92.夜明け前 ★
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「大人げない」
ポツリ。響いた声は空気を震わせることはなかった。
故に、健やかに眠っている青年の耳には届かず、聞こえたのは男の頭にだけ。
「本当に、なんて大人げない……」
「……二回も言うなよ、聞こえてる」
だからこそ、心の底から紡がれた声は感情を隠すことなく。それに応えるエルドの声も同じく。
ようやく喋り疲れたディアンが眠ってから十数分。
魔力の流れは整い、もう不快感はないだろう。あったとしてもそれは睡眠不足からくるもの。対外的なものは排除されているはず。
「たかが祝福に妨害するなど、ガキでもあるまいし」
「妨害なんてしてない。……こいつと相性が悪かったんだろ」
たぶん、と付け足す声こそ出ずとも、確信がないことを蒼は見抜いている。だからこそ、その眼光は鋭く、より強く。
妨害というが、決してそんなつもりはなかった。
ただ、与えた祝福が消えそうになったのに焦ってしまっただけ。邪魔するつもりなど本当になかったのだ。
たかが祝福、されど祝福。洗礼ほどの効力はないし、あの程度ならそこら辺でしょっちゅう行われている。
実際魔力の相性というのも存在しているし、嘘だって吐いていない。
ただ、精霊同士の相性というのもごく稀に関係しているのを伝えなかっただけだ。
……そして、今回が後者であるということも同様に。
「おや、あなたが彼女とそんなに仲が悪かったとは存じ上げませんでした。今ごろ戸惑っておいででしょう。ただの子どもに、ちょっと祝福を与えただけで、あなたほどのお方から! ……あんなことをされたなんて」
ああお労しや。なんて口ぶりに哀れむ感情はなく、むしろ煽りしか感じられない。
特別いい訳でもないが、悪い訳でもない。彼女を加護している精霊とは適切な関係ではある。
上位下位で言えば、確かに怯えさせたかもしれないが……牽制や抑止なんて、それこそしょっちゅうあること。
いくらエルドが、無意識とはいえ横入りしたって気にしていないだろう。
「女王との通話も打ち切って、慌てて飛び出してきたくせになにを言っているんだか……」
「お前ほんと最近当たりが強くないか」
「その原因は、あなたが一番理解しているのでは?」
図星を悪態で返せば、それ以上の嫌味で返される。その通りなので返せる言葉もなく、黙っている間にもゼニスの小言は止まらない。
「そもそも正式な宣言もしていないのですから、誰がどんな祝福を与えようとあなたが干渉する権利はありません。もちろん、本気で娶るなら問題はありませんが。えぇ、本当に、あなたが、娶るんだったら」
「だからそれは……いや」
もはや反論に意味はないだろうと項垂れ、溜め息はディアンの頬を撫でる。重々しい空気にも限らず、腕の中の温もりは健やかに眠っている。
顔色も良く、眉も寄っていない。今日一日で色々と大変だったが、夢の中ではせめてなにも考えずにいてほしいと。願う権利は男にあるのか。
落ちた毛布をかけ直そうとして、咎める蒼を睨み返す。
「……お前、本当に過保護すぎないか」
「あなたにだけは言われたくありませんよ。このままでは襲いかねませんからね」
「さすがにそこまではしない」
「どうだか」
いよいよ鼻で笑われ、怒ればいいのか呆れればいいのか。もうこの従者とも長年の付き合いだが、ここまでひどく扱われるのも指折り数えるほど。
この最近特にそう感じるのは、間違いなくディアンの存在が大きい。
「そこまでしなくても、こいつだって弱くないだろ」
実戦経験こそ少なく、それを補う技術も優れているとはいえない。だが、同年代と比べれば相当の腕だ。これまで努力し続けた結果は、間違いなくこの中に息づいている。
頭も回るし、それなりに冷静に判断できる。時折暴走気味にもなるが、旅を続けるのであれば及第点といったところ。下手さえ踏まなければ、エルドがいなくても立ち回っていけるだろう。
あの提案だってそうだ。粗は目立つし、ディアンだけだったら実行しようとは思わなかっただろう。その場凌ぎでは意味がない。逃げ出したところで状況は変わらない。
故に、それはエルドがいて初めて成り立つ。エルドがディアンと共に過ごし、明言しているからこそ矛盾なく果たせる。ディアン自身と、そして教会としての目的も。
エルドに頼りっきりになることだけは本人も懸念したようだが、自分の実力を理解しているのであれば問題はない。
理解したうえで、それでもエルドに頼りきろうとしないその姿勢があるのなら。
誰かに守られるのが当然であると、そう思わないのであれば……それは甘えでも怠慢でもなく、正しく判断ができている。
可もなく、不可もなく。一週間前に比べれば粗もなくなってきた。あとは、魔術疾患さえ治れば問題なく旅ができるだろう。
病が治り、そして……全ての問題が片付いたなら。彼は、本当に自由になれる。
「わざわざブラキオラス様をお呼び立てしたくせに?」
「宣言するって言いだしたのはあの男だろう。俺はそれを見守らせただけだ。どう処罰するかは、各々の精霊に任せられている」
「厳罰を望んだくせに」
しっかり聞いていたぞと、刺す釘はもう何本目であろうか。実際に打ちたいのはエルドの舌であり、これ以上刺されたいわけではない。
宣言だって、今では口約束と変わりない。ただ、本人の本気度を示すのに一番それがわかりやすいからだ。
こんなのにいちいち反応し、全てを見守っていればキリがない。だからこそ、加護者の多い精霊なんかは気が向いた時だけに行われるのが多い。
それでも見届けてもらいたい場合に用いられる文言は、今は廃れて一般的な文献にも残っているか否か。聖国の書庫にはあるだろうが、周辺国にあるとは到底思えず。
だからこそ、ダガンは元より、ディアンが知らなかったのも無理はない。
「今ごろあちらは大爆笑でしょうね。わざわざ貴方に呼びつけられたと思えば、あんなくっだらないことを見守らせたなんて。今宵の宴はさぞ盛り上がっていることでしょう。あの男が、とうとう本気で人間を――」
「わかった、わかったから。ちょっとあいつらの様子を見てきてくれ」
これ以上は耐えられないと降参を示すも、返されたのは無言の拒絶。まだ言い足りないのか、他に懸念があるのか。
「……襲わないから」
「その格好は十分襲っているようにしか見えませんが」
「こんな冷たい床に寝かせられないだろ」
「どの口が過保護と言うんだか……」
そういうゼニスだって、ディアンが寒くないようにとそばにいたではないか。と突っ込めばそれこそ一晩中ここを離れようとしないだろう。
やれやれといった素振りで白は遠のき、扉の前で一度止まる。
「わかっておいででしょうが……本隊が到着次第、聖国に戻るべきです」
低く唸る声。それは今までの小言とは違う、もっと本質に触れるもの。
「……門をくぐれと?」
この周辺にはない。なんて理由が通用しないのは分かりきっている。
それこそ、彼らはいつだって自由に通れるのだ。わざわざこうして歩くのは、単に彼らがそうしたいからこそ。
だが、ディアンを連れて行くなら門は必須になる。そして、ここに門がないなら作ればいいだけ。言い訳は、通用しない。
「あなたと一緒なら、最悪死ぬことはないでしょう」
「だとしても負担が大きいだろ」
「このまま旅を続けるより十分マシかと。……そして、好き勝手に振る舞った貴方様の罰としても妥当でしょう」
認めずとも、既にディアンを特別だと思っているエルドには十分過ぎる罰だと。言い捨てた従僕が扉の向こうへ消えるのを止めることはなく。
足音が遠ざかり、戻ってきた静寂に響くのは安らかな寝息と男の溜め息ばかり。
……わかっていると呟いたそれは、誰の耳に届くこともなく。当然返事もなかった。
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