86.指名手配
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凛と響く、聞き慣れない声。それは男たちの後ろ、ディアンの視線の先に。
両手を前に揃え立つ姿はシスターたちの基本姿勢だ。その表情に浮かんでいた困惑は一切ない。強い光は怯むことなく彼らを見上げ、貫く。
「それ以上の行為を認めることはできません」
足音が聞こえ、すぐそこに人影が立っていることに気付く。もう一人のシスターはゼニスの横に並ぶように、同じくディアンを守るように立ちはだかる。
あれだけ滲んでいた疲労感はなく、増したのは肌を刺す威圧感。
「……その男は指名手配となっている。それも、最重要者としてだ。国内で発令された指名手配犯については、貴方たちにも協力する義務がある」
睨み、見下ろす瞳は冷たい。だが、それ以上に告げられた内容に心臓が跳ねる。
指名手配。最重要者。それだけで理解できる。恐れていたことが現実になったのだと。
父が……ヴァンが、ディアンを連れ戻そうとしている。
最重要者として発令するには国の認可が必要だ。国王陛下が認めたとは思えない。サリアナを巻き込んだのだ。
罪状はなんだ。『精霊の花嫁』への侮辱罪か。王女との約束を守らなかったことの、王家への反逆罪か。それとも捏造されたのか。
目的が適えば、その過程などどうとでもなる。彼らが実際に罪に問うつもりはない。ただ、ディアンが捕まればそれでいいのだ。
だが、周囲はそうは思わない。ディアンは罪人であり、ギルドに引き渡すべき存在。本当はただの家出だなんて誰も……誰一人でさえ信じない。
そんな理由で、こんな大事にするなんて、誰が!
喉の奥から空気が漏れる。吸い損ねた酸素は肺に届かず、どれだけ口を開いても息苦しさは増すばかり。
直接頭が殴られるような衝動に、立てた爪が床を抉る。だが、ガリガリと削れるのは板ではなくディアン自身の精神。
予想はしていた。いつかこうなると、いずれ追っ手はくると。どれだけ平穏に思えたって、きっとすぐに、この日はくるのだと。
――なのに、あまりに遅すぎる。
胸底が開くような空虚感。予感が的中したことへの悲しみではない。それは、想定もしていなかったところから与えられたもの。
ディアンが彼らの元を離れて、一週間以上経過している。
一日ならまだわかる。三日であっても納得はできた。だけど七日、正確にはそれ以上過ぎているのに、どうして今なのか。
いつぞやの偽装工作が上手くいったと、そう決めつけてしまうのは楽だ。実際にそうかもしれない。だが、それならギルドを動員させる必要はない。
生きている可能性にかけるだけなら。ただ、それだけであるなら……いいや、そうだとしても。本当に、僅かな希望を願ったのだとしても、遅すぎるのだ。
手続きの関係もあっただろう。いや、国王の認可を飛ばしたなら、正規よりも時間は短縮される。
ディアンの逃走範囲を考えるなら、最優先で行われたはずだ。……きっと、実際の手続きは一日もかかっていない。
逆算しても計算が合わない。手続きを済ませ、タハマの教会から偽装した物品を確認し、ディアンが逃げたことを知る。
どうしても埋まらない空白。それが収まるべきは……一番初め。ディアンが逃げたことを、知るまでの時間。
一日二日ではない。もっともっと、長い時間。彼らはそれに気付かなかった。ディアンがいないことを。そこに存在しないことを。ずっと、ずっと。
何度か声をかけただろう。反省を促し、メリアに謝るようにと怒鳴りもしただろう。それでも返事はなかった。だって、その時にはもうディアンはエルドと共にいたのだから。
声をかけるだけなら、無視していると思ったかもしれない。そう、声を。声だけをかけたなら。本当にそれ以外に、なにもしなかったなら。
……そう、なにもしなかった。本当に、それ以外は、なにも。
水も食料も与えることなく、返事がないのは反省の色がないと判断し、去って行った。
信じたくはない。だけど、それしか考えられない。
――自分がいなくなったと気付かないほどに放置されていたという、その事実を。
「っ、う……」
込み上げる吐き気は、今までの延長だ。思い至ったそれに対してではない。違う。一つの可能性が浮かんだだけだ。そうだとは限らない。
どこかで計算を間違えている。なにか手続きに時間がかかった。そっちの方が、まだ信憑性がある。
それこそ、家出しただけでここまで大がかりなことをされていると説明されるより、ずっと!
なのに否定できない。鼻で笑えない。馬鹿馬鹿しいと、はね除けることができない。
睨む光に金が混ざる。違う、ここに父はいない。あの光はここにはいない。いないのに、見下ろされている。
謝れと怒鳴る声が、騎士に相応しくないと落胆するあの声が、ディアンをずっと戒め続ける、あの低く恐ろしい声が。
本当にそうなら。本当に、ディアンを連れ戻すためだけにここまでしたなら。ただメリアに謝らせ、姫付きの騎士にするためにあの場所に帰らせようとしているのなら……あまりにも異常だ。
それを認めたサリアナも、父も。なにより、それが正しいと従い続けていた自分自身が!
「確かに、各国との取り決めではそうなっております。……で? それがどうしたというのです?」
「……なに?」
見下ろし、睨まれても彼女は怯まず見据えたまま。少し前まで床に倒れかけていた面影はどこにもない。
そこにいるのは紛れもなく、教会に……女王陛下に従事する者。
「我々があなた方を助け、援助するのは女王陛下から与えられた義務だからこそ。治療を施したのも、食料を用意したのも、現在の状況を緊急事態と判断し手続きを行ったのも、それ以上の理由はありません」
「その男は国王直々にお触れが出された犯罪者――!」
「黙りなさい」
怒鳴り声が、たった一言で封じられる。静かな響きは男の声量にも負けるというのに、もう口を開くことは許されない。
身長も、体格も、男と比べれば全てが劣っているはずなのに。どう見たって、男たちの方が強いと思うはずなのに。
「あなた方の前にいるのは、エルド様がお連れになった御方。エルド様が彼を守るというのであれば、我々も彼を守る義務がある。危害をくわえるというのであれば……我々は容赦はしない」
大声ではない。だが、その芯のある声は、鼓膜に痛い程響く。
「っ……罪人を庇うのが教会のやり方か……!」
「ここがどこか忘れたわけではあるまい。罪を犯した者には正しく裁きが下るだろう。オルフェン王の御許で、これ以上の狼藉は不敬とみなす」
どよめきが広がっていく。彼らからすれば当然だ。国が指名した犯罪者をあろうことか教会が庇うと言っている。
彼らを助けるべきはずの教会が、ディアンのせいで敵に回ろうとしている。それは、あまりにもまずい。
聞こえる声は困惑と不満だ。
ダガンのこともそうやって誤魔化すのかと。結局は庇うのかと。溜まりに溜まった不満は、いつ噴き出してもおかしくはない。
その非が全てディアンや教会になくとも、切っ掛けとしては十分過ぎる。
場を納めなければ。だが、足は動かず、声もろくに出ず。不快感は、いまだディアンの口元にせり上がったまま。
そもそも、渦中にいる自分がなにを言っても油を注ぐだけ。止められるのは彼しかいないのに、その名を呼ぶことだって。
「ぜ、に……!」
唯一動ける名を呼んでも、彼は唸るばかりでディアンの囁きに反応してくれない。
普段はもっと冷静なはずなのに、どうして、なぜ。
答えは出ず、動揺は広がっていく。このままではダメだ。だけど、どうすれば。どうする、ことも、
「っ……える、ど、……!」
「――おう、随分と賑やかだな」
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