94.モーニングコール
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朝日に照らされる光景は、素直に美しいと思えた。
遮られない太陽の光。澄み切った朝の空気。身体中に染み込むような清廉さは、まるで精霊の御許にいるかのよう。
かつての人々が、天に近い場所に精霊がいると思ったのも納得がいく。まさしくここは、当時の光景とほとんど変わらないのだろう。
こんな状況でなければ存分に味わえた雰囲気も、今は張り詰めるような緊張感に包まれている。普段通りなのは、唯一先に進むエルドだけ。
離れないよう共に踏み出す足に続く者はいない。正確には続く獣か。この朝日の中でゼニスの姿を直視したら、それこそ眩しすぎて目を開けられなかっただろう。
臆することなく進む足は、広場に出て少ししたところで止まる。
前から、後ろから。そして横からも。
建物の裏から出てきた陰は足音荒くディアンたちを囲み、美しい静寂は一瞬で壊されていく。
数にして二十はいるだろう。想定より少なく思えるのは、拠点で休んでいる者が多いからか。
坂を駆け上がっていく後ろ姿は、その仲間たちを呼びに行っているのだろう。理解しながら止めることなく、見渡した男たちの表情は硬い。
「ま、待てっ!」
張り上げた声こそ大きいが、その震えは誤魔化せない。ダガンの命令に従っているが、実際は対峙したくないだろう。
教会の、それも幹部クラスとやり合おうなんてどんな馬鹿でも考えない。それが普通。それが当たり前。
「そ、そそそそそいつは! ギルドが指名手配している! おっ、おとなしく! 身柄を引き渡せ!」
声は裏返り、突きつけている武器もひどく揺れている。襲いかかられたって余裕で避けられそうだ。
強硬手段はお互いに避けたいところだが、ダガンにも逆らえず教会にも対峙できない彼らの境遇も少しだけ理解する。だが、同情はしない。彼らの苦悩は、あの男の元を離れれば終わる。あとは彼らがいつ見切りを付けるかだ。
とはいえ、今はまだその時ではないらしく。じりじりと距離を詰める男たちに対し、エルドからは軽い溜め息が一つ。
「緊急手配者の確保は、こちらにも協力申請が来ている。既に一緒にいる以上、お前たちに渡す理由はない」
「う、うるさい! 庇うつもりか! 教会のくせに!」
何とかしてここに引き留めようとしているのだろうが、言っていることは支離滅裂だ。
焦るのも無理はない。教会が先に確保していた場合、報奨金はもらえないことなる。
情報を先に渡していたとしても、身柄を捕らえていたならそれも無価値。ダガンたちが金を手に入れるためには、やはりエルドからディアンを奪うしかない。
そのうえでギルドへ連絡し、教会の妨害を退け、引き渡す。……逆の立場で考えれば、絶対にしたくないしできない。
まだ理解があるなら、少し説得すれば早々に見限り逃げただろう。だが、今回の目的はダガンもろとも彼らを処罰すること。なら、逃げる数は少ない方がいい。
「ダガンの兄貴はまだかよ!?」
「今起こしにいってる!」
声を潜めているつもりだろうが、残念ながら丸聞こえだ。あんなに飲ませるからだとか、朝はなかなか起きないのにとか、苦労が知れる言葉も全て筒抜け。
何人かは既に逃げたがっているが、なにがそこまでダガンへ従わせるのだろう。ディアンが知らぬだけで人望はあるのか。……単に、長いものに巻かれたいだけにも思う。
多少辛抱してもうまみがあるからこそ我慢できるが、そうでなければ従おうとは思わない。そして、その時はもうすぐそこまで来ている。
「すぐにでもダガンの兄貴が来る! 昨日は油断したかもしれないが、今日はそうはいかないぞ!」
「そうだ、五体満足で帰りたいなら今のうちだぞ!」
「……あくまでも、手を出すのはあの男ってことか」
それはそうかとエルドが頷き、ディアンも同意する。
そもそも引き留めるよう指示しているのも、ディアンを捕まえるよう命令しているのもダガンだ。彼らは比較的まともであるなら、できるのはあの男が来るまでの足止め。
エルドが教会の幹部であると理解して襲うのは、どんな理由であろうと教会……そして、聖国への対抗として捉えられる。
聖国の敵は、すなわち精霊の敵。恩恵を賜っている以上、敵対すればどんな目に遭うか普通は理解できるのだ。
そう、普通は。普通だったら。
「そう慌てなくてもいい。もうすぐ来るはずだからな」
「はぁ!?」
なんでお前がこっちを励ましているんだと、そう声を出したくなる気持ちも分かる。まさかその展開を望んでいるなんて彼らは思いもしていないだろう。
そう、目的はダガンがエルドに襲いかかり、それを教会含め多数の人間が視認。そして物的証拠も確保すること。あの男がここに来なければそもそもこの作戦は始まらないのだ。
やけ酒で起きてこないのは想定済み。ならば起こしてやればいいだけの話。
打ち合わせではゼニスが騒ぎを起こし、ダガンを怒らせ、ここまで誘導するという流れのはずだ。今ごろ食事処で一暴れしていることだろう。
既にひどい状況とはいえ、あまり中を荒らしてほしくはないが……奴をここまで連れてくるには仕方ない。
「おい、先に情報流してこい! 最悪はそれだけもらって、俺らだけでも……!」
「あー、ギルドへの連絡か? そいつはやめた方がいい」
捕まえられずとも、ディアンの所在を知らせるだけでも相当の金が手に入る。彼らの中では、もうダガンを見捨てる段階まで来ているらしい。
仲間割れは構わないが、居場所がばれるのはまずいと焦る間もなく、間延びした声が男たちを止める。
「いや、そもそもできないか」
「なにを言っ――」
喚く声が消える。否、それは周囲の音ごとだ。目の前が薄い白に覆われたのは、エルドによって障壁が張られたから。
そして、そこに若干の黒が混ざったのは、小屋が爆発したからだ。
……爆発、したからだ?
「えっ」
「おう、タイミング完璧だったな」
ご苦労さん、と声をかけているのはディアンにではなく足元にいるゼニスに対してだ。いつ帰ってきたのか全然気付かなかった、というかそっちに意識を向けている場合ではない。
ギルドと書かれた看板が衝撃で傾き、吹っ飛んだ屋根の一部がバラバラと地面に落ちてくる。そう、吹っ飛んだのだ。すぐ近くにあったギルドの拠点が、文字通り。
全貌は無事だが、内部は凄まじいことになっているだろう。
吹っ飛んだ窓から見えるのは、散乱する書類とあられもない姿になった家具たち。まだ営業前なので人はいないとしたって、こんなの想定外だ!
障壁のおかげで爆風もなければ爆音もないが、外にいる男たちの反応から相当のものだったことが知れる。
……いや、それにしては少々反応が大きすぎる。
誰も彼もが耳を塞いでのたうち回り、なんなら一部は気絶している。直撃しているならまだしも距離は離れているし、爆発音だって数秒だ。
なのに、なぜこんなに暴れ回っているのか。そもそもなぜギルドが爆発したのか。ダガンたちが根城にしている食事処で暴れていたはずのゼニスが、どうしてもうここに戻ってきているのか。
全くもって、さっぱりわからない!
「あとどれぐらいだと思う?」
「わふ」
「あー……そんなもんか」
「……あの、諸々突っ込みたいんですが……?」
当事者のはずなのに放置しないでほしいと、さすがに抗議すれば肩をすくめられる有様。
「あの男のところで暴れたら、それこそ店が壊されちまうだろ。酒で潰されたならそれなりの強硬手段が必要だ。で、同時に中央ギルドへの伝達を防ぐ必要もある。掛け合わせた結果、こうなった」
カランカランと、建物の一部だったなにかが転がってくる。
どこか哀愁漂うが、周囲は変わらず阿鼻叫喚。陸に打ち上げられた魚のごとく、どいつもこいつものたうち回っている。
「……こう、なりますか……?」
「ギルドの支部、それも教会の指定地なら交信石が置かれている。それも一定の規定を超えたものがな。んで、アレには稼働に伴い複雑な魔術が幾つも組み込まれている。設置もそうだが、撤去も慎重に行わないとあそこまでとは言わないが悲惨な目に遭う」
あそこまで、と言われている惨状はなおも継続中。口から泡をふいている者もいるが、命は無事だろうか。
「教会にあるのはそれなりの保護魔法もかかっているが、ギルドに設置しているもんは高が知れている。もしうっかり傷つけようもんなら……この通り、もんのすっげぇ爆音と耳鳴りに襲われるわけだ」
「もんのすっげぇ爆音」
「正直俺でもたとえられん。……あー、引き抜いた直後のマンドラゴラ百匹分?」
本当に程度がわからないのだろう。一匹だけでも相当うるさいと聞くが、それが百匹となると、たしかにもんのすっげぇ音量だろう。
規模がでかすぎてたとえがたとえになっていない。つまり、まったく参考にならないが、命が危ないのは間違いない。
「死にません?」
「死ぬ前に気絶するから問題ない」
ご覧の通り、と言っている間に死者が続出している。一応身体が痙攣しているので生きてはいる……はずだが、それもあとどれだけの命か。
というか、今のどこに大丈夫と思える要素があったのか。爆発させている時点で既にダメだし、そんな大音量扉一枚で塞ぎきれているとは思えない。
「町の人たちは……?」
「なんのために司祭たちを起こしてゼニスを走らせたと思ってる。ちゃんとあいつらには障壁を張るように言ってるし、ここにいない町民たちのとこには即席で防音魔法も仕掛けてきた。今ごろあの男たちも起きただろ」
距離があるので精々のたうち回っている程度だろうが、と呟く声はどこか嬉しそうだ。昨日の鬱憤を晴らす目的もあったのだろうが……しかし……。
「これ、逆に訴えられませんか」
「……謂われなき罪に問われ対抗した結果、襲いかかってきた彼らによってギルド内部の石が損傷し、術式の乱れによって爆発が引き起こされてしまった。つまり事故だな」
「冤罪だ……」
「今さら奴らの罪が増えたところで大して変わらんし、それこそ俺らがやった物証はない」
これこそ女王陛下が知れば罰せられるのではと。そんな不安も余所に障壁が取り払われれば、呻き声に混ざって聞こえるのは怒濤の足音。
「ほら、噂をすれば来たぞ」
あとは手はず通りにと。身体の向きを変えてエルドの後ろに隠れ直すのと、雄叫びが聞こえたのはほぼ同時。
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