『ハシモトの過去』
第3話 『ハシモトの過去』
「は?ちょっと待てよ。今なんて言った?」
「俺の息子を殺してほしいと言ったんだ」
どうやら聞き間違いではない。ハシモトの目はいたって真剣で、冗談を言っているようではなかった。
ハシモトが俺の手に握られた写真を指さす。
「ほら、これが妻、これが息子」
言われる通りハシモトの指先に目を落とすと、指の先には優しく微笑む女性と、俺と同い年くらいの凛々しい顔をした男の子が映っていた。
女性は美人とは言えないが、笑顔が何とも可愛らしく、優しそうなのが伝わって来る。
男の子の方は顔がハシモトに似ていた。
眉がキリッとして、体もほっそりとしている。ただ笑顔が素敵な所は母親譲りなのだろう。はにかみ笑顔がなんとも爽やかでモテそうな雰囲気が漂っている。
その隣には、ぎこちなく口角を上げる、まだハゲていないハシモトの姿があった。
髪の毛をで横に流し、ワックスで固めている。もうしかしたらもうハゲ始めているのかもしれない。
笑顔はぎこちないが、誰が見ても幸せそうだと分かる表情をしていた。
青空をバックに、大きな木の根元でみんな笑顔でピースしている。何とも仲睦まじそうな写真だ。
それなのになぜ?なぜハシモトはこの男の子を殺せと言うのだ。
「息子の名前は俊しゅん。とても優しい子でね。家では妻に出来るだけ楽をさせようと家事を一生懸命頑張っていた」
ハシモトの声が朗らかだ。
目を見ると、遠い昔を思い出すように写真を優しそうに見つめていた。
しかし突然、その瞳に暗い光が帯びた。
「ただあいつが来てから全てが変わった」
「!!」
その瞬間、俺の体に強い衝撃が加わった。
ハシモトが俺の両肩をこれでもかと言わんばかりに強く握りしめていた。
「おい!離せ!離せってば―」
「ラッパ吹きのせいで全てが失われた!」
ハシモトの叫び声に俺は思わずひっと声を上げ、ハシモトの顔を見た。
息を上げたハシモトの目は血走り、俺が今何を言ったところで聞く耳を持たないのは明らかだった。
「息子が何をしたって言うんだ!なんで息子があんな目に合わなければならないのだ!」
ハシモトは俺を強く揺さぶり、叫び続ける。
俺はただ何もできず、ハシモトにされるがまま人形のようになっていた。
「俺が息子の代わりになりたかった。俊が、どうして・・・」
そう言って俺の肩を掴むハシモトの手は緩んだ。
ハシモトは苦しそうに俺から離れると、元の位置に座りなおした。
肩が小刻みに震えている。
顔は見えないが、泣いているのだろうか。
俺はただただ、ハシモトの様子を伺うことしかできなかった。
こういう時どうしたらいいか分からない。
今までまともに人と関わってこなかった。
普通に生きていれば、みんなこういう時どう声を掛ければいいのか分かるのだろうか。
ハシモトは俺が何かするまでもなく、自分で天を仰いで深呼吸を始めた。
「すまない、取り乱した。あまりにも理不尽な事が起こってな。本当に神がいるのなら殴り殺してやりたいくらいだ」
ハシモトはそう言って鼻で笑った。
「俺と妻がベランダでラッパ吹きを見ている最中に、息子はちょうど部活から帰って来た。外で何が起きているか気付いていなかった」
顔を上げたハシモトは手元に置いていたリモコンに手を伸ばした。
「少々見ずらいが、この先の動画を観れば、俺たちに何が起こったか分かる」
ハシモトは俺にリモコンを差し出した。
「一緒には観ないのか?」
俺はリモコンとハシモトの顔を見比べた。
ハシモトは首を振る。
「俺にこれを観る気力は無い。言っておくが、凄惨な現場が映る。ガイジン、お前なら大丈夫だろう」
俺は無言でリモコンをハシモトから受け取った。
ハシモトは何か決意したのか、俺に確認をしたのか、1度力強く頷くと立ち上がり、部屋を出て行った。
残されたのは俺と、ラッパ吹きが静止しているテレビだけ。
無機質なラッパ吹の仮面。
目なんて見えないのに、静止しているラッパ吹きは早くラッパを吹かせてくれと言わんばりにこっちを見ているような気がした。
俺は意を決し、リモコンをテレビに向けた。