となりの整骨院
もう我慢できない!
あのお隣さん。三年まえから毎日玄関先に立っている、あのお隣さん。もったいない精神にあふれていたお隣さん。
でも、知りあいを疑るなんて。おせわになったあの女を……そんなふうにみてしまったなんて。
でも、もう限界だ。
我慢できない!
朝九時。
F(仮名)は、隣りの玄関先に立っていた。
バイトの時間だったが、もうどーしよーもない。衝動が勝って、遅刻を決意する。
「たのもー!」
おとなりの整骨院に、Fはさけんだ。二十三才の男が、朝っぱらからいかにもあやしい。
でも。どーしても我慢できない。
「はいはい」
整骨院の院長が出てきた。てっぺんの禿げた、白髪のおじいさん。としは七十才くらい。よれよれのセーターに、しわだらけのスラックス。しみのついた白衣をつけている。
「これのことなんですけど!」
Fは玄関先に立っているガイコツの標本を指さした。
学校の理科室に置いてあるようなやつだ。Fがこの町に越してきたとき――幼稚園のころから、この個人病院の前に立っている。幼いときに、夜、親と歩いていて、ガイコツにビックリしておもらししたことがあるのは秘密だ。
Fは院長に言った。
「三代目ですよね」
「うん。よくわかったね」
「三年くらい前に、代替えしましたよねっ」
「うん」
院長先生は感心した声でうなずいた。
病院は十時からだからだろうか。先生はFにのんびり、それからの質問にも応じてくれる。
「先生。まえまで二人で病院やってましたよね」
「うん」
「でも、十年前に奥さん行方不明になってから、ひとりなんですよね」
「うん」
「で。三年前、『もうみつからない』ってんで、奥さん『死亡』あつかいになったんですよね」
「七年でそうなっちゃうからね」
「でも、ほんとは居ますよね」
「どこに?」
「ここに」
Fは玄関先に立っているガイコツを指さした。
ずっとずっと、三年も「自分の妄想じゃないか?」と我慢していた想いをぶっつける。
「院内に展示してある『寄贈品です。寄付を考えているかたは、参考にどうぞ』っていうウィッグも、奥さんの毛ですよねっ」
「なんでそーなるの」
「だーかーらー」
Fは砂を嚙む思いがして、「だあーっ!」と自分の頭をかきむしった。
「先生は十年前に、奥さんを殺したんですよ。食べちゃったんです。けど、おれたち近所の住人は、先生たちが仲よしなのよく知ってたし、まさか先生がそんなことするなんて思ってもみないから、本気で奥さんがいきなり『消えた』って思った。誘拐とか、なんなら自殺かもってウワサも立った!」
「あっはっはっはっ」
「笑いごとじゃないっすよー」
「それで?」
「肉とか脳とか内臓は、まあもう先生の血肉です。でも、髪と骨は残った。それをさっき言ったみたいに、模型やかつらにして、先生はいつも通り院内にかざっていた。前からあったのと交代したんすよ。――ああっ。どうしてもっと早くに訊くことができなかったんだろう」
「よくわかったね。警察も気づかなかったのに」
「毎日みてますからね。おれは」
院長先生は、にこりともせず言った。
住宅街の道路を歩いているひとたちは、朝っぱらから大声でわめいているFを、一回だけびっくりした風に見る。それからすぐに、手元のスマホに意識をもどす。
「やっぱり、おれの考えは合ってたんですね」
Fは「ふーっ」と肩からちからを抜いた。
「すっきりしたからもういいです。じゃあ、おれはバイトあるんで」
「通報しないのかい」
「自首をおすすめします。にしても殺した後もいっしょにいるだなんて、やっぱり仲はよかったんですね」
「そこまでの愛はないよ。骨や髪を置いていたのは――あえて言うなら、『癖』かな」
「クセですか?」
院長先生は、「きみも若いよなあ」と言って微笑んだ。
「『もったいない精神』だよ。きみい」
※このものがたりはフィクションです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
読んでくれたかたや、感想や誤字脱字の報告を書いてくださったかたがた、ありがとうございました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――