67.出発前の準備
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「ディアン」
たき火は片付け、骨の始末も済ませた。忘れ物もないし、やり忘れたこともないはずだと確認しているディアンが名を呼ばれ、顔を上げる。
次の町についての注意事項か、それとも他のなにかかと考えている紫に映るのは、手を招く簡単な動作。
単純に呼ばれていると分かって、それでも足が進まないのはその目的に気付いているから。
「……まだ解けてないはずですが」
隠さなければならない黒は、朝かけ直された魔法で紫になったまま。先ほど水面を見た時も、まだ魔法の効果が切れている様子はなかった。
毎朝かけられる隠蔽魔法。この逃亡生活を続けるのに必要不可欠なそれは、エルドと旅を始めてからずっと続いている習慣だ。
自分では一時間もたない効果も、彼の手にかかれば丸一日継続することができる。誇張ではない。本当に、夜中に起きて確かめた時もまだ色は変わったままだった。
その気になれば数日単位で続けられそうだと思うのだが、途中で戻って困るのはディアンだ。
毎朝エルドにはかけなおしてもらっているが……まだ数時間も経っていないのだから、さすがに大丈夫のはず。
「ちょっと行ったところで人通りが多くなるから、念のためな」
そっちから来ないならと、エルドの方から向かってくる。そのまま伸ばされた両手に少し身構え、それでも受け入れるのは拒む理由がないからだ。
念には念を。そういう保険はかけすぎてもいいぐらいだ。ただ、少し抵抗があるのは……彼の魔法のかけ方に癖があるからだ。
頬を包まれ、そっと顔が近づく。覗き込む瞳につい視線を逸らしそうになるのは、単純に目の置き場に困るからだ。
どこまでも透き通った薄紫は、その性格を知った後でもやはり神秘的に映る。
「こら、じっとしてろ」
その中に反射する自分の紫は未だに見慣れず、つい横へと目移りすればすぐさま声が飛ぶ。
「……もう少し、どうにかなりませんか」
「どうにかってなにが」
「魔法のかけ方ですよ。こんな近くなくても……」
彼の実力なら、手をかざすだけでも付与できるはずだ。こんな至近距離で、それも頬を包みながらの方が逆に集中できない気がする。
両側から温められる頬は熱く、川に突っ込んでいたときなら心地良かったかもしれないが……今は、困る。嫌ではなく、ただ困るのだ。
「いくら俺が魔法に長けてるからって、得手不得手ぐらいある。特に他人にかける隠蔽魔法ってのは加減が難しいんだよ」
ディアンがどう思っているかなど気にもせず、エルドは目を見つめたまましかめ面。それは文句に対してか、その加減を見極めようとしているのか。
自分にさえろくにかけられないディアンにその区別はつかず、仕方なく長い睫毛を見つめるばかり。
不快に思わないのは、彼の体臭もあるのだろう。本来ならおっさん、と呼ばれてもおかしくないが、男臭さの類は一切ない。
かといって女性……比較対象が一人しかいないので参考にならないかもしれないが、彼女のような匂いがするわけでもない。
たとえるなら日だまりのような。実際に太陽に干したシーツの匂いがしているわけではなくて、単なるたとえだが。そんな温かさを感じる匂いだ。
生物と言うより自然物に近い。強い加護を賜った者は匂いまで影響するのだろうか。
それを本人に聞くのは……それこそ、抵抗が強い。
「でも――っ」
気を紛らわせるための抗議が、耳を撫でる指で塞がれる。単に触れただけか、それともわざとか。判明するために離れた指先は、包んでいた手のひらと共に。
「ん、これで晩までもつだろ……って、おい」
呆気なく離れた温度にどう反応するのが正しいのかわからず、いつの間にか近づいていたゼニスがエルドの足を小突くのを見守る。
大して痛くないはずなのに文句を言う主人へ、鼻を鳴らした相手はそのままディアンの後ろへ。
手を突く鼻先に少し笑い、そのまま頭を撫でる。本当に利口な犬……いや、獣だ。
つい犬と言ってしまうが、多分口に出せば怒られてしまうだろう。
撫でられている間も、視線はディアンではなくその様子を見ているエルドの方へ。心なしか非難するような色に見えているのは……ディアンの戸惑い故の錯覚か。
「……そろそろ行くぞ」
どれだけ撫でても心地良い毛皮は気を紛らわせてはくれず、エルドの静止がかかるまでその手は止まることなく。
ゼニスの毛並みの荒れ具合がいかにひどかったかは……言うまでもないだろう。
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