2.呪われた運命を背負って
「アルティメデス!」
皇后の叫び声と共にゼルダとゴードもアルティメデスの名を叫んだ。その後、彼らは信じられない光景に言葉を失った。今まで皇子が立っていた場所に彼の姿はなく、代わりに黄緑色の大きなカエルが座っていた。訳が分からない顔で互いを見つめ合うゼルダとゴード。皇后はショックで気を失ってしまった。天井から人々が右往左往する姿を見て、イゾルダは心地よさげに笑った。
「オーッホッホッホッホ、醜いこと!お前のおごり高ぶった心と同じ姿になりおったわ。覚えておくが良い、皇子よ。その姿のお前を心の底から愛してくれる乙女がお前に口づけせぬ限り、元の姿には戻れぬ。それどころか死ぬ事さえ叶わぬ。もし正体をバラしたり心のこもらぬ口づけを強要した場合、お前は元に戻れぬばかりか、未来永劫その姿のまま、さまよい続けるだろう。さあ、死よりも辛い永遠を生きて行くが良い。昨日の言葉を後悔しながらな!」
高笑いを残してイゾルダは黒雲と共に消え去った。自分の姿が醜いカエルの姿に変わってしまった事がまだ信じられないアルティメデスは、今は巨人のようになってしまった2人の忠実な従者を見上げた。
「お、おい。ゼルダ、ゴード?」
彼等なら必ず分かってくれる。護衛としてだけでなく、ずっと友として過ごして来たのだ。だがゼルダもゴードもまるで悪魔か怪物を見るように顔を歪めた。
「カ・・・カエルが、しゃべった・・・」
ゼルダの呟きに、会場は再び大騒ぎになった。
「皇子はどこだ!皇子をお探ししろ!」
重臣の誰かが叫ぶ。
「悪魔だ!カエルに悪魔が乗り移っているぞ!」
どっと押し寄せてきた兵の間から何とか逃げ出したアルティメデスは、飛び跳ねながら必死に訴えた。
「俺はここだ!」
追ってきた兵の剣が体をかすめる。
「俺はここに居る!」
襲ってくる剣や捕まえようとする手を振り切りながら、彼は今まで自分が立っていた皇帝の一家が座る壇上を振り返った。気を失っていた母はやっと気づき、父の腕の中で「私の息子は、皇子はどこ?」と悲しい悲鳴を上げている。ゼルダとゴードはパニックに陥った人々の間をかき分けながら、アルティメデスの名を何度も呼んで彼を探していた。
「俺はここに居るんだ!」
叫びながら彼はやっと宮殿の広間から外へ飛び出した。どうして誰も分からないんだ?追っ手を振り切っても彼は止まらなかった。悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。
「俺がアルティメデス皇子だ・・・!」
カルタナの街へやってきたアルティメデスは、来る日も来る日も必死に探し回った。魔女が言った条件を叶える女性を・・・。
ー なんとしても見つけるんだ。こんな姿でも俺を愛してくれる人を・・・ ー
美しい乙女を見かける度に声をかけた。だが皆叫び声を上げた後、人を呼ばれ殺されかけた。見かけが美しいからといって心までキレイだとは限らないんだな。そんな当たり前の事にやっと気づいて、心根の優しそうな女性に声をかけても、結果は全て同じだった。噂を聞きつけた女に騙され、見世物小屋に売られた事もあった。逃走と裏切りの人生。今まで全く知らなかった世界だった。
ー 死んだ方が良かったと思うほど後悔させてやる ー
イゾルダの言葉がまだ耳の奥で鳴り響いている。恨みのこもった女の声だ。そして今日も俺は逃げ続けている。自らの民が鍬や剣を持ち、俺を殺そうと追いかけて来る。
「悪魔だ。悪魔が乗り移ってるんだ!」
「殺せ!」
「殺せ・・・!」
追われながら悔しくて、ただ悔しくて、彼は涙を流し続けた。
ー どうしてなんだ?なぜこんな事になった?誰か俺を見て。父上、母上・・・。俺はここに居るんだ・・・!! ー
カエルとしての暮らしが10年も続くと、ずいぶんその体にも慣れてきた。人に戻る望みを完全に捨てたわけではなかったが、人と関わり合っても裏切られるだけだと分かっていたので、なるべく人目に付かないように生きていた。そんなアルティメデスが久しぶりに人の行き交う通りの端を飛び跳ねていると、街角で酒樽を椅子にして酒を酌み交わしている男達の会話が耳に入った。
「近頃、お山が怒っておられるようだな」
「ああ。おいら赤い炎がお山から登るのを見たぞ」
お山というのは、宮殿からもよく見えるプロポネス山の事だ。山頂近くには太陽と月の神をあがめる為の神殿が建ち、古くから人々の信仰を集めている所だった。そういえば近頃地震が増えているのを思い出し、アルティメデスはイゾルダの事を思い出した。あの女の事だ。俺を醜いカエルの姿にしただけでは飽き足らず、この国にまで災厄を起こそうとしているのかも知れない。
カエルになってから街の情報に詳しくなっていたアルティメデスは、カルタナで有名な目の不自由な占い師の所へ行く事にした。目が見えないなら、この姿でも話が出来るはずだ。迷路のような石造りの道を通り抜けると、袋小路の奥に黒猫の絵が描かれた木の扉があった。運良く扉の下に猫用の小さなドアが付いていたのでそこから中へ入ると、薄暗い部屋の奥に黒いレースのショールを深くかぶった40過ぎの女が座っていた。
「今日は猫は居ないんだな」
「そうさね。気まぐれな子だから、どこかに遊びに行ってるよ。あんたは猫が苦手なようだね」
目は見えないが、彼女はその力で彼の姿が分かっているのだろうか、唇の端を歪めてにやりと笑った。
「魔女イゾルダの居場所を知りたい。カルゾ山を追われてからどこへ行った?」
「イゾルダ?あたしは魔女の事なんて知らないよ」
占い師は素知らぬ顔で答えた。10年前、アルティメデスが魔女の呪いによって行方不明になってから、皇帝は国中の魔女を捉えるように命じた。力の強い魔女はその追求から逃れ、他国に逃げ延びたが、それほど力の無い魔女や国外に出て暮らせるほど蓄えのない魔女は深い森に姿を隠したり、人間の占い師として生計を立てていた。
「いいや。お前は知っているはずだ。お前は占いに黒魔術を使っているだろう。つまりお前はイゾルダの仲間って事だ」
正体を見破られて彼女は思わず立ち上がった。
「勘違いするな。俺は皇帝の手先じゃない。教えてもらえれば、お前が魔女でも何でも関係ないさ」
女はじっとその見えない目でアルティメデスの方を見ていたが、敵意が無い事を察したのだろう。もう一度元の席に座り直した。
「イゾルダか。あの腐り果てた魔女。この国の皇子に決して解けない呪いをかけた。おかげであたし等はこそこそ隠れて暮らす事になっちまった。あんたがあの魔女を殺してくれるんなら、ねぐらを教えてやってもかまわないよ」
「殺してやりたいのは山々なんだが、約束は出来んな。その代わりお前にはこれをやる」
アルティメデスは背負っていた小さな袋をテーブルの上に置き、中から7枚の金貨を取り出した。それを一枚一枚テーブルの上に並べる音で、金に抜け目のない占い師の耳にはそれが非常に価値のあるものだとすぐに分かった。
「いいだろう。イゾルダはロト山の中腹にも屋敷を持っている。皇子が呪いをかけられてから息を殺すように潜んでいるよ。ただ生身の人間にはたどり着けないよ。あの女の仕掛けた罠があちこちにあるからね。あんたも行くんなら・・・」
そこで占い師は言葉を止めた。目の前にあった気配が消えたからだ。彼女は両手で金貨を集めると、一枚を鼻先に持ってきて匂いを嗅いだ。
「あれが呪われた運命を背負いし皇子・・・」