『生首と一緒に』
宙を飛ぶ彼女の生首は、驚いた表情で髪をなびかせながらクルクルと舞う。
ハシモトは弧を描く生首を目で追い、ゴトッと音を立てて床にそれが落ちた後も、呆然と生首を眺めていた。
目を見開いた彼女の顔は、ハシモトの目に焦点が合うことは無い。
その違和感に気付いたハシモトは、やっと「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
グチャグチャ・・・グチャ――
首が飛んでいた方向から、異様な音がする。
ハシモトが振り返ると、首の無くなった彼女の胴体が血溜まりの中心で横たわっていた。そして―――
「俊ーーーッ!!!やめろーーーーーーーーッ!!!!」
喉が張り裂けんばかりに、ハシモトは泣きながら叫んだ。
先ほどまで苦しみ、のたうち回っていた息子が、無我夢中で首のない母親の腹を貪り食っていたのだ。
吹きあがる血。
散乱する臓器。
痙攣する彼女の体。
俊はなかなか切れない内臓の膜に歯を立て、力任せに体をのけぞらせ嚙みちぎっていた。
俺は思わず手で口を塞いだ。
んだよ・・・
なんだよ、これは・・・!!!―――
「オエッ」
嗚咽が込み上げる。
ここまで凄惨だとは思ってもみなかった。
ただ残酷なだけじゃない。
ハシモトに渡された写真がフラッシュバックする。
大きな木の下でニコニコと笑う奥さん。
元気で性格の良さそうな息子。
しかし今や、首無し死体と母親を食うバケモノになっている。
「止めろ!!止めてくれ!!!」
ハシモトが俊の元へ駆け出す。
あれ。
何かが違っていた。先ほどまでの俊の様子とは何かが違う。
俊の腕を握り、ハシモトは妻の死体から引き剥がそうとする。
「ウウウウウウウウウウ・・・」
俊から獣のような唸り声がする。
「俊!目を覚ませ!!止めてくれ!!お願いだ、もう止めろ!!!!」
「ウウウウウウウウッ!!」
「うあっ!!」
凄まじい力で振り払われたはハシモトは、背中から床に叩きつけられた。
!!!!!!!!
違和感の正体に気付いた。
やっと死体から顔を上げた彼。彼の顔は、ほとんど口だけのバケモノとなっていた。目は小さく衰退し、ギョロギョロとどこに焦点を合わせているのか分からない。
極めつけはその腕だ。
手のひらは無くなり、腕が歪な刃物のように変形していた。
その腕には、べっとりと赤黒い血がへばりついていた。
そうだ、この腕で、母親の首を掻っ切ったのだ。
その顔を見たハシモトは、尻もちをついたままじりじりと下がっていく。
「・・・し、俊・・・?俊・・・・なのか・・・」
バケモノは後退していくハシモトに低い声で唸ると、また死体に顔を埋めて食事に戻った。
「あぁ・・・・・ああっ・・・・!!!」
ハシモトはやっとの思いで立ち上がると、駆け出した。
ゴンッ
カメラが大きく揺れる。
映し出された映像の先には、こけたハシモトが映っていた。
どうやらカメラにつまずいたようだ。
ハシモトが振り返り、カメラと目が合う。
血の気がなくなった、絶望の目。
その顔で何かを思いつ他のか、立ち上がりカメラを乱暴にひったくると走って玄関の外へと飛び出した。
画面が暗転する。
映像はここで終わっていた。
「・・・・・・・・・ハシモト――」
俺はぽつんと呟いた。
この悲惨な光景を目の前で見ていて、平気なはずがない。
しかし俺の知るハシモトから、そんな哀愁は微塵も感じない。
その時、部屋の扉が開いた。
「どうだった」
ハシモトだ。
いつもの強面で禿げたハシモトだ。
その姿を見て、何故かほっとする。
「お前の面見て安心したのは初めてだよ」
あえてここは冗談を言う。
俺は同情されるが嫌いだが、するのも嫌いだ。
ハシモトがふっと笑みを零す。
「情けなかっただろう、ビデオの俺は」
ハシモトは暗転したテレビの画面に目をやる。
「酷い父親だな。思わず逃げてしまった。妻も、息子も助けずにな」
ハシモトの自虐。
それを俺は鼻で笑う。
「あぁ、情けなかったな。見ててせいせいしたよ」
「ふんっ。貴様に見せて正解だったようだな」
ハシモトは心なしか安堵したようだった。
「お前なら最後まで見てくれると思っていたよ。この映像は人に見せたことがなかった。俺自身も見返したことは無い。俺には少し刺激が強くてな」
「息子が妻を食う映像なんて、誰も見返したいと思わねえよ」
俺はベッドから立ち上がり、CDデッキの元へしゃがみ込む。
ボタンを押し、CDを取り出しながら続ける。
「でも人間があんなバケモノになるなんて聞いたことない。もしあれが本当なら何故みんな知らない?」
「あぁ、俺も情報を得るのに一苦労した」
CDをケースに直す。
ケースの蓋がしっかりしまったのを確認し、ハシモトへ渡した。
「だからあれは夢なのかと思ったよ。夢だと思いだかった。だがな、一人の古い親友に政治家が居る。そいつが真実を教えてくれたんだ」
ハシモトは俺に顔を近づけると、より一層声を小さくし、真剣な眼差しで俺の目を見据えた。
「これは誰にも言っちゃならん。国家機密情報だ。もしバレたら俺もお前もどうなるか分からん。絶対黙っていてくれ」
「――分かった」
俺は大きく頷いた。
ハシモトもそれをみて頷き返すと、ゆっくりと口を開いた。
「あのラッパの音には、人間を変異させる力がある」