『イオの黙示録』
「ラッパ吹きはまた来る」
その言葉は、俺とハシモト、2人の間に静かに沈み込んだ。
俺は咄嗟に言葉の意味を理解できず、眉をしかめた。
また、来る?
『パーーーーーーッ パパパーッ』
突然のラッパの音に思わず体が跳ねた。
音の方を見ると流しっぱなしになっていたビデオの音だった。
テレビの中で、ラッパ吹きが高らかにラッパを吹き鳴らしている。
人間の腕で出来た大きな羽で空中を羽ばたき、その動きに合わせてシルクでできた服が柔らかく空中で翻る。
様子だけ見れば、確かに天使と見誤るかもしれない。
逆三角形の配置で空いた穴。口があるであろう箇所に空いた穴に、ラッパ吹きは吹き口を差し込んで吹いている。
バク バク バク バク
自分の鼓動が、骨を通して自分の耳に届てきた。
いつの間にか手は握りしめられ、手のひらに爪が食い込んでいた。
ゆっくりと手を開くと、手のひらは汗ぐっしょりと濡れていた。
俺は怯えているのだろうか。このラッパ吹きに。
十数年前、ハシモトだけでなく大勢の人間がこのラッパ吹きを自分の目で目撃したはずだ。
彼らは怖くなかったのだろうか。
怖くないはずがない。このラッパの音の後起った事を想像すれば尚更だ。
俺はきっと、こんな奴が目の前に現れたら動けなくなってしまう。
テレビが静止した。
ハシモトがビデオを止めたのだ。
リモコンをテレビに向け、テレビの中で静止するラッパ吹きを凝視していた。
「こいつが現れた理由にはいくつか説が唱えられていてな。遺伝子操作が神の逆鱗に触れただとか、神が蘇る為の儀式だとか、人類選別の時だとか、そりゃもう色々だ。ただ、唯一の共通点がある」
ハシモトはベッドから立ち上がると、ベッドの奥の方へ手を伸ばした。
そんなところにあったのかというほど電子機器に埋もれた本棚から、ハシモトは聖書を取り出した。
そのまま俺に表紙を見せる。
女性が死にかけている男性を胸に抱え、泣き叫んでいる絵。
どのような場面かは知らないが、趣味が悪い。
大勢の人間が信仰する宗教の聖書がこんなものでいいのだろうか。
俺なら元気の出るような聖書の方がいい。
例えば神の力でそこらの石ころが金になるとか、パンの一かけらが御馳走に変わるだとか、筋肉隆々になってどんな物も持ち上げられるようになるだとか。
そういうしょうもない妄想をしている間にも、ハシモトは淡々と話しを続ける。
「知っての通り、『黙示録のラッパ吹き』の名称はこの聖書から取られたものだ」
そう言ってハシモトは聖書をめくった。
見ると、数か所に付箋が挟んであるようだった。その内の一つを、ハシモトは開いて読み上げた。
『その男は、フラターラの足にしがみついてこう言った。
「私の家族は、私の留守の隙を狙った強盗により、みんな殺されました。
セヌスもビビアンナもディオールも、たった一歳にも満たないエリオスも。
一人残さず、6人とも殺されたのです。
あなたが本当に神なら、なぜ、悪気なく人間を殺める人々をお見過ごしになられ
るのですか」
フラターラはしゃがみ込み、涙を拭う男の肩を叩いて慰めた。
「私は人間を信じていましたが、あなたに起こった出来事は、あまりにも惨く耐
え難い。
私はあなたと、あなたの家族の為に彼らに制裁を加えることを約束します。
殺されたあなたの家族があちらの世界で平穏に暮らせるように」
フラターラは立ち上がると、杖を頭上に振りかざし、大きく3度弧を描いた。
たちまち空には曇天が広がり、神の御使いが天から舞い降りて来た。
ラッパ吹きがラッパを吹くと、雹と火が地上に降り注ぎ、世界の3分の1の木と
3分の1の人間がいなくなった。
それらの出来事を見ていた人々は酷く怯え、フラターラが真の神であることを疑
わなくなった。
しかしフラターラはまだ怒っていた。
「今のは一人分である」
すると今度は、先ほどとはまた別の御使いが天から降りてきてラッパを吹いた。
今度は火山が地響きを鳴らし、大きな噴火をもたらした。
火や岩石が地上を襲い、また人間の3分の1が亡くなり、海に落ちた火の岩石は海
を3分の1干上がらせた。
フラターラは男とその家族の為に、制裁を繰り返したのであった』
ハシモトは聖書を閉じた。
「『イオの黙示録』に記載されている物語だ」
ハシモトは閉じた聖書に視線を落としたまま、思考にふけるように黙り込んだ。
『黙示録のラッパ吹き』の出来事が聖書に描かれているものと似ているとは聞いていたが、まさかここまで一緒だとは。
そこで気付きたくなかったことに気付いてしまった。
嫌な冷たい汗が背筋を伝う。
もし現実に起きている事が聖書の内容と一緒だとすると・・・
「ラッパ吹きはまた来る」
ハシモトはまた呟いた。
心臓がドクンと波打つ。
ハシモトが続ける。
「みんなあまり口にしたがらないが、聖書と現実で起きている出来事は一致している。仮にそれが本当だとすると、また別のラッパ吹きがやってきて、災いをもたらす。俺がさっき、どの説にも共通点があると言った。それは聖書の通りの出来事が起こっているということ。すなわち、再度天災が引き起こされると言う点はどれも一致しているんだ」
「でも偶然の可能性だってある」
ハシモトは怪訝そうな顔でこちらを見た。
慌てて俺は付け足す。
「それに、神様ってそんなに残酷なことするのか?聞いてる様子じゃあ家族を強盗に殺された男の為にやってるんだろ?何でそんなに大勢殺す必要があるんだよ。支離滅裂じゃないか」
勢いよく話終えた俺は、息継ぎのタイミングを失ったせいか、口の中はカラカラに渇いてしまっていた。
ははは・・・。
これじゃあガキが怖がって言い訳してるみたいじゃねえか。情けない。
「お前も死に急ぎって訳じゃないみたいだな。それなら信用できる」
ハシモトはズボンのポケットから財布を取り出すと、その中から1枚の紙きれを取り出した。
写真だ。
ハシモトは俺にその写真を差し出すと、衝撃の一言を放った。
「俺の息子を殺してくれ」