06.人形劇
――遙か昔。
精霊王オルフェンがこの世界を造ったとき、同じく王は様々な生き物を造られた。
空、山、海、森。飛べるもの、泳ぐもの、走るもの、喋るもの、歌うもの。
何十、何百、何千。ありとあらゆる生物は精霊王の意思で造られた。そう、私たち人間も同じく祝福されて生まれたのさ。
だが、たった一つ。精霊王が望まずに産まれた存在がいた。最初は精霊王の光によってできた小さな影でしかなく、ただそこにあるだけだった。
されど、精霊王の力が強大であればあるほどに影は深く、強く。闇は濃くなっていくものだ。
いつしか影は獣の姿へ、獣から化け物の姿……魔物へと変わっていった。
魔物はとても強く、そして強大な力を持っていた。奴らは次々に増え、いくつもの生き物を食らい、傷つけ、苦しめてきたのだ。
精霊王は魔物を排除しようとしたが、どれだけ倒しても消えることはなかった。
そう、奴らは影から生まれた存在。光であるオルフェン王がいるかぎり、いなくなることはなかったのだ。
消し去ることはできなくても数を減らすことはできる。それでも、精霊だけで立ち向かうにはあまりにも数が多すぎた。
そこで精霊は自分たちに似た姿をした生き物である人間に加護を与え、自分たちの代わりに魔物を退治してもらうことにしたのだ。
精霊によって魔物に対峙する力を得た人間の生活は豊かになった。村は町に、町は国に。そうしてたくさんの人々が、何百年と幸せに暮らしていた。
魔物の脅威は弱まり、なにも恐れることもなく。これからもこの平和な日常がずっと続くのだと信じていたのだ。
……だが、彼らは精霊にも人間にも気付かれぬ場所でじっと力を蓄えていたのだ。
今から二十年前。魔物たちは知性を備え、群れを作り、この地を覆い尽くした。
空は影に覆われ、海は大波で荒れ、森は途端に荒れ果てた。やつらの大群によっていくつもの村が、街が、そして国が呑み込まれ、喰らい尽くされたのだ。
人間たちは必死で抵抗したが、魔物たちの長はあまりに強く、そして奴らの数はあまりにも多すぎた。いくら精霊の加護を与えられていようと所詮は人、精霊にも匹敵する魔物の力に数多くの勇士が倒れていった。
自分たちでは魔物には勝てない。自分たちはこのまま負けてしまうのだ。
誰もがそう嘆き、諦めかけた……しかし、それでも諦めない人間がいたのだ。
一人目は炎の精霊の力で魔物たちを焼き払い、二人目は光の精霊の力で闇を消し去った。
そして、三人目は戦の精霊の力により、恐ろしい魔物たちを次々に倒していったのだ。
三人が賜った加護はとても強く、圧倒的だった。民は彼らの姿によって立ち上がり、諦めずに立ち向かい続けたのだ。
……それでも、魔物の力はあまりにも強すぎた。
頂いた加護だけでは太刀打ちできない。そう気付いた三人は考え、悩み、そして精霊王に助けを求めるために、精霊の国へ訪れた。
精霊の国に繋がる門をくぐり、何百という精霊に囲まれる精霊王に向かい、英雄たちは言った。
『どうか、私たちにあの魔物を倒すための力を授けてください』
それに対し、精霊王は言った。
『お前たちのうち、誰か一人の子を、我が息子の花嫁とするならば力を授けよう』
三人は話し合い、最も強く、最も勇敢であった三人目の男に生まれた子を献上することを約束した。娘が十八を迎えたその日に、必ず花嫁として捧げると誓いを立てたのだ。
そうして、精霊王は己の光から造られた剣を人間たちへ授けた。
それは一振りすれば闇を払い、二振りすれば世界に光が満ち、三振りすれば全てが浄化されるほどの凄まじい力を宿していた。
男はその力を正しき心により制し、見事魔物の長を討ち滅ぼしたのだ。
こうして世界に再び平和が戻りましたとさ。
「――さぁ、今日の話はどうだったかな?」
人形たちを残したまま幕が下りれば、物語はこれでおしまい。だが、語りかけていた男が子どもたちに尋ねるまでが人形劇だ。
誰でも一度は聞かされた昔話。この国に住む者なら聞き飽きているぐらいだ。魔物の誕生、数多の犠牲、そして勇敢に立ち向かった者たち。
当時を知るものであれば過去の惨劇として。平和が戻った今に生まれた子どもたちには昔話として。
時代と共に多少なりとも捏造が入るが、その大筋は変わることなく語り継がれていくのだろう。
そう、これは昔話であっても作り話ではない。ディアンの産まれる前、確かにあった過去の話。
「えいゆうさまの子どもは、およめにいったの?」
「まだだよ。だが、あと数年すれば十八歳になり、そうして精霊の王子様のお嫁様になるのさ」
多少の捏造が入る、と語ったばかりだが全てがそうではない。一番信じがたい部分……精霊が人間を娶るのは真実だ。
過去にも人間が嫁いだ例があるが、数百年に一度だけ。それも、最初の洗礼の際に魅入られたとお告げがあって初めて分かるのだ。
最初から『花嫁』を指名されるのは異例で、だからこそ英雄の娘が生まれたときには国中が沸いたものだ。
とはいえ、当時ディアンはまだ二歳。ろくに記憶に残っていないし、言われたとしてもそうだったのかと返すしかない。
個人的にも喜ばしいことだったはずなのに、今はあまり思い出したくないのは疲労のせいなのか。
「どうしてわかるの?」
そんなディアンなど気にもせず、純粋な疑問が投げかけられる。
にんまりと笑った男が伸ばした手の先を辿らずとも、なにがあるかディアンは知っている。知ってしまっている。
「その英雄こそ、この街のギルド長ヴァン・エヴァンズであり、その娘が『精霊の花嫁』だからだ!」
「えーっ! うそだー!」
すかさず飛んでくるヤジに、嘘ではないと男が訂正する。まだ幼い彼らにはとても信じられない話だろう。だが、全て本当の話なのだ。
今はまだ知っている人が多いからこそ、作り話でないと知っている。
だが、これから何年、何十年と語られるうちに伝説となり、だれも真実を確かめられなくなるのだろう。
だが、どれほどの年月が過ぎようと、この世界を救った英雄と、精霊に選ばれた娘の名が忘れられることはないだろう。
それこそ、嫁いだ後もずっと……語る者がいるかぎり、永遠に。
盗み見た後ろにもう人影はなかった。結局最後まで見てしまったが、お金を払える状況でもない。
次に見かけた時に必ずと、心の中で謝罪しながら踵を翻し、今度こそ目的地へと進む。
「あら、見て。あそこ……」
そう、心配していた相手には見つからずにすんだ。
……だが、どれだけ警戒しようとディアンを知っている人間はいくらでもいる。
人形に夢中であった子どもたちから、その場を去ろうとしている背中へと。大人たちの視線が移り、互いに囁きあう声が届く。
「あの子がギルド長様の――」
……その続きが扉に遮られなければ、耳を塞いでいたのはディアンの手だった。
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