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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream13.洋上の幽霊(ゴースト)ー Ghost on the Ocean ー
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7.ゴーストとベラの過去

 その後もピョンにはのらりくらりと会話をかわされ、結局絵画を手にする事は出来ないまま、ゴーストは渚達とレストランを後にした。素晴らしいモーニングの礼を言って去って行く渚の肩に乗っているカエルを見ながら、ゴーストは小さく鼻から息を吐いた。


 一筋縄ではいかないとは思っていたが、あのカエル・・・いや、ハザードは相当な狸のようだ。これでは多少強引な手を使わざるを得ないか・・・。


 そんな事を考えていた彼は、背後に誰かの気配を感じて思わず振り返った。白金の髪をショートボブにした女が立っている。その濃い青の瞳も勝ち気な笑みも、7年前まで良く見知っていものだった。


 彼女の名はベラ・ホートマン。ゴーストが以前所属していたSBS(英国王室海軍海兵隊の特殊舟艇(しゅうてい)部隊)の同じ中隊で、共に作戦を実行してきた仲間だった。だが当然それは7年前までの話だ。今のゴーストには当時の輝かしい戦歴も本名でさえ、全て過去の物だった。なのになぜ彼女はあの頃と同じで俺を見ているんだ?


「さすが背後の気配には敏感だな。作戦でミスをしてボートごと爆破されて死んだ・・・なんて、そんなミス。お前に限って有り得ないとずっと思っていたわ。顔や声を変えた位で私をだませるとでも?そうだろ、イアン・フューリー」


 ああ、本当にお前は凄いよ、ベラ。さすが俺と隊でトップを競っていただけはある。ここまで完璧に変装している俺を見抜くなんてな。


「どなたかとお間違いをされているのでは?私の名はロイス・バーナード。あなたの事は存じ上げませんよ、レディ」


 そのまま背を向けて去って行く男にベラは叫んだ。


「名前を捨て、過去を捨て、そして私達仲間も捨てたのか!絶対に正体を暴いてやるわ。覚悟していろ、イアン・フューリー!」


 朝食後にジムに行って軽く運動する予定だった百合亜だが、ベラが昔の仲間に会って動揺しているようなので、とりあえず部屋に一度戻る事にした。名前や顔さえも変わってしまった人間をどうして昔の仲間だと分かったのか尋ねると、彼女は「手だ」と答えた。









 ドーセット州プール海軍基地に本部を置くSBS(Special Boat Service:英国海兵隊特殊舟艇隊)はイギリス海兵隊の特殊部隊だ。隊員の選抜は全て英国海兵隊からだけ集められ、隊員達が最も過酷だったと言う、5ヶ月半に及ぶ特殊部隊選抜コースを乗り越えなければ入隊は許されない。

 2週間の予備選抜を合格した後、舟艇の操船や潜水の専門技術、潜水艇での潜入、水中工作活動だけでなく、SBSは陸上での作戦もある為、ジャングルやサバイバル近接戦闘訓練など、5ヶ月半の間、水中、水上でのありとあらゆる技能を試される。


 経験を積んだ屈強な海兵隊員でも途中で何人も脱落する。それが海兵隊員達が『ブラック・ウォーター』と恐れる地獄の訓練だ。


 それ故にSBSは世界でも有数で最も恐れられる特殊部隊の一つだと言えよう。そんな特出した技能と才能を持つ部隊に女性として初めて入隊したベラが、己の才能を高く評価するのは当然だっただろう。

 実際、彼女の実力は上層部でも評価されていたし、それ故に人一倍プライドも高かった。


 そんな彼女がイアン・フューリーと出会ったのは、SBSに入隊して4年経った頃だった。この時すでに一等スイマー、カヌー員などの資格を得て伍長に昇進していたが、別の中隊から軍曹として異動して来たのがイアンだった。当然階級は軍曹の方が上なのだが、S中隊に来たばかりの彼はベラとバディを組む事になった。


 S中隊に来る前からイアンには色々な噂が流れていて、(何処でも移動してくる人間に対しては噂が出るものである)アフガニスタンでのデルタフォース(アメリカ陸軍の対テロ特殊部隊)との共同作戦に於いて華々しい活躍をしたとか、シージャックされた石油タンカー船を奇襲し、犯人15名を制圧する作戦の立役者だったとも言われていたが、反面、個人主義で組織には向いていない人間なので、それで海洋テロ作戦などを実行する花形のM中隊を追い出されたのではないかとの事だった。


 ベラはそんな他人の陰口や中傷に左右されるのは嫌いな性分だが、自分より上官と組むのはあまり面白くなかったし、実際会ってみて気にくわない男だと思ったのは間違いなかった。

 何より無口だし、人の話は無視するし、全く協調性がない。こんな奴が良く軍曹にまでなれたものだと思ったし、自分の方が彼より遙かに優れた人間だとも確信していた。


 だから彼を超える為に今まで以上に努力した。彼の射撃の腕が突出していると聞けば、射撃練習に明け暮れ、対人の戦闘訓練にも相手が逃げ出すほど打ち込んだ。


 ある日、射撃場でいつものように的を撃ち続けていると手に痛みを感じ、撃つのを止めて手の平を見た。銃の撃ち過ぎで出来たまめが潰れて血が出ている。


ー こんなにもやって、まだあいつに勝てないなんて・・・ ー


 この間の射撃訓練でも一歩イアンの方が抜きん出ていたのだ。悔しさと情けなさでぎゅっとその傷を握り締めた時、ふと気配を感じて顔を上げた。自分の方から近づいて来た事もないあいつが、いつもの無表情な顔ですぐそこに立っている。


ー 何だ?何か命令でも下ったのか? ー


 怪訝そうな顔で自分を見ているベラにはお構いなしにイアンは近づいてくると、彼女の握りしめていた右手を両手で掴んで強引に開いた。そしてポケットから50センチくらいの包帯を取り出し、彼女の手にぐるぐると巻き付けた。その後、手を保護する用のサポーターを彼女の手にはめて、しっかりと固定した。


 その行動の間、ベラは驚きと戸惑いで身動きも出来ずにイアンのする事を見ていた。


ー 一体なに?俺には医療の知識もあると見せつけたいの?くそっ、今度はそっちの勉強もしなければいけないじゃないか・・・! ー


 呆然としているベラの右手に銃を持たせると、イアンは「これで撃ってみろ」と言った。初めて聞く彼の声は低く、それでいて美しい山の谷間を流れる清流のように軽やかにも聞こえた。

 ベラは銃を構え、3発ほど撃ってみた。確かに傷も痛くないし、銃も握りやすい。


「撃ち方に少し癖がある。それを直せば走りながら撃っても乱れなくなるだろう。だがそんなに練習するなら、俺のように左でも撃てるようにすればもっと対戦の幅が広がる」

「左でも撃てるのか?利き手と同じように?」


 驚いて尋ねるベラに、彼は両手の掌を見せた。彼の両手にはベラよりもっとたくさんの銃タコがあった。


 自分の部屋に戻ったベラは机に肘をついてさっきイアンに治療して貰った手を見つめ、ため息をついた。あいつがあんなにも出来る奴なのは、この私以上に努力してきたからだ。彼の銃タコは何度も潰れそして更に硬くなっていた。破れて血が出るなんて、私はまだまだなのだ。そう思うと腹の底から悔しさがこみ上げてくる。もっともっと努力して絶対あいつを追い抜かしてやらなければ、腹の虫が収まらない。


「今に見ていろよ、イアン・フューリー!」


 そう叫んだ後、やっぱり悔しさでベラは机の上に突っ伏した。


 それから3年間、彼らはSBSの軍人として、そしてバディとして共に作戦を実行し、成功に導いた。それらが成し遂げられたのは、相変わらず無口で何を考えているのか分からない男だが、ベラはイアンが最高の軍人である事を心の底では分かっていたからだろう。


 その頃彼等はスコットランド西部の大西洋沖にある巨大天然ガス施設を占拠したある組織を制圧せよとの命を受け、潜水艦から洋上に浮かぶ巨大な施設に奇襲作戦を行った。だが敵は施設のあちこちに爆弾を仕掛け、又犯人が当初想定されていた人数より多かった事もあって、彼らは爆薬と銃弾の洗礼を受けた。それでもその死闘を乗り越え、何とか最後に残った組織のリーダーをベラは掘削機の頂上まで追い詰めたのだ。


「お前が最後だ。観念しろ」


 ベラの言葉に振り返ったリーダーの手には爆弾のスイッチが握られていた。ベラの放った銃弾が男の胸を貫く、その一瞬前に彼はスイッチを押し、爆弾が掘削機の頂上部を吹き飛ばした。

 必死に逃げたが、爆風に巻き込まれた彼女の身体は、頂上部の鉄の橋の上から落下した。


 今まで何度も危ない目に遭ってきたが、自分が死ぬかも知れないと思った事は一度も無かった。だが今度こそ、本当に駄目なんだと分かった。目の前が真っ暗で何も見えないから・・・。


 その長くて短い死のカウントダウンの狭間で、ベラはその手を握りしめた強くて温かい何かに気付いてハッと我に返った。3年間共に命をかけて戦ってきた、そして3年間一度も笑顔を見せた事のないあいつが、唇の端をニヤリと歪めて私に言った。


「何だ。まだ俺に一度も勝った事が無いくせに、海に消えるつもりか?」






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