懺悔室に盗聴器を
「懺悔室に盗聴器を仕掛けさせてほしい」
とある教会にて刑事の男は神父に向かってそう言った。
共に影の中。教会上部の窓から向かい合う二人を分かつように日の光が差し込んでいる。
言葉も音もない、時が止まっているのかとさえ思う空間。
空気中に舞う塵だけがそれを否定している。
そこに今、僅かな音が加わった。神父が息を吸い込んだ音だ。
「お断りします。それは神のご意志と、そして人の想いを踏みにじる行為です」
それを聞いた刑事が顔を歪めた。
そしてそれは先程、刑事の要求を耳にした瞬間の神父の表情と同じものであった。
異形。まるで信じられない生き物を目にしたような。
しばしの間。無音の中に僅かな音。これは刑事が息を吐いた音だ。
「いいか、神父さん。俺は何もずっーと盗聴器をとりつけろって
頼んでいるんじゃないんだ。
ま、アンタが良いというならそれに越したことはないがな。
俺はな、どこどこのババアが盗みを働いただの
尻軽女が浮気しただの子供捨てただのそういう話に興味はないんだ。
ただ、ある男。その男がそこのクソ汚ねぇトイレの個室みたいな箱の中に入った時だけ
スイッチを入れてくれればいいんだよ」
この場所で汚い言葉を口にするのは慎んでいただきたい。
神父のその申し立てに刑事は両手を上げ、降参というように頭を振った。
「あいあい、悪かったよ神父さん。で、なんだったかな。ああ、クソッタレ野郎の話だ」
今度は神父が両手を力なく下ろし俯き、頭を軽く振った。
「いいですか刑事さん……盗聴器、それも懺悔室でなど神に背く最低の行いです」
「ああ、評判を気にしてるのなら、大丈夫。盗聴器の話はどこにも漏らさねえさ」
神父は嘘だと思った。この教会に入って来た刑事の男。
教会内の空気が変わったのは彼が盗聴器の話をしだす前だ。
酒と煙草と女、そして暴力の匂い。堕落と破滅の香水だ。
ところどころ白髪交じりの短髪。無精髭、レザージャケット。
その手首からはだらしなく薄汚れた白シャツの袖が飛び出している。
オマケにその袖には乾いた血の痕が見受けられた。
口に咥えていた爪楊枝は今は椅子の陰に隠れている。
そしてあの鋭い眼光。入ってきて早々、警察手帳を掲げていなければ
強盗と間違えていたかもしれない。
「駄目です、評判の話ではない。
相手の信頼を踏みにじる行為だと申し上げているのです」
「その相手ってのが殺人犯であってもか」
神父が視線をひび割れたタイルの床から刑事の男に向けた。
「アンタも知っているだろう? この町近辺で起きている殺人事件を。
警察は不甲斐ないだのなんだの住民から責められちゃいるが
それでも目星をつけたって訳だ」
まあ、警察がというより俺が、だがな。と刑事は付け加え、笑った。
単独行動。正式な協力願いではないようだ、と神父は思った。
「いいですか。貴方も御存じの通り、ここは小さな町です。
でも……住民は酷く病んでいる」
「ああ、連続殺人が起きるくらいだからな」
「……懺悔室には日に数人。月に百人近く訪れていることになります」
「はははっすごい! 入れ食い状態じゃねえか!」
「……もちろん、同じ人も訪れますが、中には人を殺したという者も複数名います」
「全員の住所と人相書きを頼むよ」
「口を挟まないでいただきたい」
「はははっ、悪い悪い。話を聞くのが好きだと思ってな。
たまには黙らせたくなるのかい? ベッドではどうだ? 女は?
自分のモノで口を塞いでやりたくはならないか?」
「……人を殺したというその話も、他の罪の告解も本当の話とは限らないのです」
「嘘だってのか? 教会なのに? ここは神の家だろ?
入室の際には聖書に手を置くんじゃないのか?
『おおお、神よぉ! 私は嘘をつきません!
ついたら私の首を刎ねてください!』ってな」
「そんなことはしません」
「冗談さ」
「……つまりは仮に盗聴器をつけて、その男が人を殺したと話したとしても
証拠にはならないと申し上げているのです。
まあ、あなた方警察次第ではありますがね。
私はそれが恐ろしいのです。罪なき者を陥れることになるのが」
「はぁ、だから『自分は殺人犯です』って言っている奴を知りながら
警察に協力しないのもしょうがありませんってか? ふざけるなよ」
「教会に、懺悔室に来るのは大抵、酒飲み、わかりやすく言えば飲んだくれです。
あなたのようにね。彼ら自身、嘘か本当か自分でもわかっていないと私は思います」
「おいおい、誰が飲んだくれだって? あと頼むから同じ話を繰り返さないでくれよ。
二日酔いなんだ。頭が痛くなる。嘘かもしれないから協力できないって?
そいつの話が嘘か本当かこっちが判断するよ」
「繰り返させているのは貴方です。
そしてだからその判断が当てにならないと私に言わせているのも
貴方自身のその横柄な態度のせいなのです」
神父はこれ以上話すことはないというように目を閉じ顔をやや俯かせた。
刑事は自分の顔をわしゃわしゃと撫でた。
何度かブルドックのような顔になった後、口を開いた。
「……若い女が何人も殺されてるんだ」
「ええ」
「まあ、殆どがろくでなしさ。
てめえの股から便器の中に捻り出した赤子をそのままに蓋を閉めるような」
「ええ」
「でもだからって殺されていいって話じゃねえだろ?
それでもアンタは犯人逮捕に協力できないってのか?」
「ええ」
刑事は大きく息を吐いた。怒号が飛ぶかと神父は片目を開け、やや身構えたが
刑事は視線を神父から逸らし、少し笑った。
神父がその視線を目で追うと、そこにいたのはひとりの少女だった。
二人を心配そうな顔で見つめている。
「……盗聴器はここに置いておく。使い方は、まあわかるだろう。
ここがマイクで、ほら、はははは古くて悪いな。
この町の警察だし、予算がな。でもま、カセットテープで単純な仕組みだし
あの部屋はどうせ相手からは見えやしないんだろう? じゃあ、な」
刑事は背を向け、頭を掻きながら教会から出て行った。
その背が見えなくなると少女が神父に駆け寄り、足に抱き着き、見上げた。
「おなかがすきましたか? 確かマフィンがあったはずです。
他のみんなも呼んで一緒に食べましょう」
少女はにっこりと笑った。
あれで終わりのはずがない。
神父は刑事の男に対し、しつこい野良犬のような印象を抱いていた。
こちらの答えは決まっていたが、きっとまた来るはずだ。
そう思っていたのだが、翌日も翌週も刑事は教会に来なかった。
ただ、また人が死んだ。
女だ。歪な笑みを浮かべて死んでいたという。
もしくは死んだあと、歪な笑みを浮かべたか。
神父は夜、机に置いた電気スタンドの灯りの下にある盗聴器を眺め、ため息をついた。
――コンコン
ノックの音がし、神父は椅子から立ち上がる。
ドアを開けるとそこにいたのはひとりの少年。
刑事が来た時にいた少女と同じく、神父がこの教会で面倒を見ている孤児である。
「眠れないのですか?」
少年はこくんと頷いた。幼く、それでいてどこか賢いと神父は思った。
自分は甘えても許されると理解している。一定のライン。その内側で。
神父は少年を部屋に招き入れると本棚から絵本を取り出し、読み聞かせた。
少年が欠伸をし始めると、神父はドアを開け、部屋に戻るよう優しく背中に手を添え、促す。
「ぼくもたべられちゃう?」
「……あなたはひつじさんじゃないでしょう?」
少年は絵本の内容をぼやけた脳内で反芻しているようだ。
「あなたたちは狼の子。強くたくましい子です。ほら、がおー」
「がおー」
神父と少年は顔の横に両手を構え、そして笑った。
「あれ、おもちゃだー」
少年が机の上の盗聴器を指さし、顔を綻ばせる。
神父は肯定も否定もせず微笑み、そしてドアを閉めた。
ある晩、夢を見た。教会の隅にある懺悔室の夢。
古く薄汚れた懺悔室。元々の色は茶色のはずだが雨で湿ったように黒ずみ
人が触れる部分、軽く引けばと開く簡素な取っ手の部分は特に薄汚れている。
湿気のせいだろうか、時折、中に人がいなくとも軋むような音がする。
そこまでは現実と同じ。中から声が聴こえてくるが夢ゆえに、声も文脈も滅茶苦茶だ。
年齢も性別も嘆きも怒りも全てが一塊。箱の中に収まっている。
『夫がね、夫があの女とゆるすゆるさゆるさないゆるさないゆるさない』
『ひどいひどいひどいことをしたんだ旦那旦那旦那』
『俺は悪くない悪いんです君が悪い』
『あの女あの女あの女』
『君がやったんだ君が』
『私は酷い事をしました』
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい』
『何をした何をした何をした何をしたのです?』
『私は罪を罪を罪を犯しました』
『言われたようにしてご覧大丈夫だ大丈夫』
『おおお! 神様私をお許しくださいさいさい私』
『ごめんなさいもうしませんしませんしますしません』
『ああ、神様神様かみさまかみさま』
『私がついている』
これは誰かの夢。しかし誰が見たであろうと関係ない。
誰にも話さなかった上に、そもそも話す前に
寝ぼけ眼でベッドの脇を歩く蜘蛛を見つけ、叩き殺すか殺すまいか
その思考で夢の内容は上書きされた。
蜘蛛は目で追っているうちにベッドと壁の隙間へ。もう手を伸ばしても届かない。
『はじめはうまくうまくいかなかったよやっぱりでもでも
最近はすごく調子がいいいいんだ。ははは、全部さ。生活もももも
全部上手く行ってる。頭がすっきりしてさささ酒は相変わらずだけど
すごすごく美味いんだ。勃起だってする! 女の、あの顔を思い出すとははははは!』
『先週、また女性が殺されましたね』
『あああ、ああ。ははは! うまくやった、へはははは!
二回だ。ああ、やっぱり二回だ。プレゼントだ。
膝をつかせるんだ。プレゼントをあげるから目を閉じてくれっていってな。
女は微笑む。ああ微笑むんだ。あの顔が好きだぁ。商売女だ。
だからなちょうど骨の前、すれすれに刃を走らせるんだ。ああ、斧だ。斧は最高だ。
女の喉があそこみてえにパックリ裂け、赤い、赤が零れだすんだ。
さささ最高さ。興奮する。何回もセンズリこいたさ。
ひひはははは! ああ、でも後の話さ。すぐに二回目を入れなきゃ
女の顔が歪んじまう。あの幸せそうな顔……ああ、いい。良いことした気になるんだぁ』
「……アンタはやっぱり聞き上手だな」
カセットテープを止めた刑事が顔を上げ、神父を見上げた。
神父は教会の長椅子に座る刑事を無表情で見下ろしていたが、くるりと背を向けた。
「……彼の住所はその紙に。臆病で心の弱い男です。どうか手柔らかに。
さ、どうぞもう行ってください。そしてもうここには来ないでいただきたい」
「嫌われたもんだなぁ俺も。教会ってのは誰でも受け入れてくれると思ってたがね」
「親に隠れて子供に近づこうとすればそうなりますよ」
「親、ね」
「ええ、親ですとも。この教会で預かっている子は全て私と神の子です。
……何人かの子供におもちゃだと言って盗聴器を持たせようとしましたね」
「ははは、悪かったよ。ただ本気だったのさ。ま、これで前の殺しは捕まりそうだな」
「ええ。町が静かになる事を願ってますよ」
「なるといいがな……」
「もう、協力はしませんよ。どんな犯罪であっても」
「ああ、残念だ……。それはそうと神父さん。この町に来て長いのか?」
「まあ、そこそこですかね十年経ったか経ってないか」
「以前はどこに?」
「方々に」
「オックスフィールド、もしくはオームドランドには?」
「さあ、行ったかもしれません」
「その境目辺りにある町とかさ」
「さあ、どうでしょう」
「そこでも昔、事件があったってな」
「そうですか」
「殺されたのは言わばアバズレ共だな。この町の被害者同様。子供を捨てた女共さ。
まあ、全員じゃないがな。でも笑顔を浮かべてたってよ。生首でな」
「そうですか」
「はははは、アンタはやっぱり聞き上手だな。
訊かれてもないのにベラベラ喋りたくなるよ。
いや、もっとそう、話させ上手かな? 人の行動を誘導するのも上手そうだ。
それに比べて俺は下手糞だな。子供もお願いを聞いちゃくれなかったしなぁ。
この顔だし、全然懐かねえよ。アンタみたいにイイ男だったらなぁ」
「そうでもありませんよ」
「ご謙遜だな。影があって素敵だって噂だぜ?
アンタの話をする町の女どもの顔。
幸せそうでなぁ、殺された女もそんな顔をしてたかな?」
「さあ、想像もできないですね」
「アンタの影には何があるんだろうな」
「……入ってみますか? 懺悔室に。聞けるかもしれませよ」
「ふ、ふはははは! やめとくよ。暗くて狭いところは苦手でなぁ。
閉じ込められたらと思うと震えちまうよ。
それも夜中に呼び出され、閉じ込められたりなんかしたら叫んじまう。
そしたら子供が怯えて起きちまうかもな」
「貴方ならそうはならないように思えますけどね」
「まあな。と、もう行くよ。犯人に逃げられたら事だしな。じゃあな。また来るよ」
神父は黙ったまま刑事の男の背を目で追った。
少年が一人、物陰から出て来て足に抱き着く。
神父はにっこり笑い、その背にそっと手を置く。
そして懺悔室の中へ入るよう促した。