79.教会とギルド
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ふと聞こえた声は、その横から。俯いた少女が己のローブを握るのは、込み上げる感情を誤魔化しているのだろう。
それでも震えるのは恐怖か、悲しみか、戸惑いか。己の不甲斐なさか。……その、全てか。
「今は、運良くあなた様がここに来たから、皆元気になったけど……でも、このままではまた同じ。今度こそ誰かが死んでしまうかもしれない……」
「ミルル……」
「そんな……そんなの、私……私……っ……!」
結ばれた唇は固く、されど涙を止めることはできず。大きな瞳に溜まった水は、あっという間に少女の頬を濡らしていく。
「……貴方の言い分はわかるわ。教会の支援があったからこそ、彼らの被害がこの程度で済んでいることも。……でも、その教会側が限界を迎えるほどに追い詰められているのも事実」
そうではないかしらと問いかけるローサに、返される言葉はなく。それは、エルドも理解している通りだ。
「貴方がどれだけの位置にいるかはともかく、追い詰められた部下を助けるのも上司としての役割じゃないの?」
何かを言おうとした司祭を遮ったのは、その上司の方だ。実際に彼らを管轄する位置にはなくとも、司祭はエルドの指示に従うし、エルドはそうできるだけの権力を持っている。
だが、それは必ずも彼らを守る立場という訳ではない。
その地位に酔いしれ、己より弱い者を使い捨てる者はいくらでもいる。教会までがそうとは言わないが、どこにでも理不尽な力関係は存在するのだ。
エルドはそうじゃないだろう。そうだと信じたい、と言い換えるべきか。
彼の本当の姿をディアンは知らず、きっと知る機会だって与えられない。それでも、今まで接してきた全てが嘘だとは思えないのだ。
優しい人だ。そう簡単に切り捨てられるならあの時クライムたちを助けなかったし、ここにいる全員に治療を施すことだって。
そこに教会としての義務が含まれているのは分かっている。だが、それだけでないことも、ディアンは感じ取っているのだ。
……同時に、自分がすべきことを。その立場を理解していることも、ディアンは知っている。
「彼らを酷使したことに対する罰則はない。不幸が重なり、一時的に対応できなくなるのはどの教会でも起こり得ることだ。それを憶測だけで決めつけ、罪に問うことはできない」
「だけど、」
「教会が関与しすぎれば、国は侵攻として受け取る。そうでなくとも全ての問題を教会で排除すれば、後に苦しむのはお前たちだ」
溜め息は深く、声は淡々と。理解されないと理解しているからこそ、今までもこの下りを繰り返してきたのだろう。
それでも無視することなく説明するのは義務か。彼の優しさなのか。
「どういう意味だ」
「……たとえば、とあるギルドに新人が入ったとしよう。それも、雑用から魔物退治まで完璧にこなし、そいつ一人で全てが賄えるほどの逸材だ」
顎下を擦り、僅かに悩む素振りはフリか。彼らにも伝わる方法を考えたのか。
大袈裟すぎるたとえになると予感はしても、今の彼らにはそれで丁度いいのかもしれない。
「もちろん、そいつがいなくたってそのギルドは回っていた。優秀な冒険者も揃っていたし、得手不得手があっても役割を分担していたわけだが……その天才があんまりにも使い勝手が良く、それで優秀なものだから、皆がそいつに仕事を任せるようになった」
「それがどう関係……」
「まぁ最後まで聞けって」
肩をすくめ、息を吐き。続く話に思い浮かべるのは不釣り合いな天秤。
「最初はそれでもよかっただろう。だが、そいつがするなら自分たちはなにもしなくていいと。そのうちサボる奴が出てくるようになった。そいつに任せればなんでもしてくれる。そいつに頼めば、自分たちが苦労せずとも利益を得られる。人は苦労することに抵抗を抱くが、堕落するのはあまりにも早い」
覚えはあるだろうと、問いかける視線に否定は返ってこない。単に伝わっていないだけかもしれないが、それを確かめる必要もなく。
「もちろん、そんな人間ばかりじゃないが、そういう人物が抱くのはより強い信頼と憧れだ。彼さえいれば大丈夫。彼さえいれば間違いない。彼こそがこのギルドに相応しい長である、と」
「……極端すぎるだろ、そんなの」
低い唸り声は、呆れではなく憎々しさから吐き出されたものだ。
国のような巨大なものと比べるなと。実際はそんな風にはならないと。そう言いたくとも、エルドの瞳はそれを許さない。
「自分たちを助けて導いてくれるのは、ギルドマスターではなくその男。困った自分たちに、本当に寄り添い救ってくれるのは国ではなく教会。……ほら、あながち間違いでもないだろう?」
「ふざけっ――!」
「――民の信頼は国の命運だ。過剰が過ぎれば国は滅ぶぞ」
息が、詰まる。その視線を向けられているのは自分ではない。その薄紫が見据え、貫くのはディアン自身ではないのに。
直接受け止めている彼らなんて、もっとだ。怯んでいないのは、唯一クライムのみ。
「っ、だけど……なんか方法が……そうだ、あんたを騙して金を奪い取ったのは、正当な罪になるだろ!?」
「金? そんなのいつ奪い取られたんだったか……」
覚えがないなと、顎を擦り続けるのはわざとだ。それこそ、手元に戻ってきているので証拠はないし、そもそも渡したのは偽金。むしろ罪に問われるのはエルドの方だ。
……露見する前に隠蔽するぐらいは、さすがにこの男もするだろうけれど。
「っ……お前も同じか」
睨みつける瞳は、どちらかと言えば父親に似たらしい。同じ色に込められた感情は反するもので、対象が自分に移ったことで心臓が僅かに跳ねる。
「僕は……」
言いかけ、とどまり、閉ざす。
正直に言ったところで聞き入れてはくれないだろう。彼にとってはエルドもディアンも部外者。どんな言葉をかけたって、それは彼らを助けることにはならない。
影が誰かと重なる。身長も、髪色も、目の色だって違うのに。彼と……嗤い否定する、ラインハルトと面影が重なる。
状況は違う。条件は同じではない。目の前に立つ男はディアンを馬鹿にしているわけではない。
……だけど、全てを否定されることは、それは、同じで、
「――シアン」
呼ばれ、瞬き。弾けるように上げたのは視線だけ。
見つめ返す薄紫に先ほどの恐ろしさはない。喋るな、とも。語れとも、彼の表情は変わることなく。
……ただ、穏やかな光から伝わるのは、好きにしていいということだけ。
利口なのは、このまま黙することだろう。今の彼らにどんな正論を伝えようと……いや、正しいからこそ神経を逆撫でることになる。
彼も理解はしているはず。それでもエルドに食ってかかるのは、感情の行き場を失っているからだ。子供の癇癪と同じ。でも、それを責めることはできない。
彼にとってここは故郷で、何物にも変え難い大切な場所。大切な人たちが住む、大切な……。
ディアンには、もうそう呼べる場所はない。だからこそ、正しい意味で理解することはできない。同情はできるが、それでは慰めにもならない。
されど、教会の従事者でもないディアンは、エルドの肩を持つこともできない。それこそ、わかったつもりになっているだけだ。
教会の真の理念も。それに従わなければならないエルドの感情も。おしはかれても、正しく理解し、それを彼らに伝えることはできない。
だから、言えるのなら。今この場で、ディアンが迷わずに言えるとすれば……たった、一つだけ。
「……僕は、教会の従事者でもなければ、ギルドに属しているわけでもありません。それでも、」
もう一度だけ、エルドを見上げる。揺れる紫に返された一つの瞬き。
言葉はない。だが……大丈夫だと知るには、それだけで十分。
短く息を吸い、返ってくる反応に身構える。
「――教会がどう動こうと、意味がないことだけは、わかります」
真っ直ぐに見据えた前、見返す紫に映る青年が怯んだのに、ディアンは気付いただろうか。
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