8.スパイの捜索
長い思い出話をしている間にベラは当時の事を鮮明に思い出したのか、座っていたベッドの端から立ち上がった。
「“俺に一度も勝った事が無い”だと?冗談じゃない。一度や二度は勝った事があるぞ。小型潜水艇の操船だって私の方がうまかったし、ロシアの最新鋭潜水艦の機密情報だって私が手に入れたんだ!!」
怒りで叫ぶベラを落ち着かせるように、百合亜は立ち上がると「はいはい、分かっているわ。ベラは最高の元軍人で、今は最高のボディーガードよ」と言って彼女の肩を叩いて座らせた。
「私があいつの手を忘れるはずがない。両手にいくつもの銃タコができたあの手を。あの時私の命を救ったあの手を・・・。それにどんなに顔を変えても身体からにじみ出る雰囲気や、何より背格好までは変えられないでしょ?あの男の背は3年間私が見てきたあの背中だった。絶対に見間違えるはずはない」
「ふーん?」
百合亜はニヤリと笑うと、向かいに居るベラの目を見つめた。
「3年間、ずーっと追ってきた背中ですものねぇ。それにしてもベラはSBS隊員である事を何より誇りに思ってきたのに、彼が死んだ後、しばらくしてSBSを除隊したのよね。それってやっぱり・・・彼の事を愛していたから?」
「はああ!?何言ってるの?」
びっくりして再びベラは立ち上がった。図星じゃないと思っているのに手に汗が滲んでくる。
「あいつはただの憎たらしい相棒よ!それでもってライバルってだけ。大体恋だの愛だのなんて、そんな甘っちょろい考えでSBSは務まらないわよ!」
「あら、じゃあ何故、あのロイス・バーナードって人の正体を暴きたいの?彼が生きてるって信じたいんでしょ?やっぱり愛じゃない」
「ちがーう!絶対違う!私はただ・・・ただあいつが、私達仲間まで騙していたって事が許せないだけよ。作戦の実行中に死んだなんて、みんなどんなにショックだったか。バディの私が、相棒を救えなかった私が、どんな思いであいつの葬儀に出たかなんて、あいつは考えもしなかった。それが絶対に、絶対に許せないんだ!」
やるせない思いを吐くベラを、それ以上百合亜はからかえなかった。それでも恋に敏感な女子大生はこう思うのである。
ー やっぱりそれって、愛よね ー
そして恋バナ大好きな18歳女子は7年間も片思いしている友の為に一肌脱ぐのも当然だと思った。
ー そろそろ私の出番ね。私の頭脳は先進技術だけじゃないのよ ー
動く都市・・・と言っても過言ではないオーシャン・エンパイアの三等客室。ここにあるのは2つのベッド、狭いトイレと洗面所、そして小さな窓から見える景色だけだったが、観光目的ではないギルバートとセスリーにはそれで充分だった。
今日の朝、思わぬ邪魔が入ったせいで船のスタッフから乗客名簿を奪い損ねたセスリーだったが、丁度その頃、ギルバートが別のルートからうまく名簿を手に入れていた。それで彼等はその中から一人で乗船している客を絞り出し、ある程度調査してから客室に戻って自分達が調べた事をまとめる事にした。
彼等が乗客名簿から割り出したのは4名だ。
1人は70代の老婦人で、名はメリル・コナー。ベランダ付きの二等客室で、有意義に船旅を楽しんでいるようだ。
2人目はバラス・カルロ・スタッテリオ・フォス。この船で一番値の張るアルティメット・ロイヤル・スイートの客で、ご丁寧に使用人まで同行している。まさか一週間で17,000ポンド(約339万円)もする部屋にスパイが泊まっているとは考えにくいが、それもカモフラ-ジュで使用人も仲間だと考えられない事も無い。
3人目はこれもスイートルームの乗客でナギサ・コーンウェル。スパイにしては華奢な女だが、妙なカエル型のロボットを持って船内をうろついているのは確かに怪しい。ロボットはAI搭載らしいし、近頃のスパイはAIロボットを相棒にしているかも知れないからだ。
4人目はロイス・バーナードという画商。職業以外は何も分かってはいないが、充当に考えればこの男が一番スパイの条件を満たしている。ギャラリストにしては鍛え上げられた体つきだし、これほどアトラクションの多い船に乗っているのに、部屋からあまり出て来ないようだ。
「やっぱりこいつか?ロイス・バーナード。こいつに絞って調べるか」
ギルバートが自分の調べた情報を見つつ言うと、セスリーも別の資料をめくりながら言った。
「だが、このババアも怪しいぜ。スパイだったら年寄りに変装するくらい造作も無いだろう。一番怪しくない奴が一番怪しいんだ」
「だったら後の2人も怪しい。とにかく候補が4人に減ったんだ。写真を本部に送ってこの4人を徹底的に調べさせるんだ。なぁに、時間はかからないさ」
そんなマフィアのターゲットにされそうになっているともつゆ知らず、バラスは船内のスパでサウナに入った後、マッサージを受けていた。静かに流れるリラクゼーションミュージックやハーブアロマの香る中、マッサージベッドにうつ伏せになり背中に心地よい刺激を受けていると、酒で荒れた胃腸の調子も整っていく。
たまには客船の旅も悪くはないな。そんな事を考えていると、マッサージルームの入り口からロダンが入って来て、枕元に跪いた。そう言えば俺の下の・・・そう、俺の部屋の下のクラスのスイートに泊まっている若い女の事をもっと詳しく調べて来いと言っておいたのを思い出した。確か、ナギサ・コーンウェルとか言ったな・・・。
ロダンの報告は渚の持っているカエル型ロボットに関する事だった。そのロボットの話題は乗客の間でも噂になっていたので、すぐ聞き出す事が出来た。ロボットはアルティメデス・エ・ラ・ハザードという、どこかの道楽じいさんが船旅を楽しむ為に作らせた物で、見たり聞いたりだけでなく話も出来ると言うので、それを知った乗客達がそのカエルと話したがって、朝食後、渚の周りに人だかりが出来ていたらしい。
それを聞いたバラスはマッサージをしていた女性が「きゃっ」と驚いて声を上げるのもお構いなしに「何だとお!?」と叫びつつベッドから半身を起こした。
「どおーして、あの女とカエルじじいにばかり注目が集まるんだ!女は只の教師なんだろ?それともそのハザードってじいさんが有名人なのか?」
興奮してバラスはロダンの首根っこを掴んで揺さぶった。息も絶え絶えにロダンは答えた。
「さ、さあ。それは違うと思いますが・・・」
これ以上この話題を続けると本当に首を絞められそうなので、ロダンは彼等の話をしつつも当たり障りのない話題に変えようと思った。
「それにしてもどうしてカエルなんでしょう」
「何がだ」
「だってロボットならどんな形でも可能でしょうから、もっとかわいい形にしませんか?例えば子犬とか。あんな生々しいカエルにしなくても」
「ふん!じじいが爬虫類好きなんだろう。全く趣味の悪いじいさんだ!」
カエルは爬虫類じゃなく両生類ですよ・・・等と言うと、今度は何をされるか分からない。ロダンは黙ってマッサージを再開するよう女性に合図した。




