚いて見つめた。
「落ち着いて聞いて下さい。ナギサが何者かに攫われました」
「な、何?攫われたって、どういう事や」
ロイスが手短に説明すると、ピョンはすぐに自分を部屋に連れ帰るようロイスに頼んだ。部屋を開けてもらうよう連絡すると、すぐに専任のバトラーがやって来た。彼がドアを開けている最中に後ろから「ピョンちゃん」と声がして百合亜とベラがやって来た。観光を終えて戻って来たので、渚とピョンに会いに来たようだ。
「ええ所に来たな。渚が大変なんや。手伝ってくれ」
ピョンは百合亜からベラが以前、特殊部隊に所属していた事を聞いていたので協力を仰いだ。
「渚さんが・・・?何があったの?」
心配そうに聞き返す百合亜の後ろで、ベラは黙ってたたずむロイスを鋭い瞳で見つめた。
今まで彼を何度か見かけた時は何も所持して居なかったが、今は銃やら何やらを携帯しているようだ。どんなにうまくごまかしてもプロであるベラの目はごまかせない。どうやら余程大変な事が起こったらしいとベラはすぐに判断した。
部屋の中に入ったピョンは先ほどのバトラーに持って来させていたノートパソコンを机の上に置いて電源を入れるよう頼んだ。パソコンを持っていたのは百合亜だったので、彼女は急いで机の上に置き、カバーを開いた。
パソコンが立ち上がってくる間にピョンは百合亜にスーツケースの中からディスクを取りだしてもらい、立ち上がったパソコンのディスクトレイに入れさせる。
「まさか、こんな物を2回も使う事になるとはな」
ピョンが呟いた時、パソコンから『対象を特定しました』と声がし、船の立体図が表示された。
「ここは・・・船の最下層か?」
再びピョンが呟く。ロイスは渚が船の外に連れ出されてなかった事にホッと胸をなで下ろした。
それにしても彼の使用しているGPSは何だ?俺達が使っている物と遜色がない。どうやってこんな高性能な物を手に入れたんだ。軍からか?しかも渚の鞄や携帯はここにあるのに、もしかして渚の持ち物全てにGPSを付けているのか?この男・・・渚のストーカーだったのか。
「場所が分かったなら、すぐに助けに行きましょう」
百合亜が全員の顔を見ながら言った。その時ロイスの携帯が鳴ったので、彼はすぐに画面を開いた。
ー 隠し金庫の3つのキーを渡せ。さもないと女の命はない ー
予想していた文章と捕らわれている渚の写真が添付されていた。薄暗い場所で渚は後ろ手に手を縛られ、横に並んだたくさんの配管にもたれかかるように気を失っていた。
ロイスはメールの文章を見られないように写真を画面一杯に拡大して見せた。それを見て皆息を飲んだ。気を失っている渚の隣には一目見てそれと分かる爆弾が置かれていたのだ。




