89.資料室
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まだ出てきて数分と経っていない部屋に変化はない。薄暗く、寒く、そして静かだ。
違うのは、座らされたのが椅子ではなく地面で、ディアンがエルドに横抱きにされたままということ。
壁にもたれかかるエルドに体重を預けたまま、座り直そうとする前にかけられた毛布に瞬き、それから隙間を埋めるようにゼニスに寄り添われ、全身が温もりに包まれる。
いつの間に用意したのかとか、どうして抱えたままなのかとか。
聞きたいことはいくらでもあるが、どれも言葉にできない理由は不調以外にあることをディアンは分かっている。
エルドと触れ合い、自分が思っていた以上に冷えていたことを自覚し、吐いた息はやはり深く、重く。落ちそうになる目蓋を引き留めるのは込み上げる不安だけ。
「エル、ド、」
「ん、まだ寒いか?」
「あんなうそついて、だいじょうぶ、なんですか」
体調をうかがうそれに、疑問で返すのは失礼だろう。だが、聞くので精一杯なディアンにその気遣いはできそうにない。
断片的にしか耳に入らなかったが、それがマズいことを言っていたのは認識している。
ディアンが知らなかっただけで、それは真実も含まれているだろう。でも、そうじゃないことも、間違いなく。
「嘘?」
「ぼくが、その……」
「お前が魔術疾患にかかってるのは事実だろ? それが国の教育で患ったってのも、捉え方を変えれば重大な違反に変わりない」
未成年者……二度目の洗礼を受けていない者への過剰な魔術干渉。それも、疾患に陥ると判断できる長期間の計画的実行となれば、虐待の容疑で処罰は下せるだろう。
エルドに言われるまでディアンに自覚がなかったとしても、他者の目から見れば十分判断できる。
そう、それは嘘ではない。だから、ディアンが言っているのもそれではない。
「そうじゃなくて、」
「任務についても、詳細は語れないが嘘も言ってないだろ? とはいえ、また余計なことを喋ったって怒られちまうだろうが……」
やれやれと首を振る主人に、呆れるような息を吐くゼニス。動作だけなら普段通りだが、そんな調子で流していい話題ではない。
「怒られるのは、もっと、別のことじゃ……」
「なんのことだ?」
「だから、僕が証拠って……」
確かに学園の授業で魔術疾患にかかった、というのは拡大解釈すれば国のせいだとも言える。だが、それはあくまでも虐待であって、重大な協定違反と言い切ることはできない。
学園の教師が勝手に行ったことと言ってしまえば、国そのものに罰を科すことは難しい。証拠こそグラナートの元にあるが、あの書簡一つで立証するのは難しい。
証言が取れれば可能だろうが、それも素直に話すかどうか。そこまで労力を払ったとしても、協定違反……つまり、国を挙げての反逆であるとは言えないはずだ。
しかも、それを証明するのがディアンだなんて。そんな嘘こそ、女王陛下に知られれば罰せられてしまうだろう。
二人きりの時ならまだ誤魔化せた。彼らと自分たちだけなら……でも、あの場には司祭もシスターもいた。じきにこの情報は陛下の耳にも届いてしまうだろう。
あの状況では仕方なかったかもしれない。それでも、誤った情報が広まるのは――。
「……そんなの、俺がいつ言った?」
見上げた顔が、心底不思議そうにディアンを見つめる。思わず出た声は「え」とも「へ」ともつかぬ発音。
「機密情報だぞ? 明確にどれが証拠なんて言えるわけないだろうが」
なにを言っているんだと肩をすくめ、眉を寄せ、ついでに毛布をかけ直され。疑問符が飛び交うディアンを待つことなく、エルドの声は紡がれ続ける。
「まぁ、確かにちょっと誤解を与える言い方だったかもしれんが、国がどんな悪事を働いて、その証拠がどれだって言ったわけではない。それこそ漏洩したなんて知られりゃ、いくら俺でも首が飛ぶ」
考えたくもないと顔をしかめる姿は大袈裟だが、嘘を言っている様子はない。
本当に、なんの心当たりもないと。彼の唇は歪み、笑い、問いかけたのはディアンではなくその向こうへ。
「……で、ゼニス。俺なんか言ったか?」
「わふ」
ゼニスらしかぬ、なんとも気の抜けた返事だ。いや、返事すら面倒だがとりあえずといった感じか。尻尾だけで示そうが視線だけで訴えようが、どちらも答えは肯定。
思い返す言葉。確かに、そのどれもが明確に指し示したことは、なく。
「わ……」
「わ?」
「わるい、ひとだ……」
わざとだ。わざと、ディアンがそうだと勘違いするように仕向けたのだ。ただでさえ混乱している者たちに真偽を判別できるはずがない。
冷静になれば言い回しにも気付いたかもしれない。でも、彼らの誤解は今も加速しているだろう。
それこそ、今さら訂正したところで止められないところまで。
確かにエルドは言っていない。だから、後から彼らが追求したってしらを切ることができるし、女王陛下からの言及も逃れられる。
ディアンからの感心を逸らすために機密情報まで漏らして、その上で目的を果たしてしまうなんて。
「そんなの、勘違いする方が悪いんだよ。……ま、協定違反に関しては証拠を届ける前に事が動くだろうし、遅かれ早かれ噂は流れる。こんな辺境でこぼしたのが広がるよりそっちの方が早いだろ」
ディアンを支えていなければ、その手は頭を掻いていたか、うなじに回されていたか。溜め息は同じく深く、されど疲れた様子がないのはそれも含めての演技だからか。
「……どこが野暮用だったんですか」
そうではないと理解しながら、首を突っ込むべきではないと話題に出すことは避けていた。だが、知ってしまえばそう言いたくもなる。
そんな簡単な言葉で片付けていいような任務ではないし、ましてやディアンに構っている時間だってなかったはずだ。
彼とゼニスだけなら、もっと早く聖国へ戻れたし、自由に動けたはずだ。それこそ、こんな場所で情報を漏らす必要だって……。
「観光ついでに済ませたんだから野暮用だろ。まぁ、思わぬ土産もついてきたが……今回の件に関係ないわけじゃないし、あれで置いていけってのもなぁ」
まだ一週間しか経っていないが、もう昔のことのように思えてくる。
屋敷から抜け出し、魔物に襲われたこと。そこで死にかけ、さらにはエルドにも抵抗して気絶したこと。自分が魔術過剰を患いろくに剣も握れないこと。……自分一人では、旅を続けられないことだって。
彼がいるからこそ、ディアンはここまで来られた。そして、彼は最後までディアンのそばにいるだろう。聖国につき、女王陛下に謁見するその日まで。
でも、そこに彼の利益はやはり存在しない。ただでさえ足手まといになっているのに、これでますます身動きが取れなくなってしまった。
今はなんとか誤魔化せた。だが、山を下りればこの手は通用しなくなる。姿を隠すのだって限界があるし、隠蔽魔法だって……その知識がある者が見ればないも同じ。
髪色を変えたところで認識が変わらなければ意味はない。いっそ面でも被るしかないが、それこそ怪しまれてしまう。
聞かなければならない。本当に自分を連れていて大丈夫なのか。正式ではない宣言を守る必要はないと、どこかで保護をされるのか。
指名手配になったことをどう思っているのか。それから……ギルドに対する、周囲の反応についても。
これまでずっと、ディアンは王都で暮らしてきていた。旅行だってしたことはないし、噂話に耳を傾ける暇もなかった。
それでも耳に入ってくるのは自分に対する評価と、妹への待望。そして、父を讃える声だ。
多少恨む声は聞こえていたが、それはギルド内部に限ってのこと。
英雄の失脚を願い、あわよくばその地位に就こうという野心を持った者たちが流す謂われのない噂。
誰からも好かれる相手はいない。それがこの世界を救った英雄であろうと変わらない。そう思っていた。思っていたはずだ。
……でも、おそらく。無意識に、それは彼らだけであると思い込んでいたのだ。
ヴァンへの不満を漏らしたのはギルドの者もいたが、町人の姿もあった。王都の市民は誰もが英雄を讃え、感謝し、憧れを抱いていたのに。
今の町の状況では仕方ないのかもしれない。実際にギルドはなにもしていないし、この状況を認識しているかさえも不明だ。
それでも、
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